”境界線を曖昧にすること”と”溶ける”の違い#106
常々人と溶けあいたいと思ってきた。耽美的なものだと思っているらしい。そして、これまでは境界線を曖昧にすることがそれだと思っていた。
しかし、それでは人と溶けるということは成し遂げられないようだ。
むしろ、人を傷つけてさえしてしまった。
人と溶けるというのは、わたしがわたしでありながら、わたしでない存在に身を委ねること。
境界線を曖昧にするというのは、わたしなのかあなたなのかわからない状態になること。
今はそのように捉えている。自覚的であるかどうかの度合いが肝なのだろうか。
そういえば、共同探究している方との対話で、境界線が曖昧な状態ではもはや溶けることは叶わないのではないかという指摘をいただいたことを思い出した。
確かに溶けるというのは形が変わるだけでなくなるということではない。わたしでもあり、あなたでもある状態とでも言えるだろうか。境界線がはっきりしているからこそ溶けるという現象が起こりうるのかもしれない。
そもそも人と溶けたい、と願うのはきっとこれまでそれに近いような体験をしたからだろう。一種の至高体験かもしれない。これは快楽の追及なのか、幸せの追及なのか。あるいはそのラベリング自体に意味はないのか。
何かを手に入れるよう期待しながら行動しつつも根本では期待しない。
そんな曖昧な状態を保っていられるかどうかも大事なように思う。
走りながら待つ。その時が来るのをただ待ち続けるだけだ。
2022.2.24.21:55
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