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お祝いについての率直な感想

「人のお祝い事を下心なしに
喜べる人ってどれくらいいるんだろう?」
とふと考えてみました。

少し前に「漢方の勉強に専念する」と
投稿サボり宣言をして
そのまま投稿をサボりがちに
なってしまったSISです。

最近体調不良で
それを改善することに
頭がいっぱいになり
ネタを思いつくことがなかったのですが

ようやく体調が落ち着いてきて
掃除しながらふと思いついたことが
これでした。

私は以前バツイチ子持ちの人と
付き合っていた時に
(今も別のバツイチ子持ちと
 付き合っているのですが)
なんだか
こどもを連想されること全てが
私を鬱にさせました。

それはまだ私が
結婚とか初婚に拘っていた
からであり
諦めた今からすると
「なんでそんなに過敏だったんだろう」
と思うくらい
その時はこどもを見たくありませんでした。

だから知り合いにはネタで
「こどもは嫌い」とか
言っていました。

私はこの時に
なんとなくあった
「人のこどもをかわいいと
 言わないといけない圧」
に改めて強烈な嫌悪感を
抱いていました。

そして
「私のようなモヤモヤを抱えている人は
 本当に少数派なのか」
と考えた時に
「実は不妊治療をしている人も
 こどもの存在ってキツイんじゃないか」
と思いつきました。

とくに不妊治療をしている人が
友達からの妊娠報告を受けた時に
どれくらいの人が
心から喜べるでしょうか。

不妊治療をしているわけでもないのに
勝手に想像してしまいました。

心は思っていないのに
口では「おめでとう」と
思ってもいないことを
言わないといけない

そう考えると不妊治療って 
結構地獄だな
とか思ってしまいました。

最近知人からの妊娠報告を
受けた時に
そんなことを考えていたことを
私は思い出しました。

そして今何もそういったネックのない私は
以前より自然に
「おめでとう」と喜べたのですが
それと同時に
タイミングが違えばどうだったのかな
とも考えてしまいました。

結婚式もそうです。

以前私は失恋したタイミングと
友人の結婚式の誘いが被って
誘いを断ったことがあります。

こんなことを考えてしまう私は
なんて自分勝手だろうと
思う人もいるでしょうし
それなりに自分を責めたりもしました。

ですが人の幸せを祝えないことって
そんなに悪いことなのでしょうか。

そんなことを言う人は
本当に本当に
ほんっっっとうに
心から祝っているのでしょうか。

私はそうでもないと思っています。

少なくとも
祝うか祝わないかは
個人の自由であり
タイミングによっては
「自粛しろ」というのも
どちらの声が強いかの
違いのような気もするのです。

私は何事も強要はよくないなと
思っており
だからこそ
「私は上げたのにあの人はくれない
 非常識だ」
というのもその中に含まれると
思うのです。

それって結局下心だったんでしょ
とも思いますし。

悪気があって祝いを返せなかったのではなく
タイミング的に祝えないことなんて
生きてればたくさんあると思います。

私は元気な時は極力一緒に
喜ぼうと思います。

ですがそうじゃない時の
拒否権もあっていいと思っています。

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