昼下がりのオフィス街
オフィス街の昼間が苦手だ。
特に古くからあるようなオフィス街が。
いろんな人が出入りするような商業施設や観光客もいるような場所ではなく、灰色のオフィスビルがずらりと並ぶ場所。
人がぞろぞろと歩いているのは通勤と帰宅のある朝と夜だけだ。それも大量の人間が皆黙って仕事場へ向かい、帰りも黙ったまま地下に吸い込まれる。
仕事をするために人が閉じ込められる地区。近くにあるコンビニやレストランでさえ、共犯者に見えてしまう。
人間を働かせるための装置。そのエリアから出さないための装置。
昼の遅い時間に外へ出ると、異常な静けさで不安になる。
あんなにたくさんの、あんなにおおきなビルに、たくさんの働く人が詰まっている。みんなが中で「しごと」をしていて、小さな窓からは中の様子も見えない。
本当はたくさんいるはずなのに、人の姿が見えない。人の姿を見つけたとしても、それは別の仕事のために移動する人や、偶然紛れ込んだ人。
働くことについて考える前から、こういった大きくて古いオフィス街の空気は好きではなかった。
本当に自分の目的地がこの中にあるのか、紛れ込んでも良い場所なのか、普通の世界なのか。不安でたまらなくなる。
ここにいる人たちはちゃんと人間なのか。自分と同じ生き物なのか。
怖くなって、確かめたくなる。
だから無性に知らない人に声をかけたくなる。
「お昼休憩ですか?」
「この辺にダイソーってありますか?」
「この辺におそば屋さんってありますか?」
「雨でも座れるベンチみたいなところはありますか?」
「シミを落としたいんですけど応急処置の方法はありますか?」
「仕事ってどうやったら乗り越えられますか?」
みたいなことが聞きたくなる。
義務も力関係もない普通の会話をして、このビル群にいる人だって普通の人間だと思いたい。そうして安心したい。そういう考えで。
それで、一度だけトイレの洗面台で声をかけたことがある。
「ここってお湯しか出ないんですかね。」
「あはは、こっちはお湯じゃないですよ。そんなに冷たくもないけど。」
中年の女性だった。優しそうで、突然話しかけた私を不審がることもなく、普通の返事をしてくれた。このビル群で、長いこと働いてきた人なのだろうか。優しい感じの人だった。
でも、後で確かめたらどちらもあたたかい水しか出なかった。
あの人が装置ではありませんように。