西海岸より愛を込めて【ハイダグワイ移住週報#29】
6/1(土)
「レンネル・サウンドにキャンプに行こうと思うんだ。明日から一週間休みを取ったし」
タロンが少し興奮した様子で僕に計画を語ったのは昨晩だった。明日から五日間、ハイダグワイ西海岸にある俺の一番のお気に入りビーチで過ごすから、一緒に来ないか、という誘いである。断る理由もなかったし、そもそもレンネル湾はずっと行きたいと思っていた場所だったので、即答だった。
朝、いつもより少し早めに起きてパッキングをする。今日はカヤックキャンプではなく、車でキャンプサイトの近くまで行って荷下ろしをするスタイルなので、いつもと持っていけるものが異なる。持ち運びの快適さとキャンプ地での快適さを考慮して荷造りをする。
「これだけあれば、毎日お腹いっぱいに食べられるだろう」
タロンがそういって大きなクーラーボックスを開けると、ぎっしりと食料が詰まっている。こんなにたくさんの食べ物はトレッキングや登山、カヤックキャンプには持っていけない。荷下ろしスタイルのキャンプの利点である。
僕は自分のバックパックに寝袋とテント、タープ、食器類を詰め、車のトランクに放り込んだ。隣人の留守の間、面倒を見ているゴールデン・レトリバーのサルサもいっしょだ。まずは道中のケンネルでサルサのドッグフードを買って、南部ダージン・ギーツ村に向かうことにする。タロンは待ちきれない様子で、ケンネルで会おうと言って先にピックアップ・トラックを走らせて行ってしまった。
少し遅れて自分のSUVのエンジンをかけ、まずはケンネルに向かう。タロンのトラックがない。ここで会おうと約束していたのに、先に行ってしまったのだろうか。そんなはずはないけど、連絡しようにもこの島はほとんどが圏外である。とりあえずはダージン・ギーツ村まで行ってしまうか、と思って進む。
QCメインと呼ばれる林道は、島の山間部を貫くロギングロードである。ハイダグワイ北島は南端と北端に大きな村があり、中腹部の小さな集落を除けば、ほとんどの住人がそのエリアに住んでいる。東に面した海岸線に沿ってハイウェイが走り、南部のダージン・ギーツ村、スキディゲート村、そして北部のマセット村を繋いでいる。誰も住んでいない山間部と西海岸を結びつけるのが、QCメインとその他の林業道路網なのである。
QCメインの入り口でタロンが待っているはずだと思っていたが、そこにも彼の姿はなかった。キャンプに行けるのがあまりに嬉しくて、さっさと行ってしまったのだろうか。いや、僕も入ったことがない林道を勝手に先に行ってしまうことなんてあるだろうか。20分ほど待っても連絡がない。ここより先は全く電波の届かない辺境地である。どうしようかと思った末、意を決してぬかるんだオフロードを進んでいくことにする。
***
大陸棚の端っこに位置するハイダグワイの西海岸は、太平洋が繰り出す巨大なうねりと鋭い岩壁が支配する。類稀な航海技術を持っていたハイダでも容易に近づかない場所だった。レンネル湾はそんな外海にひらけた西海岸において、唯一陸路で辿り着ける入江である。
陸路といっても、未舗装の酷い林業道路を数時間走らなければならない。湖を抜け、山脈を越えていく。見晴らしの良い地点からは、皆伐された森林のあとがところどころに見受けられ、すこし気が沈んだ。「森林破壊によって、人類は大きく地球の様相を変えてしまった」とどこかの本で読んだことを思い出す。
