皆さんにもやもやをプレゼントしたい


noteと同時並行でYouTubeで動画をあげているんですが、この二つ、それとそれらSNSなどが視聴者様に持つ狙いについて説明していきたいと思います。

このnoteの狙いについて 結論としては、「もやもやを常に抱えてもらうこと」です。 これだけだとよくわからないと思うので少し説明させてください。
現在の日本ではすぐ答えを求める風潮があるといわれています。
もちろんこれが本当にそうかはわかりません。
私は少なくとも気軽に調べることができない時代を知らず、海外にもほとんど触れてこなかったのでもしかしたら前提がおかしい可能性がありますが、とはいえ答えをすぐに求める傾向はあるように感じます。

例えばアニメ好きとはいうけど結局話を合わせるために人気のアニメしか見ない。これはゲーム、映画、ドラマ、小説など、様々なものでこのような現象が起きていると感じます。
ほかにも知っている答えで満足してしまう、〇〇が正しい、△△はよくない、××は面白いなど、深く考えずネットや人から聞いた情報のみで物事を判断してしまう。
もちろんこれらが一概に悪いわけではありません。
いちいち深く考えていたら素早い判断はできませんし、一日一日がかなりしんどくなってしまうでしょう。

ですがまったく考えないのもよくないと思います。
私自身社会で生活していて思うことですが、本当に正しいのかを実際にやってみて行動して、やっぱり正しいんだ、という経験は必要ですし、正しさの本質を理解することができます。
つまり疑って、行動できるものであれば実際に行動してみて本当かどうかを調べる、という行動は一見回り道のように見えて理解する点においては一番の近道であったりします。
疑わなければ、確かめなければ上っ面で理解しているふりをしているにすぎません。

同時にアニメなどで面白いといわれているものだけを視聴して、考えずに行動するということは、人と合わせている行動と同じであり、私が本当に楽しいものなのか、正しいものなのかのチューニングができていない状況です。
このチューニングできていない状態で人と合わせる行為は、最初はよくても小さく私たちを絶望に近づけます。

もちろんこの小さな絶望が自殺につながることはないと思いますが、少なくとも理想として楽しい生活を送りたいと考えていても、本当に楽しいことがわからないから現実では空虚な楽しさのみが存在し、何か心に虚無感が出てきてしまう。
はっきりと気づかないとしても、楽しいと、正しいと心の底から思えない、そんな人生を送ってしまうような気がします。

要はすぐに結論をだすと、正解かもしれないけど、正解の理由を心の底から理解できない。
面白いといわれているものだけに手を出すと虚無感が出てきてしまう。
この二つは人生を送る上で回避してほしいと考えています。
ただし先ほども言ったように常に疑うことは非常に疲れることなので推奨しませんが、その代わり心に何かとっかかりを提供する必要があると、私はそう考えています。
そこでここでは、私なりの答えを出すことはありますが、多角的な視点を視聴者様に提供し、もやもやを抱えて自分について、社会について考えてもらう。そして世間に合わせるだけじゃない、自分なりの正解を出してもらって心の底から楽しい生活を送ってもらう。
そういった練習やきっかけを作ってもらうためにnoteや動画投稿などをしていきたいと考えています。 まだまだ成長途中ではありますが、これからも「使える」もやもや、「使えるかわからない」もやもやを提供していくよう努力していきます。
よろしくお願いします!

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