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愛について語ろうとしたらマチアプについて語ってしまったが愛に戻る

人生がとても寂しいので、マチアプ(マッチングアプリ)をやっている。
本当に動機が寂しいだけでからやっているから、正直頭の中を整理できていない。なので、ここで書きながら自分の寂しさと恋愛について整理しようと思う。

昔から深く寂しいと感じる性質をしているだが、何年経っても埋め方がわからない。
なので、安直に『恋人が入れば寂しくないかもしれない』と思い恋人を探している。
しかし私は知っている、恋人がいたって心からお互いが愛し合っていなければ寂しさなんて埋まらないのだ。
自分が相手のことをいくら愛していても相手が微塵も気持ちを表してくれなければ寂しいし、自分が全く好きでも相手から好意を向けられていても嬉しいどころか迷惑に感じることもある。

同じ愛の大きさをお互いに向けあえる人を探している。
そういう関係こそが真の恋人なのだと思うのだけど、現実は難しい。

まず、何が難しいって出会うまでが難しい。
マチアプとは画面越しから出会って始まるものだけど、そこから初めて会うまではお互いわくわくしていていい調子だ。
しかし、現実に会ってしまうと片方の気持ちが萎えてしまうか、お互いの気持ちが萎えてしまうことがほとんどな気がする。
まずここで、会う前よりテンションをあげるのが難しい。
お互い気持ちがゼロにならなくても、この時点で最高潮の気持ちで相手を愛したいと思えるかと問われたら「違う」と答える人が多いだろう。

マチアプに限らず出会ってから、お互いに大好き!愛したい!と思える段階にいくまでは、時間が掛かるか永遠にたどり着けないかのどちらかが多いのではないかと思う。

私は人との付き合いが長いとボロが出やすくなって、最初に出会った時の印象と全く別の印象を与えてしまうことが多い。
そして、相手の対応も段々と雑になっていく(私も相手への対応が雑になっていく)
初対面のときと印象が変わっても、それを受け入れて、寧ろそこすら愛おしい思えてこその恋人であり愛なのではないかと思う。
そう言われてみると、私は人と愛を育むのは無理なのではないだろうかという結論にたどり着いている現在だ。
対等に愛し合うのも、最初と印象が変わってしまうのを認めるのも、時間をかけて愛し合うのも、全部無理ゲーやん。

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