そこからは三十度にも及ぶ急勾配の斜面が続く。エンジンブレーキがぎゅんぎゅん鳴っている。肝を冷やしながら下って、ようやく辿り着いた。北島随一の辺境地、レンネル湾である。タロンのトラックを探すが、それらしきものは目に入らない。焦って林道をもう少し進んだが、やはり無人のキャンプ場が広がっているだけである。やってしまった。こんな場所ですれ違ってしまうと、どうしようもない。分かりやすい場所に自分の車を止め、彼が見つけてくれることを祈りつつ海岸で本を読む。食料も彼が全て持っているので、自分ひとりでキャンプするのも難しい。1時間待って会えなかったらまた悪路を走って帰ろうと思う。
そわそわして待っていると、15分後くらいにエンジン音がして、タロンのトラックが顔を出した。胸を撫で下ろす。聞くと、ケンネルの駐車場で昼寝していたという。僕もすっかり見逃していたようだ。何はともあれ、ちゃんと合流できてよかった。
***
レンネル湾にはキャンプスポットが数個ある。まず斜面を降りて辿り着くのがレンネル湾キャンプサイト。そこからさらに林道を進むと、ファイブマイルビーチ、グレゴリービーチ、そしてボナンザビーチといったキャンプ地がある。どれも無人だが、テーブルなどは設置されている。その更に奥、案内板にも示されていないが、物好きなローカルなら知っている美しいポイントがある。ビリーブラウンビーチ。そこが今日のキャンプ地だ、とタロンは言う。
「自分のSUVでどこまでいけるだろう?」
「途中まで後ろについてきなよ。道が悪くなれば、トラックに荷物を移して一緒に行こう」
30分ほど悪路を進む。ここ一週間ほど長い雨が続いており、林業道路のわだちには大きな水たまりができている。何度かスリップしかけて肝を冷やした。ボナンザビーチの手前までくると、小さな橋の前にコンクリートブロックが置かれている。ロード・クローズド、通行止めの小さな看板も建てられている。さあどうしたものか。ここからは相当悪路ということで、僕のキャンプ道具はタロンのトラックに移し、自分の車は路肩に停めておく。
「どうする?橋の安全確認のために通行止めだって」
「トラックでブロックを動かせるかやってみよう」
そういって、彼はおもむろにワイヤーをコンクリートブロックに巻きつけ、エンジンを唸らせる。大きな音を立ててブロックが少しずれ、車が通れる隙間ができた。日本では「通行止め」は「通行止め」を意味するが、カナダでは「ロード・クローズド」は「(自分で道をオープンできない者にとっては)ロード・クローズド」なのである。
橋を渡ってビリーブラウンビーチに続く林業道路を進もうとすると、道が掘り返されているのが見える。ショベルカーで掘り返されたようで、さすがのGMCのピックアップ・トラックでも乗り越えられそうにない。これはディアクティベーションだな、とタロンも肩を落とし、今夜はボナンザビーチでキャンプすることにする。
500メートルほど整備されたトレイルを降り、ビーチに出た。背の低い笹のような植物が生い茂っていて、あまりテントを張れるスペースがない。ビリーブラウンは最高なんだけどな、とタロンは悔しがりつつ、なんとか見つけた場所にテントを張っている。彼は疲れた様子で、そのまま寝こんでしまった。
僕もテントとタープを張り、簡単な夕食を作る。オイルサーディンで炊き込みご飯。簡単で美味しい。僕も悪路を長い間運転して疲れ切っていて、早めに寝袋に潜り込んだ。
6/2(日)
10時過ぎに起きる。新しい寝袋の寝心地が良く、ぐっすり眠り込んでしまった。タロンはもう起きていて、朝ごはんを作ってくれる。トマトとパクチーのリゾットだ。米をだしパウダーとチーズとともに炊き込み、トマトとパクチー、にんにくを入れてひと煮立ちさせる。塩胡椒で味付けして完成だ。半熟のゆで卵を砕いて口に運ぶと、芯の残った米ととろとろの卵の食感が楽しく、パクチーとにんにくが食欲をそそってくれる。
