コインランドリーは孤独


その日は確か、平日の、雨の昼間。
誰もいないコインランドリー

洗濯物を入れ、洗っている間に古本屋に行く。
戻る途中でコーヒーを買って、洗濯が終わるまで先ほど買った本を読む。
洗濯が終わり、次は乾燥。
洗剤のにおいに包まれながら、30分くらいの読書タイム。

この時間。
この時間よ
ずっと続けばいいのに、と思った。

この空間だけは、誰の視線も意識も介入せず、私だけの時間だと思った。

数年前、「パンとバスと2度目のハツコイ」という映画を見た。
そこで主人公の女の子が、洗濯機が壊れてコインランドリーに行く描写があって、
そこのコインランドリーには孤独と名のつく本が並び、また1人の男の子がいた。
その男の子は、前に来てきたおじいさんが「この空間は孤独」だと言ったと。本当の孤独はその本の中にはなく、この空間なんだと。
みんな壊れた時だけ来て、治ったら来なくなるから、と。
でも主人公の女の子はこう言いました。


「私はたまに来るよ、私には必要だから」


孤独が必要。

この映画をふと思い出した。

コインランドリーは孤独になれる場所。

私にも孤独が必要だと気づいた
時に足を止め、心の声を聞く、なんて言ったら胡散臭いけど、
ただひとりになる
こんな時間の中に、こんな空間の中に、
自分自身の揺れを感じ、自分自身を捉えることができる時空がある、空気がある。

それはなんというか自分の心の向く方向を、自分に任せる、許す、といったような
肩の力を抜くことができる、そんな空間。

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