私がYouTubeで動画を上げている理由について
実はYouTubeにて「哲学の草」という名前で動画投稿しているんですが、おかげさまでコメントもいただき、いいねも基本は100%、低くても90%を下回らない動画が作れています。
まだまだ、私が思っているような再生数まで到達できてはいませんが、焦っても仕方ないのでこれからもみんなに見てもらえるような動画を作っていきたいところなんですが、ここで少し動画を投稿している理由について話していきたいと思います。
初っ端から余談をぶち込みますが、実はYouTubeチャンネルを開設して約一年たっています。
本格的に始めたのがもっと後なので、実際はもっと後といえなくもないですが、とにかく生まれてから一年経過しています。
チャンネル登録者数は今私が見たタイミングでは718人になります。
私自身はまだまだ全然伸びると思いますし、、これからも成長していきたいと思います。応援していただけると嬉しいです。
私としては数字としての目標として、チャンネル登録者数をまずは10万人目標にしているので、そこまでは頑張っていきます。
とはいえ、数字とは別にもう一つ目標というものがあります。
それが「考える」ということです。
正直数字よりも大切なことでこれが達成できない、もしくは動画作成時に意識できないようであれば、すぐにでも動画投稿をやめるつもり、というくらい軸にしているものになります。
というのもどうやら近年では自分で物事を考える人が少ないらしく、じつは過去の私も自分自身の頭で何かを考えたという経験がほとんどありません。
誰かの言いなりのように生きて、誰かのために生きる、そんな生活をしていたような気がするのです。
数年前までであれば、まあこのまま生活できるならいいかという気持ちと、なんかもやもやする気持ち両方を持ちながら生活していて、ここから何も起こらなければそのまま生きていたと思うんですが、昨年転機が訪れました。
それが仕事中の高所落下による背骨骨折になります。
正直最初死んだかと思ったくらいなんですが、今では普通に歩けますし、後遺症が多少あるものの、一般の人とほとんど変わらない生活を、表面上送れています。
でまあ大けがをするということはもちろん暇な入院をするということになるんですが、ここでふと思ったんですね。
私はこのままでいいのか、と
哲学は暇なときに生まれたといいますが、私の哲学も暇から生まれたといってもいいのではないかと思います。
私はこれまでほとんど努力せずに生きていました。
勉強も、部活も、そして仕事も、流れるままに生きていったわけなんですが、このままもし同じような状況になり、もしそのまま死んでしまったとき後悔がないか、といわれたらもちろん後悔しかありません。
なので思ったのです。
私が後悔しないような活動を、そしてほかの人が後悔しないような生き方ができるようなことをしてみよう、と
ただ、私の周りには何もありません。友人は数人いますが正直そのくらいです。
今は仕事もしていませんし、実家でぎりぎりの生活をしています。
ただ私には仕事していた時にためていたお金で購入した高性能PCがあったため、とりあえずYouTubeで動画投稿してみよう、と思い今に至ります。
そしてnoteなどでも発信をしてるわけですね。
何ともまとまりのない文章ですし、正直まとめようと思って書いていないので構成がおかしいですが、私がYouTubeに込めた思いをなんとなく感じていただければ嬉しいなと思っています。
そして私よりも苦しい生活をしている人たち、親の圧力などによっておかしくなってしまった人たちなども、最後には幸せで生きることができたといえるような日本に、ひいては世界にする。そんな思いもあります。
こんな人間ですが、よろしくお願いします。
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