「今朝道を見に行ってきたんだけど、少し手を加えれば通り抜けられると思う」
あの穴は重機で掘り返されたものに見えた。本当にできるだろうか。
「ふたりだったら15分もあれば抜けられる。その奥に待つのは島一番のスポットだよ。後悔はさせない」
彼がそこまで言うのなら行ってみたいと思い、朝食後にテントを撤収してトラックまで荷上げする。どっちにしろ、小さなビーチで周りは笹に覆われていて少し窮屈なキャンプサイトだった。ビリーブラウンビーチに続く林道の寸断された地点まで戻ってくる。大きな岩はふたりで転がし、僕が土と石で穴の端っこを埋め、彼が路肩の枝をチェーンソーで伐採して通れる隙間を作る。日本だったら絶対こんなことはしないだろうなと思いつつ、トラックのタイヤが大きい音を立てて岩の上を登り切るとほっとした。
そこから、もう使われなくなった林業道路を進む。これまでもなかなかの悪路だったが、それも比べられないほどのオフロードである。大きな溝がそこらじゅうにあり、ぽっかりと空いた穴が突然現れる。ディズニーのインディ・ジョーンズの乗り物に乗っている感覚になる。車でアクセスできる、最もアクセスしにくいポイントというのも頷ける。
45分ほど走り、トラックが道路の路肩に停まる。
「ここがトレイルの入り口だ。手分けして荷下ろしをしよう。相当急な斜面だから、パッキングは考えた方がいい」
「トレイルの入り口なんて見つからないけど…?」
「トレイルというより、獣道だな。ほら、そこの草を分け入ると見えてくる」
バックパックにキャンプ用品と食料を詰め込む。斧をサイドポケットに刺し、釣竿は手で持つ。素潜り用のウェットスーツはまた明日にでも取りに戻ってこよう。
ビーチまで降りる道はほぼ断崖絶壁で、雨のせいでそこらじゅうがぬかるんでいる。何度も滑りそうになったが、三点確保を徹底して時間をかけて降りていく。犬たちも慎重に進んでいく。崖を降りた後は湿地が続き、何回もブーツをぬかるみに取られた。散々な思いをしながら20分ほど歩くと、海が見えてくる。ここだ、とタロンが嬉しそうに肩からバックパックを下ろした場所は確かに美しいスポットだった。
***
苔がびっしりと広がる地面からは、巨大なスプルース(トウヒ)とレッドシダー(西洋スギ)が乱立していて、別世界のような雰囲気が支配している。白砂のビーチは広々としていて、両サイドには魚釣りにもってこいの大きな岩場が広がっている。なにより視界を遮る笹のような低い植物が生えていないせいもあって、潮風と木漏れ日が気持ちいい。
気持ちよく陽が当たり、かつ海風からは守られたスペースにテントを張る。モンベルのグリーンのテントだ。深緑の美しいシェルターは色っぽい西海岸のレインフォレストに溶け込み、どこか懐かしさを感じさせてくれる。タロンはこのスポットで昨年末に1ヶ月ほどキャンプしており、その時と同じ場所に簡易キッチンをつくっている。
まずは昼飯にする。彼にスープ作りを任せ、僕は教わったレシピでビスケットをつくる。小麦粉と塩、ベーキングパウダーに水を混ぜて生地を作り、少し膨らませたあとにバターをたっぷり溶かしたスキレットでこんがり表面を焼く。タロンは持ってきた鹿肉とじゃがいもでスープを作っている。味付けは自家製のネトル(イラクサ)ペーストとイタリアンスパイス。
スープをボウルに注ぎ、焼きたてのビスケットとともにいただく。手捏ねビスケットは外にはかりっと焼き目がついていて、もっちりめの生地にバターをたっぷりつけると至福の味である。鹿肉とじゃがいもがごろごろ入ったスープはふわっとスパイスが香り、ネトルが色鮮やかで楽しい。ビスケットにスープを吸わせて無我夢中に食べてしまった。
