因幡の白兎、神となり社に鎮座するまでの物語 7 白兎神、仏法を妨げんとする悪鬼と戦い、ついに故郷へ帰る話
ひらめきました!
剣を鞘に収めて、大急ぎで背中の袋から〝御教訓集〟を出して開いたのです。
「そんなもん、どうするのよ?」
悲痛な鉢巻きの問いに、わたくしは急いでまだ読んでいないところを片っ端から開きながら答えました。
「もしかしたら、どこかに呪いを解く方法があるかも。えっと〝夜目遠目傘のうち〟〝棚からぼた餅〟〝岡目八目〟〝花より団子〟……駄目だ〜!」
「きゃー、もう膝の上まで石よ〜!」
悲鳴を上げる鉢巻きと泣き出しそうなわたくしの前で、青鬼が手を叩いてはやし立てます。
「きゃっははは、そ〜ら、石になれ、石になれ〜、ぎゃはははは」
その馬鹿笑いを聞いているうちに、恐怖が消え怒りがこみあげてきて怒鳴ってしまいました。
「そんなに石が好きなら、おまえが石になれ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、開いた本から黒い風が小さな竜巻となって立ち上り、わたくしを包みました。
そしてすぐさま青鬼めがけて飛んでゆき、今度は青鬼を包んだのです。
呆気にとられましたが、青鬼も何が起きたのかわからないようです。
黒い風は青鬼の全身を覆い、さっと消えてしまいました。
目の前には、間抜けな表情を浮かべた鬼の形をした石像があります。
あわてて自分の足下を見ると、石化が解けて元通りになっていました。
「……え? ……どうなっているの?」
おそるおそる鬼の石像に近寄って、ちょっと叩いてみました。
コンコンといい音がして、完全に石になっています。
呆然としているわたくしの頭の上で、感心したような声がしました。
「なるほどね〜……そういうこと」
納得している鉢巻きに、あわてて尋ねました。
「どういうことですか?」
鉢巻きは、大きく息を吐き出しました。
「その本、どうでもいい諺ばかりが並んでいるだけだと思っていたわよ、あたしも。でもよく考えてみたら、オオモノヌシノカミ(大物主神)って、もんのすごく強力な祟り神でもあるのよ。その本には、相手にかけられた呪詛を跳ね返して相手にかけてしまう呪詛返しの効果があったんだわ。さすがね……」
目の前の石像と手にした本を交互に見比べてしまいました。
そんなに強力な呪詛返しの本をいただいていたとは……。
「ありがたいことです。でも、なぜ最初から教えてくださらなかったのでしょう? 修行を積まなければ発動しない力だったのでしょうか?」
すると鉢巻きはあっさり言い切りました。
「女を口説く以外にあの男がそんな手の込んだこと、するわけないでしょ? オオクニヌシノミコトと同じ。忘れていたのよ」
気が抜けたものの、とにかく本を袋にしまおうとしました。
その時、周囲がざわつきました。
「気をつけて、シロナガミミノミコト」
鉢巻きに言われるまでもなく、本を左手に持ったまま右手で梨割剣を抜きました。
ざわめきはだんだん大きくなり、ゆらりと黒い影が一体二体と現れます。
さっきの鬼と同じくらいの大きさの様々な色形の鬼が姿を現しました。
だいたい三十匹はいるようです。
大きい凶悪な顔つきの鬼たちに囲まれ、逃げ場がありません。
「おい、ウサ公、なめたまねしてくれるじゃねえか」
手前にいた一際大きな鬼が、低い声で唸ります。
どうやら、この鬼達の首領のようです。
わたくしは梨割剣を前に突きだして叫びました。
「おまえたちが毘沙門天や仏達を虐めている奴らか? この国で暮らしたければ卑怯なまねをするな。それは、ここの神々がもっとも嫌う行為だ。わたくしは友達になった毘沙門天のためにも、おまえたちの汚い行為は許さない」
鬼達は恐ろしげな顔つきで睨んでいますが、さっきの青鬼のようにからかう様子を見せません。
おそらく、どこかでさっきのやりとりを見ていたのだと思います。
ちらちらとわたくしの手にした〝御教訓集〟を警戒しつつ、距離を保っています。
しばらく睨み合いが続きましたが、首領格らしい鬼が他の鬼どもに命じました。
「呪詛は使うな。全員でかけても跳ね返される。その呪詛返しは、とてつもない。力尽くでやっつけろ。そのちっぽけな剣には、触れるんじゃねえぞ。触れたら最後、真っ二つだ」
驚いたことに、この外つ国の鬼はすぐに〝御教訓集〟と梨割剣の力量を見破っていたのです。
「来るわよ」
鉢巻きが、鋭い声をあげました。
鬼達はどこから出したのか、見たこともない奇妙なトゲのついた棍棒や槍のようなものや大剣を振り上げて、一斉に飛びかかってきます。
ウサギごときがとてもかなわないことは、明らかでした。
(こんな形でスサノオノミコトに再会するのか……ああ、根の国のウサギになる前に、もう一度因幡へ帰りたかった)
せめて一太刀でも反撃したいと思い、きっと鬼達を睨んで構えていると、目前を金色の閃光が走りました。
「あら?」
その光に触れたとたん、あんなに大勢いた大きな鬼達が一瞬で消え去りました。
剣を構えたまま呆然としているわたくしの横に、誰かが立っています。
「大丈夫か、シロナガミミノミコト?」
初めて見る立派な鎧甲に身を固めた神が、これも見たことがない先が三つに分かれた槍のような武器を手に、わたくしを見下ろしておられます。
「危ないところを、ありがとうございます。……あの、なぜ、わたくしの名前をご存じなのですか? どちらさまでしょう?」
すると、その神は微笑まれました。
「もう忘れたのか? さっき会ったろう?」
その声には聞き覚えがあります。
「まさか、毘沙門天?」
驚きました。
