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※個人の学習用まとめメモです。特定の薬品摂取の薬物乱用を推奨する意図はありません。麻薬の使用は法律で固く禁止されています。素人の落書きメモ、フィクション程度にご笑覧ください。随時、加筆修正します。

●LSDとは


・リゼルグ酸ジエチルアミド
    (リゼルギン酸ジエチルアミド)
・LSD-25とも略される
   (リゼルグ酸誘導体の系列25番目の物質)
・インドール核を有しセロトニン/ノルアドレナリン/ドーパミンによく似た構造を持つ
・麦角菌やソライロアサガオ、ハワイアン・ベービー・ウッドローズ等の麦角アルカロイドからも誘導される
・透明な結晶で液体の形で製造することも可能
・錠剤、カプセル、角砂糖、紙、ゼラチンなど有る
・どんなものにも一滴でも垂らせば、強力な変性意識状態に導く
・セロトニン受容体に結合し、5-HT2のアンタゴニスト(アゴニストとは逆の働きをする、受容体に結合するものの細胞の内部には情報を伝達しない物質。 阻害薬。)として、5-HT1Aと5-HT1Cのアゴニストとして働き、セロトニンの作用を阻害するため幻覚が起こると考えられている(未確定)。
・逆にLSDの服用後にセロトニンを服用することで幻覚の発現を抑えられる

●LSD誕生以前の幻覚剤

薬物が化学合成される以前の話。
向精神物質は世界のいたるところで宗教的儀式において使用され、崇拝の対象になった。その酩酊作用や幻覚から神話や民話の題材になった。

特にLSDに関係あるものは、古代ギリシアのアテネ郊外で西暦5世紀までの2000年間続けられた、エレウシスの秘儀で使用されていた、"キュケオン”が挙げられる。

情緒的作用を引き起こす飲み物として用いられていたが、小麦、水、ミントから製造され、この小麦に麦角菌に由来するリゼルグ酸アルカロイドが含まれていたと言われている。

紀元前415年に、アテナイのアルキビアデスが友人を楽しませるためにキュケオンを振舞ったとして罰金刑を受けた事実が確認されている。

また、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各地で行われた魔女裁判についても一説がある。

裁判が行われた地域の多くが、麦角の発生しやすいライ麦に依存していた地域であった。特に裁判数が増加した年の春と夏は湿度が高く、その時期は気温が低く麦角の生育に適した環境であったこと、そして魔術や覚醒によって引き起こされたとされる症状や体験が麦角中毒の症例に似ていたこと等から、魔女裁判は麦角中毒が原因として引き起こされたとする説がある。

"爆弾じゃなくアシッドを落とせ"

●LSD発見

19世紀後半になると麦角から有効成分を抽出する研究が盛んに。1930年代頃にはイギリス、アメリカの化学界は麦角アルカロイドの研究が主要となっていた。

LSDは、1938年11月にスイスのA・Gサンド社の研究室で生まれた。新薬を開発中に麦核の成分を分離していた際、スイス人化学者アルバート・ホフマンによって合成されたのだ。その幻覚剤としての発見は1943年4月16日になされ、これがLSD発見の日とされている。

こうして1950年代頃から、LSDは精神医学では意識の問題を解明する切り札として期待された。

偉大なるホフマン氏

1943年という原爆が発見された年に、ホフマン博士は頭と意識の原爆を発見した。
これについて彼は「偶然かは分からないし、この世に偶然の一致などないのかもしれない。とにかく奇妙な話だ。普通の爆弾と原子爆弾の関係は、アルコールとLSDの関係と同じということ」と述べた。(いかにも紙食ってる人が言いそうなセリフ)

発見以降はさまざまな実験や心理療法に使われ、「psychedelic(幻覚剤)」という名前が与えられた。

このネーミングに至った経緯は非常に詩的だ。
精神科医オズモンドと意識世界に関心の強かった作家ハクスリーが文通していた際、オズモンドが綴った
To fathom Heaven to Hell or go angelic,
just take a pinch of psychedelic.

(地獄へも天国へも行ける、少しのサイケデリックで)
この詩から名付けられたと言われている。

psychedelic=精神の啓示 を意味し、幻覚剤を摂ることで普段は使わない脳の部分に気付かされることを表す。


●ムーブメント〜禁止、研究再開まで

1970年代にはLSDブームが起き、人類史上最も心に作用する薬として有名になった。
著名な研究者、活動家としてリチャード・アルバート(a.k.a ラム・ダス)氏やティモシー・リアリー氏が挙げられる。

リアリー氏、アルバート氏、ラルフ・メツナー氏による幻覚剤の使い方に関する共同著書『チベット死者の書サイケデリック・バージョン』が有名。


アルバート氏とリアリー氏はともにハーバード大学で幻覚剤の研究をしていたが、学生にも使用させていたことが発覚し’63年に解雇となった。
しかしその後も両者は在野の道を歩みながら研究を続け、超エリートの地位を投げ打って目覚めに至った。

アルバートa.k.a.ラム・ダス氏

アルバート氏は、既存の価値観に異を唱えるカウンターカルチャーの象徴として注目を集めた。解雇の後も薬物がもたらす知覚の拡大に関する研究を続けた。
また、彼はバイセクシャルであることを堂々と公言した。

