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硫黄島来訪記② ~摺鉢山~

前回に引き続き、硫黄島の来訪記です。


前回はこちら
https://note.com/sirojake/n/n8c8799d542a9?sub_rt=share_pb

摺鉢山は本当に美しすぎて、美しすぎて。
この地に来れて良かったと、そして大半の方が来れない現状に様々な想いが沸き起こりました。

献花式

前回に引き続き、バスで移動。

天山壕の上にある、献花台にお花を添えてきました。
この真下には地下壕があり、多くの方が亡くなったとの事。
地熱の激しいエリアであり、石碑の隣の石は60度くらいありました。

祖母のお隣さんは噴気孔


右側に見える茂みあたりに祖母の家があったらしいです。
計測器を持った隊員さん曰く、これ以上先は危険だから立ち入らないようにと。
蒸気が噴出しておりガス臭。
戦前はトロッコが引かれていて、この熱を使ってレモングラスを加工していたらしい。

明らかに、硫黄

叔父から祖母の話を聞かせてもらったのですが、
風向きによっては匂いがしたとか、牛が泥にハマって諦めたとか。
過酷すぎる……

祖母が生前硫黄島に来た際は、
自宅は別の場所という結論になったらしい。
本人達ですら分からないレベルに、地形が変わってしまったんだとか。
いずれにせよ、元山集落のどこかに家があったらしいです。

ちなみに食うモノには困らなかったらしい。
フルーツいっぱいあるし、魚がめっちゃ採れたとの事。

地下壕と錆びた砲台

島の至る所には地下壕があります。
危ないので入ることは出来ません。

また、重機もちらほらありました。
ご遺骨の採集をしているとの事です。
壕ごと埋まってしまっているので、まとめて掘り返すんだとか。


バスからの眺めはこんな感じ


道路は一部のみ舗装。
基本的には未舗装の砂利道で、鬱蒼と茂った低木か開けた荒野。

植生が本土とは完全に違います。
未舗装なのもあって、東南アジアやアフリカみたいな光景。

気温は24度
湿度はあまりないので汗はかかないのですが
日光がきついので暑い!
ガジュマルの木を日よけにしていたらしいです
(2月です)

生い茂ったガジュマルの木

意外にも、硫黄臭は数か所だけでした。

こちらはバス移動中に見つけた錆びた砲台
今回は行きませんでしたが、アメリカの戦車も放置されているみたいです。

平和記念墓地公園

こちらは島で唯一の宿泊施設。
今回は一泊なので、休憩とトイレで立ち寄りました。
ちなみに3世は泊まれないらしい。

次に向かったのが平和記念墓地公園
旧島民のお墓があります。
私の一族の名前も刻んでありました。
みんなで黙祷です。

小笠原教育委員会の方によると、以前は父島の小学生たちが社会科見学で訪れていたらしい。

摺鉢山へ

そして、ついに有名な摺鉢山へ。
バスで頂上まで行くことが出来ます!

道はちゃんと舗装されているのですが、亀裂だらけ。。
地殻変動が激しい島で、なんと1年で80cmも隆起したらしい。
平成27年と比べて硫黄島の面積は約1.3倍になったとのこと。

国土地理院のHPより引用

そんなわけで道はガタガタ、バスは低速

国土交通省の方達も今回の旅に同席してました。
道路の状況とかを調査していたのかもしれません。
流石に摺鉢山は嬉しかったのか、写真を撮る回数が増えていた気がします。
ただ、スーツは結構暑かったのではないでしょうか?

ついに到着、摺鉢山頂上

これは摺鉢山の頂上からの光景。
本当に綺麗で、絶句しました

心地よい風の音


奥には滑走路と関連施設が見えます。

紺青の海に囲まれた、平たい島。
摺鉢山以外はほぼ平坦なため、全景が良く見えます。

拡大すると……
有名な沈没船。隆起によって今は陸になっています。

海風が気持ち良く、
運が良いとクジラが見えるらしいです。

10月に出来た新島は既に浸食され消えかかっていました。
隊員曰く、あの辺の砂浜には温泉があるが暑くて素足だと厳しいらしい。

一度は硫黄島と繋がった新島も消えかけてました


訪れるまで、激戦と灼熱の孤島だと思ってました。
しかし全然違いました。

祖母はこんな美しい島に住んでいたのかと。
こんな美しい島で、多くの方が亡くなったのかと。

米軍が設置したモニュメント


ここは米軍にとっても大切な場所らしく、
合同訓練の旅に兵士が訪れてドッグタグなどを置いて行くらしいです。

米軍兵士が置いて行った様々なモノ
今は日本の国旗が掲げられてました。


そして、あの有名な写真。
星条旗を掲げた場所

硫黄島は島全体が自衛隊の基地となっており、居住はおろか立ち入りすら禁止されています。
未だに疎開が解かれていない、と表現している方もいらっしゃいました。

現実問題として、この島に住むのは厳しいでしょう。
ネットが繋がるのは滑走路周辺と摺鉢山付近のみ。
上陸が出来る港がないので、物資は空路頼り。
畑はジャングルに覆われ、新しく開墾しないといけません。
不発弾や地下壕に、危ない虫もいる。

観光地したらどうか、と一瞬思いましたが
不発弾や地下壕、飲み水や電力という課題もあります。
多くの方が亡くなった地であり、遺族の感情もあるでしょう。

それでも、本当に美しい島でした。
摺鉢山からの眺めは一生忘れないでしょう。

余談ですが、シークワーサーや硫黄島唐辛子はいくつか持って帰りました。
持ち出しはダメと聞いていたのですが、旧島民感情に配慮してこれくらいなら許されるらしい。まぁ所詮はシークワーサーですし。

隊員は止めるどころか、採集ポイントをいろいろ教えてくれました。
硫黄島唐辛子は父島でも栽培されていて、お土産として人気だそうです。
めっちゃ辛いので消費が遅く、まだ冷凍庫に眠っています。

小笠原諸島は世界遺産になっていますが、硫黄島は外れてるんですよね。
戦争で何もかも破壊されたので。

最後は摺鉢山が正面に見える、鎮魂の丘みたいなところで写真を撮って飛行機へ。

奥に見えるのが摺鉢山


帰りも来た時と同じ、C-2輸送機です。
ヘリに乗ってる方もいましたが、多分父島から来たグループでしょうか。

行きよりも同行する隊員さんが増えていました。
交替で本土に戻る方達でしょうか?

自衛隊の方達は本当に優しくて、質問したら笑顔でいろいろ教えてくれました。
気配りも素晴らしく、フレンドリーに接してくれる。
しかし危ない個所では絶対に目を離さない。
国民を守るという強い志を感じました。

自衛隊の皆さん、本当にありがとうございました。

そして長い記事を読んでくれた方達、ありがとうございました。
硫黄島の美しさと、ここに住んでいた人がいるという事実を
一人でも多くの方に知ってもらえたら嬉しいです

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