もう、今日は何回驚いたでしょう。
本と剣を手にしたまま呆然としているわたくしに、毘沙門天は優しくおっしゃいました。
「間に合ってよかったよ。さっきは誰かに見られているような気がしていたんだが正体がわからず、観世音菩薩のお側に控えながらずっと君の様子に耳を傾けていたんだ。悪鬼に連れ出されたと気づいてすぐに追いかけてきたが、まだこの国の〝神の道〟の勝手がよくわからなくて手間取ってしまった。俺に関わったばかりに危ない目に遭わせて、すまなかった」
それを聞いて、梨割剣と本をしまいながら目を伏せてしまいました。
「とんでもありません。むしろ、ちょっと悲しいです」
「悲しい?」
問い返される毘沙門天に、照れくさい思いでお答えしました。
「わたくしが強い武神なら、あなたや仏を追いかけてきてまで虐めるような連中をやっつけられたのに、逆にあなたに助けていただいて申し訳ないですよ」
毘沙門天の目が、見開かれました。
「どうして会ったばかりの俺や仏のことを、そこまで心配してくれるんだ?」
「あなたは言ったでしょう、お友達だって……友達のために卑怯な奴と戦うのは、当然ではありませんか」
わたくしは己の脆弱さを恥じつつ、武装した立派な神を見上げました。
こちらを凝視しておられた毘沙門天が、ふっと笑いをこぼされました。
「そうか、友達か……ありがとう、シロナガミミノミコト」
「どういたしまして」
毘沙門天が持っておられた武器を一降りされました。
空間に亀裂が入り〝神の道〟が現れ、一緒に入りました。
「俺の仲間達がこの国まで追いかけてきた仏敵を全て片付けたから、もう道は安全だ。このまま無事に旅を続けられるだろう」
「はい、どうもありがとうございます……あの……」
「うん? 何だ?」
少しためらいましたが、思い切ってお尋ねしました。
「因幡へおいでになることはあるでしょうか? わたくしは土地神ですから、そうそう出歩くことはございません。あなたが……もちろん仏達も因幡にお立ち寄りになることがあれば、おいしいお酒やご馳走をご用意しておもてなしをしたいのです。強い立派な神様や仏にこんなお誘いをするのは、図々しいでしょうか?」
言い終えてもじもじしているわたくしに、毘沙門天が静かにお答えになりました。
「その誘い、ありがたくお受けしよう。仏達にもお伝えしよう。いつと約束はできないが、必ず因幡へ訪ねて行こう」
「わあ〜、お待ちしています」
嬉しくて、大きく口を開けて笑ってしまいました。
「俺は観世音菩薩の許へ戻る。また会おう、シロナガミミノミコト」
「はい、きっとまたお会いしましょう」
毘沙門天は優しい微笑をお見せになられてから、くるりと背を向けられます。
そして、あっという間に姿が見えなくなってしまいました。
わたくしは、また因幡への道を歩き始めました。
今日はびっくりすることの連続でしたが、外つ国から来たお友達ができて嬉しゅうございます。
「毘沙門天や仏達がおいでになったら、できるだけおもてなしをしよう。他国で虐められてきた可哀想な方々だし……」
心の中で固く誓い、元気に故郷へ向かったのです。
ひたすら故郷へ向かって歩いている途中で、鉢巻きがしみじみと言いました。
「あなたって、不思議な神よね〜。オオクニヌシノミコトがよくしてくれるのは、わかるわよ。深い関わりがあったんだし。だけど、あのスサノオノミコト、オオモノヌシノカミ、それにタケミナカタノカミ、毘沙門天、みんな、あなたのことを気に入ってるし……人気者ね」
「そんなことありませんよ。皆様、本当にいい方ばかりで新米のウサギ神に親切にしてくださって、ありがたいです」
なぜか、鉢巻きの声が暗くなりました。
「あなたが愛されるウサギだから、みんなが良くしてくれるのよ。うらやましいわ。それに引き替え、あたしなんて用済みになればイザナミノミコトにしまい込まれて、オオクニヌシノミコトやスセリビメに使われても置いていかれて、スサノオノミコトには厄介払いされて……傷つきやすいからっていうだけで、めんどくさいって思われて……どうせ、あたしなんて、あたしなんて……ふふ、ふふふ、ふふ……」
あ〜、また乾いた笑いと共に、頭がズモーンと重いです。
「鉢巻きさん、わたくしはあなたがいてくれたおかげで、どんなに心強くて助けられたか……元気を出してくださいよ。わたくしはまだ至らないから、みなさんが心配して手助けしてくださるんです。イザナミノミコトは、あなたが充分に力を発揮する場が根の堅州国にないから、『下手に使ったら領巾に申し訳ない』って思われて片付けたんですよ。スサノオノミコトもあなたに一目置いているから大切にしまっておいて、わたくしが頼りないから『この領巾を付けてやろう』と思われたんですよ。ほら、スセリビメだって『忘れた』っておっしゃったじゃないですか」
「……何とでも言えるわよ……」
わたくしは、必死に考えて鉢巻きの長所をあげました。
「考えてもみてくださいよ。あなたの力は、蛇や虫や炎までもはらえるんですよ。そんなに能力の高い領巾が他にありますか? 自信を持ってください」
「……そうかしら……」
「そうですとも」
力強く断言したので、ようやく鉢巻きは機嫌を直したらしく、頭が軽くなりました。
ほっとしたものの、重大なことに気づいて愕然としました。
わたくしはこれから因幡へ帰って鎮座し、ウサギ神としてヤカミヒメと共同事業を始めるのです。
鎮座、すなわち社にデンと腰を据えて因幡を見守るのです。
ということは、この先ずーっと鉢巻きはわたくしの社に同居。
ずーっと一緒。
ずーっと、ずーっと……
キャー!
