帰省中の新幹線で感じたこと

大学生である筆者は長い長い夏休みに入り、数多のバイトを乗り越えようやく帰省できることになりました。その孤独な旅路で考えたことを書いていこうと思います。朝のさわやかな空気の中、室蘭市に別れを告げました。今回の旅のお供は伊丹十三の名エッセイ「ヨーロッパ退屈日記」です。前々からそのタイトルと70年前のヨーロッパの風景にひかれていたのですが、何となく先送りにしていたら最寄りの書店から姿を消してしまっていました。せっかく長旅なら紀行でも読もうと思いこの本を思いだしました。新函館北斗駅まで向かう中涼しい車内で読み進めているとはっとさせられた文章があり、それが

ホームシックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時にこそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。

伊丹十三著:「ヨーロッパ退屈日記」

というものである。この文章には自分の室蘭工業大学での生活態度を反省するきっかけになりました。室蘭という不便な都市に移住し、学歴もまったく誇れるものではなく、自信と今後の4年間への希望を失っていました。そんな自分の態度は大学と町への敬意を欠いたものでした。この言葉が無ければきっと自分は理想と現実のギャップに悩み、不貞腐れ続けてしまったかもしれません。何気なくこの本を読むのを先送りにしていましたが、自分に状況的にベストタイミングだったのは運命か何かかな(笑)そんな衝撃のなかで新函館北斗駅に到着しました。乗り換えまでの時間をランチで埋めようかと思い、外に出ましたが今日2度目の衝撃を受けました。駅の外にはホテル、道の駅、レンタカー屋ぐらいしかなく本当にここに新幹線が止まるのかと目を疑いました。その理由は新函館北斗駅に新幹線が止まるようになったのは8年前の2016年頃かららしく発展途中の駅だったからだそうです。これから4年間帰省の度に訪れるこの駅と自分がともに成長していくのかな。みたいなクサイことをランチのジンギスカン定食を食べながら考えていました。ここからは地元の仙台に向かうハヤブサの車内で思ったことを書いていきます。
高速で進む新幹線は数分ごとに新たな景色を提供してくれますが、回収するのも早く現代の私たちは車窓からの景色も高速で消費してしまうのかとインテリぶってみたのはいいものの新幹線は速いに越したことはないなという結論に至り大人しくドミニオン・オンラインに明け暮れました。

最後に仙台駅に到着したら大学の入学式以来の人混みに困惑しながらも帰ってきたと実感しました。この旅では地元の恋しさと室蘭での態度の酷さを実感しました。この2週間の帰省で自分磨いて室蘭での生活もレヴェルアップさせていきたいという所存です。


いいなと思ったら応援しよう!