質疑応答
「そのバイタリティは、どこから来ているんですか?」
他学部潜りを趣味としてきた私は、今期「国語科教育法」の授業に参加させてもらっている。履修中の課程は社会科なのに、である。先日実習から帰り「国語科」でその報告をしていると、質疑応答で後輩からこの質問が飛んできた。
正直なところ、自分でもよくわかっていない。「上を見ればきりがない」という論理を封じたとして、なぜその印象を持たれるか考えるのは難しい。でも、学科の同期にも高校以来の友人にもそう言われるし、自分の特徴の一つに行動力(直訳なら「活力」だが)があるとは思う。その場でどう答えたかは忘れてしまったが、この質問にモヤモヤしたまま2週間ほど過ごしていた……。
まずは、近況をつらつらと。
①軽井沢合宿の話
授業直近で最も「行動力」らしい話といえば、学科で行った軽井沢合宿の話だと思う。
私が所属する史学科では、新入生の親睦を深めるため例年夏に合宿を行っていたらしい。しかしこのコロナ禍で宿泊が難しくなり、私の代と次の代では日帰り旅行が続いていた。ところが今年は落ち着きに伴い、その合宿が復活するというではないか。学部4年だし最後に行っておきたいと思っていたので、実習最終日に直行というトンデモ参加を決定した。(先生方、イレギュラーを認めてくれてありがとうございます。)
信濃追分駅から山道を徒歩25分。もう電灯もまばらで、スマホのライトを頼りに無理矢理向かったことをよく覚えている。そうして20時過ぎに着いたのだけれど、懇親会での教授の話が面白く来て良かったと感じた。経験則として「限界スケジュールを組んでまで行けば、何か有益なものが得られる」というのがあるが、今回もその通りになった。
翌朝からは、バスで信濃の史跡(上田城・信濃国分寺など)を巡った。やはり史跡は、歴史に詳しい人と行くのが一番だ。私は純粋な歴史モチベがあまりなくて、一人ではそんなに城などを見たいと思えない。例えば京都に行ったとて、一人旅なら寺社仏閣より映画村を選ぶと思う。それでも、こうした場で史料などを読むのは面白いし、詳しい人に解説してもらうことでより理解が深まる。みんなで行くことの価値はここにあるだろう。友人となら史跡に行くことはままあるが、あれも「話す楽しさ、聞く楽しさ」が大きい。(所謂「博物館デート」も、だからこそ成立すると思っている)
昼過ぎに軽井沢駅で解散。アウトレットで遊ぶ人たちもいたが、流石に疲れには勝てず新幹線に即乗車。オシャレ飯に並んでおけばよかったかなとも思うが、帰り道に食べたスシローが本当に旨かったので良しとしよう。
②お笑いライブの話
つい最近、大学の友人に連れられ「ルミネTheよしもと」に行ってきた。前から話題に挙がっており気になっていたので、互いに合った休日に連れて行ってもらった。
新宿という街も、そしてお笑いも、これまで私には馴染みがなかったものである。新宿は高校・大学ともに、東京の主要都市で唯一定期圏外の場所である。訪れる機会もそう多くなかった。「友人と映画を観るのに最寄りだからここを選ぶ」くらいで生活してきたので、店探しにもいつも手間取ってしまう。お笑いのほうはというと、“昭和のドリフは見るけれど”という、『月光仮面』と同じノリで楽しむようなありさまだ。思えば大隈詣の後半も、なんばグランド花月より先にUSJが浮かんでしまっていた。
複数あるルミネからなんとか2番を探し当て、7階にある劇場へ到着。満席の盛況だったが、チケットを取ってくれていたのでセーフ。前説で手を挙げたとき、4人に1人くらいは初めて来たとのことで、自分のような人も割といるんだなと安心した。
さて肝心のライブだが、非常に面白かった。元から知っていた芸人さんは半分ぐらいしかいなかったのだけれど、初めて見た方も含めてどれも圧巻だった。久しぶりにあんなに笑ったなぁ、と。所謂日常のネタが全てと思っていたら、スゴ技のジャグリングがあったり、あるいはトトロやフリーザなど「自分がよりわかるネタ」があったりと、細かな面でも楽しめた。確かにものまね等でも「元ネタ」が重要なはずで、それが思った以上に現代チックになっているなぁと感じた。この友人はいつも私に新しいことを教えてくれるけど、今回もいいものを得たなと思った。(実際、休み時間等にも色々解説してくれた。) 新宿のビルの上に、こんな世界が広がっていたとは。自分でもまた行ってみようと思う。神保町でも開催されているらしいので、そちらにも行きたくなった。
③現代ウルトラシリーズの話
昨日の話だが、今まで少し敬遠していた現代ウルトラマンを観たら気づきが大きかった。
『Q』を始まりとした昭和ウルトラシリーズについては、以前noteで好きだと書いたことがあると思う。ケムール人のようなホラー回、カネゴンのような示唆に富んだ回、そしてジャミラやノンマルトのような考えさせる回。その怪獣がなぜ現れたのか、あるいはウルトラマンがなぜ戦うのかなど、初期の作品群は道徳の教材としても通用するような作り込まれ方をしていると思う。とはいえ、自分が認識しているのはゼロぐらいまでで、最近のウルトラマンはどことないイロモノ感から敬遠しているところがあった。
今回観てみたのは最新作の『ブレーザー』ではなく、2020年の『Z』。“ご唱和ください 我の名を!”という例のキャッチコピーに惹かれた故のチョイスだ。オーズの如くメダルを選んで戦うところが新鮮かつ、そのメダルの元になっているキャラの多くが馴染み深い昭和ウルトラマンで違和感なく入っていくことができた。
特に心打たれたのは、第21話「D4」。「ウルトラマンに頼らず戦う」というテーマは、科特隊のペンシル爆弾(初代マン)然り、あるいは東光太郎(タロウ)が自ら選択したところ然り、ウルトラシリーズで度々問題になるテーマである。それが「科特隊(一般名詞)側の兵器の強化」という方法で受け継がれていることに、大きな感動をおぼえた。他の話だと、「2020年の再挑戦」もQらしくてよかった。現代ウルトラマン、おもしれーじゃん!!と思った一日だった。
そんな日々を過ごしながらあれこれ考えていたけれど、私にありそうなバイタリティを得る方法があるとすれば「自分の『おもしろい』に忠実に生きる」ということが大きな要素なのではなかろうか。
「なにごとも経験」というテーゼは、言い過ぎだと思っている。楽しいと思えるコンテンツ・思えないコンテンツというものは、やっぱり各人にあるはずだ。(例えば、話を合わせるためにJ-POPや韓ドラを摂取するのは私には無理だった。人の趣味としてはいいと思うけどね。) 自分の「おもしろい」の範囲でとことん突き詰めていき、そこで興味を持ったものは新しく開拓してみるとよいのだろう。原動力が好奇心だからこそ、あれこれ動けるものだとも思っている。
また開拓の過程では、それに詳しい友人たちによく助けられている。元来、人と話すことが好きなのだと思う。何かを得て、それがまたコミュニケーション手段になる。彼ら彼女らの魅力に囲まれて、「おもろい」が増えていくのを楽しんでいる。
そんなところで、最初の質問の答えとしたい。