(ど、ど、ど、どうしよう。このまま、この鉢巻きと永遠に一緒? この先も鉢巻きの落ち込みにつきあって、その度ごとに慰めて、励まして……めんどくさ〜)
〝神の道〟の真ん中で、立ち止まってしまいました。
懐かしい因幡を目前にして気がついた過酷な現実。
スサノオノミコトやスセリビメ、おそらくイザナミノミコトも敬遠した、めんどくさい性格の鉢巻き。
たかだかウサギごときが、この先もおつきあいできるものでしょうか?
いえいえ、無理です!
わたくしは必死に頭を絞りました。
わずかの智恵も残さないよう頭の隅々からかき集め、総動員して考えました。
ついに決心して、ずんずん道を急ぎ〝神の道〟を通り抜け、暗い坂へ出ました。
桃の香りがします。
そう、黄泉比良坂へ出て、根の堅州国へ向かったのです。
こうして再び黄泉の国に入りました。
今度はコツをつかんでいますので、醜女や醜鬼に会っても「スセリビメ」の名を出して通ろうと決めていました。
しかし皆、こちらを見るなりササッと離れてゆきます。
はい、決してわたくしを怖れているのではございません。
遠くからこそっと「あのウサギ、スセリビメの……」というささやき声が聞こえますから、以前来たときの情報が広く行き渡っているようです。
さすがはスセリビメ……あ、いえ、その……スサノオノミコトの娘さんですよね、ははは……。
まっすぐにスサノオノミコトの宮殿へ向かい、門のところに若い番人らしき者がいるのに気がつきました。
こちらから声をかける前に、番人が話しかけてきました。
「シロナガミミノミコトですよね? スサノオノミコトにご用でしょうか?」
「はい、お会いできますか?」
「どうぞ、こちらへ」
案内されて懐かしい宮殿の中へ入り、先導してくれる番人に尋ねました。
「よく、わたくしがわかりましたね」
「以前おいでの時に僕は不在だったのですが、後で皆から聞きました。スサノオノミコトがあなたとお会いになって、たいそうあなたを気に入られたらしく、しばらくご機嫌だったのですよ」
ちょっと考えてしまいます。
それって、この鉢巻きをわたくしに巻いて旅立たせ、せいせいされたからではないのでしょうか?
ああ、いえいえ、そんなことはありますまい。
この強力な魔除けの鉢巻きをくださって、ありがたいことでございます。
すぐさま、以前に通されたお部屋へ着きました。
座って待っている間に、壁に張ってある大きな絵を眺めていました。
イザナミノミコトが正面で腕組みをしてお立ちになり、その周囲を祖先神や生まれ変わる人々が取り囲んでいる絵でございます。
〝己自身を浄化せよ!〟の文字と来月の日付、そして〝スサノオノミコトの宮殿にて特別講演会〟と書かれています。
来月もまたスサノオノミコトは、受付と白湯や果物配膳係をなさるのでしょう。
お気の毒に思いつつ待っていたら、すぐにあの懐かしい根の堅州国の支配者がおいでになりました。
お座りになって、嬉しそうにおっしゃいます。
「シロナガミミノミコト、久しぶりだな。もう会うことはあるまいと思うていたが、元気そうで何よりだ。わざわざここへ来るとは、因幡で何かあったのか?」
「いいえ、まだ戻っておりませんので、因幡が今どうなっているのかはわからないのです」
わたくしの答えにスサノオノミコトはひどく驚かれました。
「まだ戻っていない? では、因幡で鎮座していたのではないのか? もうとっくに、縁結びと皮膚病とフサフサの神になっているとばかり思っていたぞ」
「それが、たいへん寄り道をいたしまして……」
そして、この国を出て三輪のオオモノヌシノカミに文を届けたこと、その後のいろいろな出来事をお話しいたしました。
黙って聞いておられたスサノオノミコトが、大きなため息をつかれました。
「なんともまあ、とてつもない旅をしたものよ。まさか諏訪まで行って、おまけに仏に仕える神にまで会ったとは……いやはや、ウサギとは思えん大冒険ではないか」
「冒険などするつもりはなかったのですが、結果的にこうなりまして……でも海辺育ちのわたくしには、諏訪の田園生活ができたのは貴重な経験ですし、〝神の道〟で毘沙門天とお友達になれたのも嬉しゅうございますし」
スサノオノミコトが、大声で笑われました。
「護法神と友達か……ははは、これはいい!」
「護法神?」
聞き慣れない言葉に首を傾げてしまいました。
スサノオノミコトが、笑いながらおっしゃいます。
「仏に仕え、仏道に入り、仏の教えを守護する神のことを護法神というのだ。おまえが出会った毘沙門天もそうだよ。護法神の中でも選りすぐりの強い神だ」
「そうでしたか。道理で凶悪な鬼達を一瞬で始末しておられました」
感慨深く思い出しました。
他国で虐められ苦労された可哀想な方ですが、とてもお強いですよね。
わたくしは、ふと思いついてお訊きしました。