昼ごはんを終えると、ビーチを少し歩いたところにある川に水浴びに行く。全裸になり、川の冷たい水で体を洗う。誰もいないキャンプ場だからこそできることだ。自然の中で裸になるのはいつも気持ちがいい。その後は、おのおのテントに入って昼寝をする。長い午前中がこたえたようだ。テントも締め切らず、風が通り抜けるようにして横になる。
1時間ほどして目を覚ますと、サルサが靴を咥えて待っていた。誰彼構わず靴を咥えて持っていってしまうなかなか面倒な癖がある犬である。キッチンエリアに戻るとちょうどタロンも起きてきて、コーヒーを淹れてすする。夕食の食材を探しに行こう、と話し、ブーツを履いて潮の引いた岩場に降りる。
顔を出したタイド・プール(潮だまり)のまわりには大ぶりのムール貝がびっしりとついていて、プールのなかにはウニたちがそこらじゅうにいる。だが今日の目当てはタコと根魚だ。
「向こうのキャニオンのほうに行ってみよう」
タロンが身軽に岩場を飛び越えていくのに必死で追う。犬のウォーリーとサルサはところどころ怖がってくんくん鳴いていたが、なんとか着いてきている。
ハイダグワイ西海岸は、昔からハイダ族が村を構え、今でも人々が住んでいる東海岸やノースビーチとは全く違う景観を持っている。それを特徴づけるのは、延々と続く切り立った岩場だ。いくらでも上陸できる地点があって海もそこまで荒れない東海岸とは違い、西海岸は人を拒む岸壁が支配し、太平洋からの巨大なうねりがビル数階分にもなる大波をもたらす。
僕と犬たちは岩場でバランスを取るので精一杯だが、タロンは軽々と下まで降り、釣り竿を振るっている。数回ポイントを変えて歩いていると、続けざまに三匹ほどかかった。英語では「コッド」でひとまとめにされるが、アイナメのような根魚が二匹、カサゴが一匹である。
「すごい!陸から投げて釣れるなんて、イージーゲームだね」
「言っただろ、ここは最高のスポットって!」
キャンプ地に戻り、夕食の調理を始める。近くを流れる小川で二匹のアイナメを捌き、一匹を明日用に味噌漬けにし、もう一匹をセヴィーチェにする。白身をサイコロ状にカットし、パクチー、トマトとともに大量のライムジュースで和えるペルー料理だ。カサゴがぶつ切りにして味噌汁にする。ふつふつと湧いたお湯の中でカサゴを茹でると、芳しい出汁が取れる。そこにキャベツをいれ、味噌で味付けする。
「もうそろそろ、いいんじゃないか?」
タロンがベイクドポテトの様子を見る。飲み終わったビール缶をナイフで切って作った即席ポテトオーブンにじゃがいもを入れ、焚き火に放り込んでおいたものだ。ディナーは準備万端。
味噌汁にはカサゴの出汁が効いていて、ふわふわの白身も素朴で美味しい。ポテトにはバターを乗せて方張り、ライムジュースに浸かって真っ白になったアイナメのセヴィーチェをトルティーヤチップスで掬って食べる。もちろん調味料や食材も持ち込んでいるが、手に入った食料でさっとこんなに贅沢な料理を作れることが信じられない。
「ハイダ語に『飢餓』って言葉がないのも頷けるよ」
「そうだな。これだけ食糧に恵まれたから、彼らのアートが花開いたって話だ」
ふたりでワインを瓶からラッパ飲みしながら夕食を平らげ、食後には僕が重たい思いをして持ってきたイェガー・マイスターを啜る。お腹いっぱい食べた後、薬草の効いたリキュールが一息つかせてくれる。おやすみをいって各々のテントに戻る。サルサは足元で丸くなって寝ているが、僕はなぜかすぐに寝付けなかったので、1時間ほど本を読んで、寝た。
6/3(月)
目を覚ましてテントのジッパーを開けて外を覗くと、空は雲に覆われていた。レンネル湾を見渡すと、ところどころで霧のような雨が降っているようだ。
