暇の価値のバイアス
開いてくれてありがとうございます♪
では早速暇つぶしをしていきましょう!
ってそんなお話ではないです😂
暇の有効活用や意義について書けたらと思ってます。
そういえば、余談ですが、
前に1回「16 personalities」はやったことがあるんですが、
変わってないのかなと思ったら、相変わらず変わってなかったです🤣
それでは、皆さんを暇の正しい価値へいざないます笑。
暇の価値。
皆さん、きっとこの記事を読んでいるということは少なくとも1回は、
「あぁ、暇だなー」
「今日はやる気ないし、特にやることもないな~」
なんて思ったことあると思うんです。
確かに私も高校生前半の前半(?)ぐらいまでは、そうでした。
しかしそうした思いも、内に秘めた思いに断ち切られたんです。
それが中学生の時の家の大掃除。
よく小学生、中学生の時の教科書どうしよう問題って発生しますよね笑。
そういって整理しているときに、道徳の教科書があって、
たまたま見た、ページにこんなお話が。
(うる覚えなので、記憶をもとに再生したものです)
確か、余命が1か月と宣告された方が題材でした。
男性の方で、病院で重い病気に苦しめられていて、
そうした中で医師から余命1カ月を告げられる。
男性は自分の余命を知った途端、生きる気力を失ったそうです。
しかし奥さんが、励ましてくれたおかげで1か月の中で「自分のやりたいことをやり切る」選択をしたそうです。
そして最後の行に、
「死にたい、生きるのが辛いと思っているなら、その命を僕にください」
とメッセージが。
今はうる覚えなので、彼がどのような意味でこのメッセージを送ったのかということは今でも紐解けませんが、
その当時私が感じたのは、
「確かに自分は五体満足なのに、それを有効活用しない手はないな」
「真の必死に生きるとは、こういうことか」
ということでした。
こうして五体が満足でない人も、必死に今を、今を生きている。
なのにも関わらず、五体満足な自分は情けない。
そんな思いを中学生の頃に抱き、心の内でずっと引っかかっていました。
そうして高校生を迎えると、暇な時間も、懸命に使うようになった、させてもらった。
確かに暇な時間も大切なんですが、暇という漢字にとらわれて、あることをつい見失っていると思います。
それは暇な時間とは「空白の時間」ではなく、「心の余白」であるということ。
そして暇な時間があるということは、「幸せ」であるということ。
暇な時間も有効活用してメインの仕事や副業に使え、勉強に使え、
そういったお話をしたいのではなくて、
暇を楽しめるようになって欲しいんです。
どういうことか。
暇な時間で自分の心を整理したり、
あるいは日頃の感謝を周りに伝えてみたり、
普段食べにいったことがないお店で食事を取ったり、
学生の頃の同期にあって、話をしに行ったり、
ただ心に安らぎを灯してみたり、
心の余白と先ほど表現しましたが、
それは普段使っている心のスペースではできないことが、
できるというスペースが「暇な時間」なわけです。
私は常日頃、というか毎日欠かせず頭の中でこの思いを抱いています。
きっとこの思いを忘れなければ、暇をただただ何もすることができない、無駄な時間と捉えることも減り、ましてや
今よりももっと自分が成長できるかもしれません。
あなたの暇な時間を、楽しみませんか?
暇を楽しむ、あけぼの博士より😉
ぜひ、いいなと思った方は👍とフォロー、Xにて拡散をしていただけるとうれしいです。
それでは👋
▼コメントを相互でしたいという方の募集
▼私の自己紹介はこちらから
▼そしてXもやっているので、良ければフォローお願いします