「仏や護法神のことを、以前からご存じだったのですか?」
「いいや」
スサノオノミコトはあっさり否定されました。
「生者の国に仏の教えが入ると同時に、仏や護法神もご自身で大和国へおいでになってな、この根の国へもやって来られた。ここへいらしたのは、地蔵菩薩という仏様だった。お話をうかがって、これはすごいお方がいらしたものだと感服したよ。母上もおいでだったのだが、感激なさって協定を結んだんだ。互いに協力して、この国を豊かにしようと。こちらの手打ちは早かったが、生者の国はいろいろな神がいるから面倒なんだろう。それでも、いい教えだ。きっと受け入れられよう」
「さようでございましたか。少しうかがいましたが、難しくてわかりませんでした。でも他国で虐められて苦労されたようなので、仏や仏に仕える神が因幡においでの際にはおもてなしをしようと決めまして、毘沙門天と約束いたしました」
スサノオノミコトは驚いたようにわたくしをご覧になりましたが、すぐに破顔されました。
「ははは……おまえらしいな。だが、それはよいことをした。仏や護法神がみえたら、もてなしてさしあげよ」
「はい」
スサノオノミコトが、思い出したように明るくおっしゃいました。
「そうだ、昨日生者の国から遣いが来て、酒を置いて行った。これならおまえも飲める。再会を祝って一杯やろう」
召使いを呼ぼうとされたので、あわてて申し上げました。
「その前に、こちらへ参りました用件をお聞きくださいませ」
「そうだったな。で、なぜ、因幡へ帰る前に、わざわざここへ来たんだ?」
わたくしは鉢巻きをほどき、丁寧に畳んで、そっとスサノオノミコトの前に置きました。
そして怪訝なお顔の大神様に、深々と一礼してから申し上げたのです。
「貴重なイザナミノミコトの領巾をありがとうございました。神の修行を終えまして、因幡に鎮座いたします。それゆえ、この鉢巻きをお返ししようとうかがったのです」
スサノオノミコトのお顔から、ザザーッという効果音が聞こえそうなほど血の気が引いてゆきました。
まるで化け物でも見るような目つきでわたくしを見ておられましたが、すぐに引きつった笑いを浮かべられます。
「ははははは、何を言っているんだ、シロナガミミノミコト。これは、おまえにやった鉢巻きだ。因幡へ巻いて帰るがいい」
そして畳んだ鉢巻きをわたくしの前に押し出されました。
もちろん急いで押し返しました。
「めっそうもございません。ただの鉢巻きだと思っておりましたが、畏れ多くもイザナミノミコトの領巾で、しかもあらゆる虫や蛇や炎まではらう宝物と知り仰天いたしました。わたくしの旅を助けるために巻いてくださったのでしょうが、もう鎮座いたしますのでこれはお返しいたします」
大きながっしりとした大神様の手が、また鉢巻きをわたくしの方へ押し出されました。
「いやいや、ここに置いておいても、この領巾の活躍する場はない。これまで一緒に旅をしてきたのも、おまえたちの相性が良いからだ。さあ、持ってお行き」
小さなウサギの手が、丁寧に押し戻します。
「そんなもったいない。元の持ち主のイザナミノミコトもいらっしゃるのですから、どうぞこちらへお納めくださいませ」
スサノオノミコトが、また押し戻されます。
「気にすることはない。母上とて気にはされぬ。因幡へ持ってゆけ」
わたくし、またお戻しします。
「そんなだいそれたこと、わたくしには、とても……」
大神様は、しつこく戻してこられます。
「謙虚さは美徳だが、遠慮しすぎるのはかえって不遜。さあ、持ってゆけ」
わたくしも負けずに押し返します。
「遠慮ではございません。分相応を守っているだけでございます。うぬぼれは身を滅ぼします。このような素晴らしい領巾は、スサノオノミコトの宮殿にあるのがふさわしゅうございます。わたくしのようなウサギ神の社になど、もったいない」
スサノオノミコトのこめかみに汗が流れており、強引に押し返してこられます。
「ここは死んだ国だ。かように強力な領巾は、おまえのような陽の当たる生者の国で、これから未来を開くのにふさわしい神と共にあるべきなのだ。さあ、この領巾と共に前へ進め」
力を込めて、わたくしも押し返します。
「未来といっても、わたくしのすることは縁結びと皮膚病とフサフサへの御利益でございます。その程度のことに、この鉢巻きの力はもったいなさすぎです。どうぞこちらへ置いて、わたくしなどよりもふさわしい神へお譲りくださいますように」
厳ついお顔が、必死に作り笑いを浮かべておられます。
「何を言うか、シロナガミミノミコト。おまえのこれからの仕事に、どこで妨害が入るかわからんのだぞ。もしかしたら、蛇やムカデがおまえの縁結びを邪魔しに来るかもしれん。その時、これがなければ困るだろう。さあ、持ってゆけ」
わたくしも作り笑顔で反論しました。