作った簡易コンロに火をつけ、朝食にする。じゃがいもをスライスし、厚切りベーコンを炒める。ベーコンの油が出てくると、じゃがいもも一緒にソテーする。簡単なジャーマンポテト。スキレットを温めてスクランブルエッグを作り、昨晩の残りのセヴィーチェをかけていただく。じゃがいもって主食としても本当に美味しいよな、と唸らせられる。セヴィーチェの酸味が目を覚ましてくれる。
「明日は空港まで行く用事があるから、今日の午後には帰ろうかな」
「わかった。車を停めたところまで送っていくよ」
「ありがとう。素潜りできないのは残念だな」
「ま、いつでも来ればいいさ」とタロン。
朝食を終えた時は10時前だった。3時に上に停めたトラックから出発すれば、暗くなる前に家に帰られるはずだ。今日は海岸を西に向かって歩いて、釣りやビーチコーミングをする。2時間ほど歩けば、大きな洞窟があるという。そこまでは行くのは今度だな。
海岸の岩場を歩きながら、そのすぐ後ろの巨大樹の森にも足を踏み入れる。過去に皆伐にあわず、元あったそのままの姿を残している。オールド・グロースと呼ばれる原生の木々は、その中を歩いているだけでパワーを感じさせる。犬二匹も嬉しそうに走っていく。
「ここもベースキャンプにしたい場所のひとつなんだ」
タロンは昨晩、壮大なキャンプ計画について語ってくれた。今の仕事が落ち着き、家のメンテナンスなどの手配がついたら、来年は3シーズンにわたってビリーブラウンビーチ周辺でキャンプをしたいのだという。彼の長年の相棒である犬のウォーリーはすでに9歳で、少しずつ老いが見えてきている。ウォーリーが動けなくなる前に、忘れられない冒険をしたいんだと彼は語る。
「あそこの倒木の下の穴はシェルターにぴったりだね」
「そうなんだ。このオープンな地点はビーチを歩く鹿を撃つのにぴったりだし、水場もすぐそこにあるし、誰かが捨てていったカヌーもある」
1ヶ月に一回ほど街まで降り、トラックにじゃがいもと米、にんじんとたまねぎと調味料類をたくさん積んで荷下ろしすれば、こんな海鮮品と鹿が豊かな場所ならなかなか贅沢な生活を送れるはずだ。夢が膨らむ。移動する旅にもいいところがあるが、ひとつのポイントで長く自然を堪能するのも冒険である。
切り立った岩場に立ち、ジギングで釣りをする。打ち付ける波と岩場から覗き込む海の深さに肝を冷やしながら竿を何度か振っていると、がつんとした当たりがあった。引き上げると、流線型の魚体が姿を現した。
「リンコッドだ!こいつは絶品だぞ」
リンコッドはカサゴのなかまで、日本語ではキンムツと呼ばれる。その場で捌いてみると、うっすら青みがかった白身のフィレがとれた。なんて美しい身なのだろう。また二匹ほどカサゴも釣れた。
ふと顔を上げると、レンネル湾の中央に浮かぶゴスペル島にまで雲がかかっている。もうすぐ雨が降り出しそうだ。そろそろキャンプ地に戻って昼食にしよう。
鍋で白米を炊き、スキレットにバターをおとして昨晩漬けておいた味噌コッドを皮目から焼く。摘んでおいたシーアスパラガスも一緒にソテーする。皮目にしっかり焼き色がついたら、ひっくりかえして酒蒸しにする。先ほど釣り上げたカサゴでまた味噌汁もつくる。
釣ってすぐ捌き、すぐ味噌とみりんと醤油、しょうがの漬け汁に漬けておいたのもあって、味噌コッドはとろけるおいしさ。皮も香ばしく、身はふっくらだ。付け合わせのシーアスパラも嬉しい。ご飯がどんどんなくなっていく。最後に味噌汁を白米にぶっかけてかき込むと、ふたりで3合半を食べ切ってしまった。
