「老人と猫」2
我が家には2匹の雄猫がいる。
白いのが鰻(ウナギ)、黒いのが戎(エビス)という。
鰻は13年前から一緒に暮らしていて、2年前に嫁の獅子頭という猫を亡くしてから、男やもめになりシュンとしている。
小さい時から溺愛しているので、恐ろしくプライドが高い。
1年半前に戎がやってきた時は『臭き者』『妻が居なくなった途端に、なんという手前勝手な事をするのか』と鼻をヒコヒコさせながら激怒したが、戎が『兄さん、兄さん』と下手に出て仁義を見せたので、かろうじてプライドが守られている。
臆病で早食いで、たまにオシッコが詰まる。
戎は海で夜釣りをしていて拾った猫。
獅子頭が亡くなって半年も経っていたのに、ふいに涙が止まらなくなる事があった。
寂しいとかではなく、なんでもない時に左目から急に出てくるので、いつも左だけ化粧が剥げていた。
その事に困っていた頃、気付いたら後ろに座っていた。
喧嘩か腫瘍か分からないが、額から鼻にかけて大きな穴が空いていて、大量にウジが湧いていた。
気の毒なので病院に連れて行き、一緒に暮らし始めた。
よく来る釣り人に聞いた話では、そのへん一帯のテトラポットの夜の部のボス猫で、昼の部は別の猫がシフト制で統治していたそう。
我が家に来てからずっと惚けた顔をしているが、実は喧嘩が強く、件のテトラで2倍ほどの大きな猫を睨んだだけで遠くに追いやっているのを見た事がある。
頭蓋骨深くまで穴が空いていて、今でも骨が丸見えだが、何故か生きている。
明るい性格で世渡り上手。腎臓が悪い。
と、そんな2匹のもとにフクちゃん(熟女、未亡人、経験豊富)がやってきたので、白黒男たちは浮き足だっていた。
人間から見ても分かるほどに。
エビス君はどストレートに好き好きを伝えて嫌がられ、ウナギは遠巻きにじっとりした視線を送っていた。
エビス君がやって来た時、あれだけ激怒したウナギが怒らなかったのは意外だった。
フクちゃんは白い男も黒い男も全く相手にせず、少しの間お家の匂いのする毛布で眠り、おやつを食べて夜になると我が家の隅々まで探検した。
夜中の2時頃、大きな声で一声鳴いたので、「ああ、相棒が心配して様子を見に来たな」と思った。
その後私の脇の下に潜り込み、朝まで眠った。
暗くした部屋で目を凝らすと、あの人が毎晩見ていたであろうフクちゃんの寝顔がうっすらと見えた。
獅子が亡くなってから、夜になるといつも寂しかった。
白とオレンジ色の細い背中を撫でながら、ずっと一緒に寝ていたから。
フクちゃんの女の子ならではの小さい手や背中、ふわふわの細い毛が獅子の感触を思い出させた。
この子の体は小柄だった獅子よりも更に小さい。
そういえば、その日からあの訳のわからない涙が止まったように思う。
今でも獅子を思い出して泣く事はあるが、きちんと獅子を愛しいと思って泣いている。
フクちゃんは人間の手に甘えたかったのだし、私は女の子の猫が欲しかった。
獅子が亡くなって、後悔ばかりしていた私にフクちゃんの恋人は変わった事を言った。
「生きてる方の猫はどうしてる?」と。
「ええ?寂しそうに見えますが」
「甘えてこないか?」
「そういえば前より甘えたになりました。寂しいからかな」
「生きてる猫は嬉しいんだよ。あんたをまた独り占め出来るから」
「フクは先代が死んだ後、僕を独り占め出来て満足そうだった」
何という事を言うのだ、獅子が居なくなって悲しいのに、と思ったが、確かに憔悴してヨレヨレしているのは自分だけで、ウナギはマイペースにごはんを食べたり眠ったり、しっかり過ごしていた。
フクちゃんの先代の猫はハチといい、その前にはナナ、ロク、5.4.3.2.1と歴代数字の名前のついた猫を飼っていたそうだ。
亡くなった奥様が猫好きで、お屋敷にはあちこちにそれぞれの猫の思い出の傷があった。
フクちゃんが雨の日に連れて来た、紐みたいな黒い猫を追い出さなかったので、「この子に(10)の名前を付けるの?」と聞いたが、「付けない」とその人は言った。
自分の猫はフク(9)でおしまいだと。
「誰かのお世話になって生きていけるようにしないとな」
結局貰われていくまで「おクロ、おクロ」と毛の色を呼び名にしていた。
黒色の紐みたいだったおクロは、今では新しい飼い主さんに新しい名前を貰い、丸々艶々となり、毎日可愛がられながらダイエットに励んでいる。
全くもって偶然だが、教えてもらったおクロの新しい名前には(10)の字が入っている。
やっぱり人間も100年近く生きると妖術のようなものを使えるのだな、
いや、あの人ならではかもしれない。
フクちゃん、我々も素敵に長生きしよう。
雉色の小さい背中を1度撫でただけで、私はもう、あなたが可愛くて仕方がなくなってしまった。
かつて獅子にしたような、自分本位の執着を、この子にもしてしまうだろうか。
いつか来るその時は、潔くフクちゃんを相棒さんにお返ししよう。
白黒男たち、それまでに恋人になれるように頑張れ。頑張れ。
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