「いえいえ、縁結びの邪魔に蛇もムカデも来ませんから、どうぞご心配なく。それよりも、こちらの宮殿には蛇の部屋もムカデと蜂の部屋もありましょう。万一、奴らが暴走して飛び出したら、それこそこの鉢巻きがなければたいへんではありませんか。ささ、どうぞおしまいください」
「いや、蛇もムカデも蜂も、しっかり閉じ込めてあるゆえ全く問題ない。さあ、おまえが、持ってゆけ」
「そんなだいそれたこと、わたくしには、とても……」
「そう言うな。頼む。持っていってくれ」
「ご遠慮いたします。わたくしにはこの鉢巻きを持つ資格などございません」
「いや、おまえこそ、持ち主にふさわしい」
「いえいえ、大神様であられるスサノオノミコトこそふさわしいお方。わたくしなんぞ、持ち主になる価値はございません」
「いいから、気にせずに持ってゆけ」
「めっそうもない、そんな分不相応なことは、できません」
必死に押しつけあっているうちに、それまで黙っていた鉢巻きがぼそりと言いました。
「そう、それがあなた方の言い分なのね……本音なのね……」
『しまった、また落ち込む』と思ったのは、わたくしだけではなかったらしく、スサノオノミコトもあわてておられます。
どうなだめようかとおたおたしてしまいましたが、急に鉢巻きが光りました。
「え?」
スサノオノミコトとわたくしは、異口同音に声を上げました。
光を放ちながら鉢巻きがふわりと浮き上がり、一羽の優雅な鳥の姿になったのです。
呆気にとられている大神様とわたくしに向かって、鳥に化身した鉢巻きが言いました。
「そうよね、あたしって、たいそうな力を持っているのよね。自信がもてなくてくよくよするなんて、バッカみたい。あなた方が言うとおり、あたしは特別な力を持っている優れた存在なんだわ。ねえ、スサノオノミコト、シロナガミミノミコト、あたし、自分の力で飛び立って、自分で見込みのありそうなのを選んで鍛えたいのよ。前から思ってたんだけど、生者の国でもイザナミノミコトに協力して神や人間どもの修行を手伝ってやった方が効率がいいんじゃないかって。なかなかそれだけの器量を持った指導係がいないから、イザナミノミコトが苦労しているわけで。それなら力のある昔なじみのあたしが神や人間を育てる手伝いをしてやればいいわよね。どうかな?」
「それは素晴らしい!」
また大神様とわたくしは、一緒に叫びました。
「そうだ、おまえにはそれだけの価値があるのだ。領巾よ、遠慮はいらん、どうぞ自由に羽ばたいておくれ」
スサノオノミコトが、満面の笑顔でおっしゃいます。
「あなたには、そういう大きな生き方が似合いますよ、鉢巻きさん。わたくしは、もう因幡でちんまりと社に籠もる暮らしが待っているだけですから、どうぞあなたは広い世界へおいでください。あなたには、それがふさわしいですよ」
わたくしも顔中を笑みで満たして賞賛しました。
元・鉢巻きだった鳥が、わたくしににっこりしました。
「ありがとう、シロナガミミノミコト。あなたのおかげで、あたし、自分に自信が持てるようになったわ。本当なら恩返しにあなたについて行くのが筋かもしれないけれど、今はいろいろな場所で思う存分自分の力を発揮してみたいって気分なの。ごめんなさいね」
「とんでもない! あなたには、どれほど助けられたことか。どうぞ、わたくしのことはお気になさらず、あなたの助けを必要としている方々の傍にいてあげてください」
「本当にあなたって、いいウサギ神よね。元気でね、シロナガミミノミコト。あ、ついでにスサノオノミコト、イザナミノミコトによろしく言っておいて。じゃあね」
鳥は、ふわりと庭に面して開いている戸口へ飛んでいきました。
スサノオノミコトとわたくしは立ち上がって戸口まで行き、飛び去ってゆく元・鉢巻きの鳥に、顔中に笑いを貼り付け大きく手を振りました。
「元気でな〜。こっちは心配しなくていいから、思う存分どこかでがんばれ〜」
「因幡のことは大丈夫ですよ。ありがとう、鉢巻きさん、たくさん活躍してくださいね〜」
必死に手を振っておりましたが、鳥の姿が完全に見えなくなってから我々は同時に手を下ろし、嬉しくてしかたのない顔を見合わせました。
スサノオノミコトが、右手の親指と人差し指で輪を作られ、クイと手前に動かされました。
「やるか?」
「はい」
わたくしは、今度は心の底からほっとした笑顔でうなずきました。
そして大神様と共に生者の国のお酒で鉢巻きの厄介払い、いえ新たな旅立ちのために祝杯をあげたのでございます。
鉢巻きの出立を祝う酒盛りは延々と続きまして、気がつくと大神様と一緒にお部屋の真ん中で寝ておりました。
どちらの身体の上にも上等な布がかけてあったのは、召使いか侍女がお腹を冷やさないようにと配慮してくれたのでしょう。
スサノオノミコトも目を覚まされ、二人でもそもそと起き上がって顔を見合わせ、照れ隠しにニイと笑ったのでございます。