食事を終えてゆっくりしていると、すでに2時前だった。ゆっくりテントの撤収を進める。キッチンエリアに張っておいたタープはそのままにしておく。昨晩で七割ほど飲んでしまったイェガー・マイスターもおいていく。タロンがお土産にコッドを二匹ビニール袋に入れてくれた。
バックパックのバックルを締め、また急斜面を登っていく。ぬかるんだ斜面でも、降りるより登るほうが楽だ。ずっしりと背中に重みを感じつつ、美しすぎる隠れ家・ビリーブラウンビーチにさよならを言う。
林業道路に停めておいたトラックに荷物を乗せ、犬たちは後部座席に、僕は助手席に乗り込む。ここに連れてきたかったんだよ、とタロンはハンドルを握りながら嬉しそう。これは一人で来るにはなかなかハードルが高い。一緒に来られてよかった。
行きしなに通過した橋の前でトラックが停まり、僕は荷物を自分の車に移す。僕の車のエンジンがちゃんとかかることを確認して、タロンとハグを交わして別れる。彼はあと数日ビリーブラウンに残り、ハンティングや素潜りを楽しむのだと。気をつけて。
サルサを助手席に乗せ、雨の降るオフロードを慎重に走る。摩耗したタイヤはいつスリップするかわからない。ビリーブラウンビーチからレンネル湾キャンプサイトまでで1時間半ほど。そこから急斜面をギアを落としてゆっくり登り、2時間かけて山を越えてダージン・ギーツ村までたどり着いた。ほっと息をつく。林業道路でトラブルに見舞われずによかった。
さらに1時間半ほどハイウェイを飛ばして家に帰り着いた時には、すでに9時前だった。洗濯物を洗濯機に放り込み、さっとシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。
6/9(日)
日曜日はサーモン・ウェルカミング・セレモニーがあるからね、と近所のおばちゃんに誘われていた。ソッカイ・サーモン(紅鮭)の遡上は最盛期を迎えている。ハイダグワイ北島における最大の遡上ポイントであるヤクーン川の川辺で儀式があると聞き、車を走らせる。ちょうどパートナーが遊びにきていたので、運転を任せた。
ヤクーン川のほとりに着くと、すでに火が焚かれ、多くの人がそれを囲んでいた。長老たちは椅子に腰掛け、新緑が眩しい野原では子供達が走り回っている。テーブルでは仲良しのおばちゃんたちが忙しそうに準備をしていたので、僕も手伝ってサラダや果物の準備をする。まずはリリーおばあちゃんから挨拶があり、川での儀式、ダンスと歌の奉納があって、そして食事が振舞われるようだ。あたしにハグはないの?とレオナおばあちゃんが茶化してくる。久しぶりに村のおばあちゃんたちに会えて嬉しい。
「何年にも渡ってサーモンをお迎えする儀式をやってきたけれど、ここまでたくさんの人々が集まってくれたのは初めてです」
レガリア(伝統衣装)に身を包んだリリーおばあちゃんが皆に語りかける。今日は数千年に渡って私たちに食事を与えてくれる聖なる川と魚に感謝をする日です。そう告げて、おもむろに川の方に歩き出すおばあちゃんに続いて、みんなでヤクーン川のすぐそばまで移動する。
サーモン釣りは基本的にかえしのない釣り針を使った方法しか許可されていないが、年に数週間だけ先住民たちの伝統的な手法を使った漁が解禁される。ギル・ネットはサーモンが通り抜けようとした時にエラが引っかかる仕組みになっている釣り網だ。川を跨ぐように網がかけられると、ネットに引っかからない小さなサーモンは通り抜け、大きく成長した魚だけがかかる。
ちょうど網が引き上げられ、いいサイズのソッカイ・サーモンがたくさん掛かっているのが見える。その一匹を漁師が手早く捌き、木の板の上に切り身を乗せる。ふたりの子供がそれを受け取り、うやうやしく川に浮かばせた。聖なるヤクーン川とそこに宿る精霊たちに、今年もサーモンをもたらしてくれたことの感謝としておすそわけをするのだ。