67年にはインドを訪れ、現地の教祖から「神のしもべ」を意味するラム・ダスの名を授かる。これ以降、本名ではなくラム・ダスを名乗るようになる。

ラムダスの活動は多岐に渡り、ハヌマン財団を設立し、「プリズンアシュラムプロジェクト」を開始し、囚人に瞑想と精神性に目を向けることを奨励した。

71年にはインドでの体験をもとにマインドフルネスやポジティブシンキングについて論じた『ビー・ヒア・ナウ』を執筆し、多くの読者に影響を与えた。

BE HERE NOW
リアリー氏

一方のリアリー氏は当初、LSDは評判が悪いものだと認識していた。しかし試してみた結果、その体験は凄まじいものだった。
すべては自分の意識が作り出したものに過ぎないことを悟り、人々がアメリカに大量生産された操り人形であることに気づき、意識はエネルギーがダンスしているような状態に導かれ、生涯で最も強烈で生き方を変えてしまう体験だった。

人々は彼の積極的な活動を批判したが、彼はそれまでの堅苦しい社会制度、厳格な親や宗教から人々を解放したいだけであった。幻覚剤を通じて武器商人や第三次世界大戦を画策する者による歴史の流れを変革しようと確信していたのだ。

作家のケン・キージ(代表作『カッコーの巣の上で』)率いる、メリー・プランクスターズというサイケデリック集団と合流し、LSDパーティー通称Acid Testに合流し世界の旅に出たこともあった。
ビートルズの映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のモデルとなったと言われている。

かなり曲がってるバス

彼はサイケデリック革命の父として、ヒッピーやドラッグ文化支持者・芸術家の支持を集め、精神文化を謳う後のニューエイジ運動にも強い影響力を持った。

また、晩年は幻覚剤ではなくもっぱらコンピュータの可能性について語っていたため、サイバーカルチャーにも影響を与えた。

1983年、フューテック社(FUTEQUE)を創立。
自己診断と意思決定を行うための「マインド・ミラー」というソフトウェアを発表する。

リアリーの熱意は、R・U・シリアスたちにサイバーパンクやテクノロジーを取り扱う『モンド2000』誌を始めさせ、これはあの有名な『WIRED』誌へと発展。
また、SF作家のウィリアム・ギブスンもサイバーパンクのライターへと転向させた。

コンピューターは、創造性を高めたり意識を拡張し、サイケデリック体験を表示するのに適していると考えたのだ。
幻覚剤のような精神探索は行えないが、他者とのコミュニケーションのための新しい手段として用いることで人々の意識を深める手助けができる。

友人であるジョン・C・リリーによる、「脳はバイオ・コンピュータであって、国家や社会の枠にはめられた価値観を再度プログラムしなおすことができる」という理論に共鳴し、コンピュータによって価値観を再プログラミングさせようとした。

従来はテレビから一方的に情報が流されていたスクリーンの中を自分で操作することで、独自に脳をプログラムできる。テクノロジーによって個人の意思で情報が伝達できるようになり、距離も消去される。
本当の民主主義はモデムを通して行われるというモデムクラシーを提唱していた。

彼の人生はまさに目まぐるしいアメリカの近代史の中を生きたもので、内容の濃いWikipediaは必読だ。
▶︎ https://ja.wikipedia.org/wiki/ティモシー・リアリー

「大半の人は小さなフィルター越しに世界を見ている。
LSDを摂取すると意識が拡大し、
可能性や物の見方の数が劇的に増える」

60年代の中核であった地球保護運動と重なり、若者は幻覚剤で新たなカルチャーを作った。
米国では特にベトナム戦争と重なり、政府からはそのムーブメントが危険だと捉えられるようになった。これまでは素直に出兵していた若者が反抗するようになり、反戦や世界平和を唱え始めたからだ。

政府、そしてニクソン大統領は薬物やLSDを危険なものだとするプロパガンダを流し始め、1970年には法律で禁止され、研究も中止されるに至った。

この件についてホフマン氏は「米国に持ち込まれたことで奇跡の薬から悪魔の薬になった。米国の歴史のせいで一挙に遮られてしまった。」と述べている。

悪魔の薬として暗黒時代が30年続いたが、00年代初頭から研究が復活した。
ピーター・ガッサー氏を中心に研究者が世界の保健省へ求め、唯一スイスが書簡に応えたのだ。LSD発見に至った国が唯一認可したとは、偶然か必然か。本文冒頭のホフマン氏の台詞が思い出される。

試験にこぎつけるまでが大変だったが、ガッサー氏は
「スイスを広く支配するリベラルな思想や先入観にとらわれない倫理委員会のおかげで許可が下りた」
と認識している。

臨床試験が認可されたことについて、ホフマン氏は
「自分が開発した問題児の名誉回復を祝うことができて嬉しい。わたしの望みがかなった。わたしが生きている間に、LSDが医薬品としての地位を勝ち取ることができるとは思っていなかった」と語った。

なぜLSDが幻覚を引き起こすのかについては、未だに分かっていない。多くの支持を集めホフマンも支持していたセロトニン阻害説であるが、セロトニンを阻害するもののサイケデリック体験を引き起こさない物質(2-ブロモ-LSD)が存在するために確定的とは言えない。

「意識の原爆」とも言える脅威的な薬。奇跡となるか地獄となるか、未だに謎は多く残っている。


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sha
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