すぐに身支度を調え、わたくしは大神様にお別れを申し上げました。
「今度こそ因幡へ帰ります。大変お世話になりまして、ありがとうございます」
「いや、こっちこそ礼を言うぞ。あの母上でさえもてあましていた領巾、いや、まあ、なんだ、新しい旅立ちを見送ったことだし、おまえの尽力があってこそだ」
「どうぞお健やかに……と死の国の支配者の方に申し上げるのもなんですが……」
「おまえは元気でやれよ。さてと今度は因幡へ抜ける道だな。こっちへ来い」
そうでした、根の堅州国にはあちこちへ通ずる道があったのでした。
今回はスサノオノミコトはお庭に出られず、奥まった部屋へと向かわれます。
やがて、がらんとした小部屋に着きました。
天井にハシゴがかけられておりますが、その先が見えません。
「さあ、このハシゴを上ってゆけ。そうすれば因幡の海岸に出る」
わたくしは先端の見えないハシゴの前で、スサノオノミコトに丁寧に頭を下げました。
因幡へ帰れる喜びと、このお優しい大神様とお別れする寂しさで胸がいっぱいでした。
そんな気持ちを察してくださったのでしょうか、スサノオノミコトが優しく促されます。
「さあ、行け。おまえの帰りを待っている者達がいるのだぞ」
「はい」
掠れた声で何とか応じてから、もう一度丁寧に頭を下げ、ハシゴを上ってゆきました。
長い長いハシゴです。
途中で下を見ましたが、ハシゴの足下が見えなくなっています。
それでも、少しも恐いとは思いません。
そのまませっせと上ってゆき、それに伴って少しずつ明るくなってきました。
潮の香りがしてきて波音が聞こえてきます。
「わあ〜」
大きな岩の間に出ました。
するりと通り抜けると、そこは懐かしい見慣れたきれいな海岸です。
「……帰ってきたんだ」
思いっきり息を吸い込みました。
潮の香りとちょっと湿った空気が鼻孔をくすぐります。
突然、海から声がしました。
「シロナガミミノミコト、お帰りなさい」
波間から大勢のワニザメが顔を出して、こちらを見ています。
一番近くにいたワニザメが、丁寧に頭を下げました。
「無事に帰られて、心からお祝い申し上げます」
それに続いて、他のワニザメも頭を下げます。
わたくしも丁寧に一礼しました。
「どうもありがとうございます。迎えに来てくださるなんて、感激ですよ。ご親切に……」
すると口上を述べたワニザメが、恐縮したようにヒレをパタパタさせました。
「とんでもありません。あなたの毛をむしってしまったのに許してくださって、こちらこそありがたいと思っております」
「えっと、あなたは、わたくしの毛をむしったワニザメさんとは、どのようなご親戚なのですか?」
以前会ったワニザメ達の『どこまで続くのか?』という親戚関係を思い浮かべて尋ねますと、相手のワニザメが顔を伏せ小声で答えました。
「俺があなたの毛をむしったんです。本当にごめんなさい」
わたくしは波打ち際ぎりぎりまで行って、丁寧に頭を下げました。
「こちらこそ、島からこの浜辺へ渡りたくて、あなた方を騙したのですから悪いのはわたくしです。どうぞ、気になさらないでください」
ワニザメはそっと顔を上げて、にっこりしました。
「ありがとうございます、シロナガミミノミコト」
「これからもよろしくお願いしますね、ワニザメさん」
わたくしたちの会話を聞いていた他のワニザメが、一斉に嬉しそうな声を上げてヒレで水面を叩きました。
毛をむしったワニザメが、明るい声を上げました。
「さあ、あちらへどうぞ。皆様が、お待ちかねです」
ヒレで示された方に、大勢の神々や動物たちがいるのに気がつきました。
一番前におられるのは、ヤカミヒメです。
わたくしは、走り出しました。
ワニザメたちも、わたくしに並んで海岸線を泳いでいます。
だんだん、待っている方々の姿がはっきりしてきました。
ヤカミヒメが手を振っておられます。
周りにいるのは、この近辺の神々、あの最初にわたくしのところへ来た雉を含めた文遣いの雉たち、そして因幡に住む動物たちです。
全速力で走り、わたくしはヤカミヒメの前に立ちました。
するとこちらが口を開く前に、ヤカミヒメがおっしゃいました。
「お帰りなさい、白兎大明神」
神々や雉や動物たちも一斉に叫びました。
「お帰りなさい、白兎大明神」
すぐにわかりました。
白兎大明神、それがこの地に鎮座するわたくしの新しい名前なのです。
「ただいま、ヤカミヒメ、皆さん、やっと帰ってまいりました」
わたくしはこぼれるような笑顔で、挨拶をしました。
ようやく因幡へ帰ってきたのです。
出迎えてくださった方々が、わたくしが昔住んでいた巣穴近くへ案内してくださいました。
そこには新しい社があります。
「どの神様のお住まいなのですか?」
お尋ねしたところ、ヤカミヒメがにっこりと神社名を指さされます。
そこには〝白兎神社〟の文字が!