となりにクリストファーが来る。
「どれくらい網をかけてたの?」
「三日前だ。悪くない獲れ高だよ。安心した」
歌い手がドラムを鳴らし、声高らかに歌い上げる。川辺に幻想的な歌声が響くと、今見ているこの景色を、遠く昔の誰かも同じように目にしたのだろうか、とふと思わされる。
火に開いたサーモンがかけられ、調理が始まる。脂が乗ったサーモンは火に炙られてじゅわじゅわと音を立てている。つぎつぎにサーモンが焼けていき、長老たちが食事を始める。僕も手伝い、どんどん渡されるサーモンを手際よく捌いていく。ようやくひと段落し、直火で焼いたサーモンとポテトサラダ、たくさんの果物を皿によそっていただきます。とれたてのまま焚き火で炙っただけなのに、鮮やかなピンク色のサーモンには深い旨みがある。
食事終わりにはハイダイベント恒例の抽選会がある。商品はサーモンのフィレやすでにジャー詰めされたスモークサーモン、そしてウーリカン・グリース(本土先住民ニスガ族の魚醤)だ。グリースが欲しかったが、ジュディおばちゃんがちゃっかりゲット。いいなあ。
***
長老たちがバスに乗り込むのを手伝って、会場を後にする。向かうはサンドスピットだ。昨年の春から夏にかけて西伊豆でカヤックを教わっていた村田さんが、お客さんを連れて南島を漕ぐために島に来ているのだ。せっかくなので会いにいく。
ハイウェイを南に走り、フェリーで南島に渡ってやっとサンドスピットに着いたのは午後6時。宿泊しているというロッジに入ると、見覚えのあるよく焼けたふたりがいた。西伊豆コースタルカヤックスの親分である村田さんと、その弟子のまりさんだ。がっちりと強い抱擁を交わして師匠との再会を喜ぶ。
「ハイダグワイにようこそ!みなさん無事に到着されたようで、安心しました」
「久しぶりだね!さ、食事もお酒もあるから入って。去年サーモンご馳走したもらったし、たらふく食べていってよ」
ロッジにはツアー参加者のみなさんがいた。7人の選ばれしメンバーは皆カヤックスクールの常連のようだ。僕たち二人も混ぜてもらい、食事にありつく。
「7人も三週間近く休みを取らせて、ツアーに参加してもらうなんて、よく考えたら凄いことですね」
「そうだよね。本当にありがたい仕事だよ」
大人の青春クラブみたいですね、と僕がいうと村田さんもがははと笑う。メンバーの方々の多くも村田さんと歳の近い僕の親世代だが、みな目には好奇心と子供心が宿っていて嬉しい気持ちになった。いくつになっても本気で遊べる大人に僕もなりたい。
こっちの人になったんだね、と村田さんは僕の腰についたナイフを指差して言う。長靴にワークパンツ、ベルトにはナイフを引っ提げ、村でもらったハイダ柄のTシャツとキャップという出立ちに、自分でも少し感心してしまう。格好も島に馴染んできたようだ。
ここ一年であったことを色々と聞いてもらう。村田さんは稀に見るおしゃべりで、自分がアラスカやカナダにいた頃の話を惜しみなく教えてくれる。初めて松崎町を訪れた時からまだ一年しか経っていないのに、長年お世話になっているような気がする。
「来年もツアーするんで、次はぜひ一緒に来なよ。西海岸かモレスビー1周、皆さんどうですか!」
明後日からの旅が心楽しいものになることを祈り、別れた。せっかく南島まで来たので明日はキャンプをしようと思い、漁港に車を止め、フルフラットにして二人と一匹(サルサ)で寝た。
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