心に宿る言葉は
elm🐛さんの描く漫画は
私にとって
皆からバカにされて嫌われる画だった、
私が描いているのに
心は「緑🌿の彼の世界」
彼の見てきた世界
彼🐛から見た私☄️と来夢🌚さんの姿
彼の思想、、
やがて
寿🎎さん魁🍎さん陽炎🥀さん
ノゾミᗦ↞︎◃︎ さん
霞さん
みんなの思想の入った漫画の世界に、、
私は「そんな私」を愛せなかった。
noteを始めて2年と少しが経つ。
初めの頃の私は
霞さんに任せて「自分を押し殺した私」で
人とコメントのやり取りをしていた。
わたしにとって
自分の人生は終わった様に感じていた
日々でした。
どこか上から目線で
人を振り回すような
私(霞+琉生)のコメント、、
霞さんに任せて洗脳されている私のコメント
読み返すと、、心から恥じる気持ちが、
沸き起こりました、、
「過去の私こんな表情していたんだ」
まるで鏡の中の自分の姿や表情を
見ないように逃げ続けていた様な
感覚になりました。
「他人から見える私の心の姿はみっともない
変な誘惑するヤバイ人かも知れない」
私は過去の私の記事やコメントを読み
今日そう思いました。
自虐的な性格(洗脳されやすい性格)は
人に優しくしているようで優しくはない。
そばに居てくれる人の「明るさの尊さ」
それに気付こうとしない酷い人、
無神経な人かも、、
最近、そう思いました、
霞さんの身勝手な性格に目を瞑り続けて
来夢さんのこと
皆(IC)のこと
他人の目を気にしすぎて
恥じる自分が1番嫌いな自分、、
心からそう実感する日々が続いている。
霞さんと居た日々の記事は
性的な狂気に包まれているかの様でした、、
霞さんが居なくなってからの記事は
魁さんの性格がメインになっているように
感じる最近です、、
私は彼ら🐛🍎🌚の漫画を描く理由や情熱を
少しも分かっていませんでした。
私は消したくて仕方ない。
特に「キミの中の朱」を消したい。
こんなに勝手に、関わってきた人や人生を、
私が勝手に語っていいのか?それは、、
そう思っては、毎回、
心が落ち着かなくなる。
そして
来夢さんに言われる
関わってきた人は
あくまで
「あなたが知っている他人」だと、、
わかっている。
わかっているつもり、、
関わってきた人は
あくまで
私の主観、IC達の主観の世界の他人、、
関わってきた人(その人物)ではなく
自分が取り入れて来た
「自分から見た性格の人達」でした。
・・考え違いは、勘違いになる、
「なんとなく見ているだけでは伝わらない」「考えないとわからない漫画」
漫画を描くelm🐛さんの傍で
私の心は
毎回、「あの方の言葉」が過ぎります、、
遠い昔
叔父さんに似たような言葉を言われた。
「この子の描く世界は考えないと
分からない」
「芸術性の高い作品は奥に法則の様なモノ
が隠されている」
「それは、本人が自覚していたり
していなかったりで、、」
https://note.com/pochigakiru/n/n0f9b65460107
ぽちさん
素敵な言葉と記事
改めて
再度
「ありがたさ」を実感しました。
紹介された時の私(琉生☄️)の心境は、、
まるで
真っ暗な誰も知らない怖い鍾乳洞の世界を
様々にライトアップされた様な感覚でした。
わたしにとって
何度、読み返しても、
考えが尽きない記事です、、
「ありがとうございます」
また、漫画を描き続けようと
心が(IC達の思想が)纏まりました。
「心に宿る言葉」は「心の栄養」
ぽちさん
皆さん
私が霞さんだった頃のコメント
失礼しました。