そのまんまじゃないかと言われそうですが、神の名前同様、神社の名前もたいていそのまんまでございます。
「……わたくしの……ために?」
あまりにも意外なことにうろたえていると、出迎えてくれた神の一人がおっしゃいました。
「はい。オオクニヌシノミコトから『シロナガミミノミコトのための神社を造っておくように』とのご命令がありましたので、ご用意しておきました。スサノオノミコトからは、『今日、シロナガミミノミコトが帰る』とお知らせがありましたので、海岸で待っていたのです」
わたくしは何という幸せ者でしょう!
大神様達のご厚意と、ヤカミヒメや地元の方々のあたたかいお心遣いに泣きそうになりながら、わたくしは皆様に促され新しい自分の住まいへ入りました。
そしてヤカミヒメとの約束通り新事業を立ち上げ、縁結びとフサフサを含む皮膚病、さらに今は動物の医療にも御利益を与えているのです。
因幡に鎮座した後、ヤカミヒメに申し上げたことがございます。
「白兎大明神という名は気恥ずかしゅうございます。わたくし、ちっちゃなウサギ神ですし……」
すると、ヤカミヒメは真面目な顔でおっしゃいました。
「あら、それは大冒険をした白ウサギの神という意味ですよ。そのまんまでしょ」
確かに、ウサギとしましてはたいそうな冒険をしてまいりました。
何だか腑に落ちない気もしましたが、そのままありがたくその名を使わせていただきました。
今は、兎神とか大兎大明神とか他の名前でも呼ばれておりますが、どの名前でもわたくしに変わりありません。
社に落ち着いてから、あの〝危険を察知する勾玉〟のことをヤカミヒメにお話ししました。
勾玉の効果と外つ国からの鬼と毘沙門天の事件について語ったところ、黙って聞いておられましたがポツンと一言。
「あれに、そんな効果があったのね〜」
「ご存じなかったのですか?」
「だって、お裁縫箱に残っていたから作ったのよ。きれいだなって思って……意外ね〜」
本当に残り物で作っただけで、あのような効果があるとは気づいておられなかったのでした。
そうそう、毎年十月に出雲大社で日本中の神々が集まる習慣ができたとき、出雲でオオクニヌシノミコトとオオモノヌシノカミとお話しして脱力したことがございます。
初めてお会いしたとき、オオモノヌシノカミは梨割剣がどんな物体をも即座に切断する鋭い切れ味の剣で、鉢巻きが強い害虫や蛇や火の防御呪布だと、一目で見抜かれていたそうです。
オオクニヌシノミコトも『一日一訓 御教訓集』が、強力な呪詛返しの本だとすぐに理解されていたのだとか。
スサノオノミコトも梨割剣の力を見破っておいでだったので、並外れた力を持つ呪布をくださったのでしょう。
もちろん厄介払いのお気持ちもあったでしょうが。
オオクニヌシノミコトもオオモノヌシノカミも「もらったときに、説明を受けているだろう」とお考えになって、あえて何もおっしゃらなかったそうです。
わたくしが「最初に詳しくお話ししてくださればよかったのに」と申し上げると、お二人そろって「言ってなかったっけ? ……あ、忘れてた!」とおっしゃいまして、タケミナカタノカミと鉢巻きの言葉が正しかったことを再確認したのです。
今でも、わたくしの社には梨割剣と『一日一訓 御教訓集』が大切にしまってあります。
普段は手にすることはありません。
年に一度、出雲へうかがうときに、昔の装束を身につけ、梨割剣をさし、スセリビメのお弁当袋に本を入れていきます。
時代の移り変わりと共に、わたくしの服装も少し変わりました。
今はたいてい白い単衣に袴ですが、十月のお出かけはヤカミヒメに作っていただいたあの衣装です。
一度、洒落っ気を出してタキシードでうかがったことがありました。
ところがわたくしの姿をご覧になったとたん、オオクニヌシノミコトはわたくしの額に手を当てられて「大丈夫か? 何か悪い物を食べたんじゃないか?」とお訊きになり、すぐさま宮殿の奥に布団を敷くように命じられ、強制的に寝かされたのでした。
わたくしは隙を見て起き上がろうとしましたが、すぐさまスセリビメに見つかりラリアットで沈められ強引に安静を申し渡されたのです。
ヤエコトシロヌシノカミが、枕元で〝ぴーたー〟だの〝みっふぃー〟だのというウサギが出てくる外つ国の絵本を読んでくださいました。
オオモノヌシノカミも時折おいでになっては、最近の女の子との恋話を聞かせてくださいました。
このお話は、わたくしよりもヤエコトシロヌシノカミの方が熱心にお聞きになっていましたが。
ようやく起きてもよいとお許しが出た後も、全国からお集まりの神々が心配そうにわたくしに話しかけられるので恐縮してしまいましたよ。
