同じ言葉を話すひと
言葉を選んで話すこと。無意識にきっとやっていて、頭をぐるぐる回しながら意識的にやったりもして。それは、微妙なニュアンスを、このニュアンスごと伝えたいからで。感覚的なところを言葉で伝えるって矛盾しているような気もして、手放してしまえば楽だけれど、言葉を考える上でいちばん好きな作業だなと思う。
普段、私たちは標準語を話して会話しているんだと思う。標準語って、関東弁ってことではなくて、説明的なというか、無機質的なというか。ほとんどのひとが同じ意味で使える感情の伴わない言葉というか。楽しい、嬉しいなどの感情は共通言語だけれど。感覚的なところは、説明的な言語が必要だなと思う。近しい人と話していても、使う言葉の世界が違うなと思うことがあって、それは相手の世界の言葉だから、わたしには完全には伝わってこない。だから、お互いにとって意味の伝わる標準語を選んで話す。同じ感覚は味わえないけど、説明によって言わんとしてることはわかるよ、といった理解はできるようになる。会社とか、学校とか、そういうものだと思う。
私たちが言葉を使う上で、言葉に含まれる「強さ」も人によって認識が違うなと思う。
例えば、私が傷つくような言葉を100%の強さで受け取ってしまうとしても、言った側は40%くらいの強さにしか思ってないとしたら、相手に悪気はなくても私にはしっかり言葉の棘が刺さってて。その感覚が同じって、言葉の使い方を重視する私にとっては、すごく大切なポイントだったりする。「ああ、このひとは、この言葉の強さを知らないんだな」って思うことも多々ある。もちろん、人によって思っている「強さ」の度合いは違うから、これは各々の尺度なんだけれど、この尺度が同じひとっている。「この言葉って強いよね、軽々しく言えたもんじゃないよね」っていう感覚が似てるひとっている。
こういう、「この人同じ言葉を話すな…」ってひとは、付き合ってきた歴に関わらないと思うから、会ってすぐ、なんとなく安心する感じ。完全に生まれが同じわけではないかもしれない、隣町かもしれないけど、あと1秒前に私が先に言いたかったよ!みたいな、頭で考えずに出た言葉が、同じ思考速度で、同じ感覚を含んで言葉にするひと。
ある時、そのひとが、「東京タワーっていい色だよね」って言っていたのが忘れられない。私も一言一句同じこと言おうとしたという点を前提としても、東京タワーを「いい色」って表現したことに驚いた。綺麗だよねとか、良いよねとかじゃなくて、いい色。
感覚が同じだからと言って、自分を重ねすぎてはいけないと思うけれど、同じ言葉で話すひとは確かにいるし、それを知ることができたことは、自分の中で大きな出来事だった。もしかしたら、知らない間に長く付き合ってるひとたちは、みんなこういう感覚を認識せずに自然と一緒にいるものなのかな。
あの時会わない選択をしなくて良かった〜〜〜とすごく思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?