おいしいものやお酒を手にするとスセリビメが手早く梅干しのお粥にすり替えてしまわれるので、因幡へ帰るときにはげっそりやせておりました。
白兎神社に戻った後も、相次いで各地の神々から薬草やらおつむの病気のためのお神札やお守りが送られてきて、二度と変な洒落っ気は起こすまいと決意し、翌年からはまた上代の衣装でうかがうことにしたのです。
思えば、長い年月が経ちました。
ヤカミヒメはすっかり職業婦人もといキャリアウーマンとして活躍中で、この辺りの神々の相談役もしておいでです。
スセリビメは〝芸術的花あしらい〟今で言うアートフラワーにはすぐに飽きてしまわれ、その後はガーデニングや家庭菜園を楽しんでおいでです。
たいそうお気に召したらしく今も続けておられ、毎年、野菜や果物の収穫物を、わたくしの社にも送ってくださいます。
現代は多種多様な野菜や果物がこの国に入ってきます。
梨やブドウや桃のように大昔からある果物も好きですが、ニンジンやリンゴがこたえられないのは、ウサギ好みの味だからでしょうか。
スセリビメは毎年新しい花、野菜、果物が外つ国からやってくるので、飽きずに続けておられるのかもしれません。
昨年はじゃがいもの栽培をなされ、今の日本国にあるすべての種類のじゃがいもをお作りになっていましたが、今年は珍しい外つ国の野菜に凝っておられるようです。
白兎神社にも、エンダイブ、パースニップ、ロメインレタス、ルッコラ、チコリ、アーティチョークなどがどっさり届けられました。
ウサギのわたくしにはどれもおいしく、せっせといただきまして、心から御礼を申し上げたのでした。
オオクニヌシノミコトは、このようなカタカナ野菜はあまりお好みではないようで、かといってスセリビメに逆らうことはできず、いえ、なさらない方ですから「シロナガミミノミコトが喜んでいるから、もっと送っておあげ」とおっしゃったとか。
おかげさまで例年よりも大量の新鮮な野菜が届き、わたくし、ホクホクです。
あの鳥になって飛び去った鉢巻きは、風の便りではすっかり強気な性格に変わり、頼りない神や人間を叱咤して鍛え上げているとか。
さすがはイザナミノミコトの領巾でございます。
仏や護法神の方々はすっかりこの国に根を下ろされて、仲良く暮らしておりますしね。
そうそう毘沙門天が訪ねてくださったのですよ。
普段は神仏が住まわれる須彌山においでで、時折こちらの出張所、人間達が言うところのお寺においでですが、わたくしのことも忘れずに来てくださいました。
大喜びで、因幡の海の幸、山の幸、お酒をそろえておもてなしをいたしました。
毘沙門天も楽しんでくださったようで、丁寧にお礼を言ってくださいましたから嬉しゅうございます。
わたくし、毘沙門天や仏達を他国で虐められて可哀想だと思っていたのですが、どうもそうではないと後で知りました。
毘沙門天が白兎神社に訪ねてきてくださったとき、誤解していたことをお詫びしましたが、「その気遣いが嬉しかった」と言っていただきました。
本当に寛大ないい方です。
これが、因幡の白ウサギがウサギ神として鎮座するまでの長い道のりのお話でございます。
わたくしのささやかな体験が、皆様の暇つぶしにでもなれば良いのですが。
……あ、ちょっと失礼。
お待たせしました。
ヤカミヒメからDMで「三人送ったから縁結びを頼む」とのことでした。
はい?
受信音が、そのまんま〝うさぎ〟ですねって?
ええ、ずいぶん以前に初めてケイタイを持って出雲へ行ったら、他の神様達が真剣に着メロを考えてくださって、全員一致で〝うさぎ〟になったんです。
電話の着信は、〝ウサギのダンス〟なのですよ。
そして昨年スマホに変えて一度音楽を変えたのですが、皆様に「おまえさんは、〝うさぎ〟と〝ウサギのダンス〟が一番似合う」と言われまして、相変わらずこれなんです。
ちなみに文遣いの雉たちは、昔通り文遣いもしていますが、神々の使用するケイタイやスマホのケアや中継地の整備もしているんですよ。
これも時代ですね。
日本国は近年世界中から多様な神々がやってきましたが、昔も今も八百万の神々が暮らす国。
人間達はどれが正しいだの教義がどうだのと賑やかですが、我々神の間では敵だ味方だ上だ下だということはありません。
我々は何も変わりません。
卑怯な汚い考えや行為を嫌い仲良く助け合って、この国と人々を見守っているだけなのです。
そして人の心が穏やかに、譲り合い支え合って幸せに暮らしていけることを何よりも願っているのです。
完
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
鎮座した後、江戸時代にシロナガミミノミコトは再び旅に出ます。
次の白兎神の冒険譚もご一読願えますように。