どこで、誰の手から受け取るか【24.2.11】
・9時に起きると、昨日の寿司パーティの残骸がそこらじゅうにあった。特にお酒を飲み散らかしたわけでもないので僕自身の気分は正常だが、リビングルームはひどい二日酔いのような状況だ。まりこが淹れてくれた緑茶を啜り、残り物の寿司を朝ごはんに食べる。そのあとは手分けして家の掃除をする。
・一時間ばかしでリビングはすっかり元通りになった。ハウスパーティのホストは少し大変だが、それでもたくさんの友達を家に招いて同じ時を過ごせることに比べれば後片付けなんて大したことはない。
・昨日に続いて、河原でヨガをすることにする。サシャも嬉しそうに混ざる。今日の空気は昨日に比べると心なしかひんやりと感じるけれど、太陽が出てくるとじんわりと暖かい。インストラクターのまりこには簡単なヨガ英語(吸って・吐いて・力を抜いてなど)を昨日教えていたので、今日はよりスムーズに英語で指導ができている。これまで英語なんて全くと言っていいほど使ってこなかったはずなのに、数日の間でヨガを教えられるまでになるのだから、人間の学習能力の凄さを実感する。
・感覚を研ぎ澄ませて呼吸をし、丁寧に身体を動かしていく。目の前で川の水が少しずつ満ちていくのが、音で感じ取ることができる。この土地とのつながりを形而上的に理解する。やはり瞑想もヨガも、土の上でやるべきものなのだな、と思う。水面を切る音がして目を開けると、つがいのカナダグースが川に降り立っていた。
・「地球の中心には、それはそれは美しいクリスタルがあるといわれています」最後の瞑想で、まりこが続ける。「息を吐いて自分自身の根っこを地球のコアまで伸ばし、息を吸ってクリスタルの美しいエネルギーを取り込みましょう」
彼女がヨガを教えるときに語ることが、正しいか正しくないかなんて僕にはわからない。ただ、その物語が僕の意識を少し開いてくれるという感覚は確かにある。
・ヨガを終えたときには、潮がすぐそこまで上がってきていた。あと一時間で満潮なのだ。午後にはタモのカヌーを借りて遊ぼうと話していたので、パドリングウェアに着替えてカヌーを取りにいく。
・まりこを前に載せて、ウェーダーをきた僕がカヌーを水中に誘導し、後ろに乗り込む。カナディアンカヌーに乗るのも、シングルパドルでパドリングをするのも、僕は初めて。潮の動きがゆっくりになってきた裏のチョウン川を下っていく。
・裏の川や河口の潮汐の変化は、近くで半年ほど暮らして体感的に頭に入っている。ゆったりと潮が変わっていくタイミングでまた川を登っていく。
「こんなに美しい水面の散歩道がすぐ裏にあるなんて、幸運なことね」とまりこ。その通りだと思う。
・「最後にお願いがある。初日に行ったゴールデン・スプルース・トレイルと、村のアートショップにまた連れて行って欲しいの」彼女は明日午後の便でバンクーバーに飛び、明後日には日本に帰る。
「もちろん。ショップだったら今からでも行けるよ」
・カヌーをタモの家に帰し、着替えてから村の奥にあるアートショップに向かう。「サラのロングハウス」というお店で、お土産物屋でもありつつ、地元の人々がプレゼントとして現地アーティストの作品を買いに来るようなお店だ。
・まりこは最初からアージェライトのペンダントにしか興味がなかったようだ。アージェライトは世界でもハイダグワイのとある山でしか取れない、貴重な鉱石。ハイダのアーティストのなかにはアージェライトを使って彫刻をする人々もおり、彼女はそれらの作品に釘付けだった。
・「この『三日月』のペンダント、見せてもらえますか」と彼女が店主に聞く。店主がガラスケースからペンダントを取り出し、箱を開ける。それはそれは美しい彫刻だった。
「月はハイダにとって大切なモチーフ。ワタリガラスが世界に散りばめた光のひとつね。暗闇を照らす存在として、逆境のなかで導いてくれる光でもあるわ」店主がそう教えてくれる。
・「ワタリガラスのペンダント、ありませんでしょうか」とまりこがさらに聞く。もともとお目当てだった月のペンダントは手に入れたはずなのだが。「数点あるはず。ほら、これはワタリガラス。素敵な彫刻ね。なかなか高価だけど」
そう店主が最初に見せてくれたものは、確かに逸品だった。アワビの貝殻であしらわれた目が印象的で、仕上げの研磨も群を抜いて巧みだ。アージェライトの持つ質感が存分に発揮されている。
・そのワタリガラスのあとにも店主は数点のペンダントを見せてくれた。ただ、最初に彼女が手に取ったワタリガラスのものに比べれば、凡庸とまではいかないまでも、直感に訴えかける何かが欠けていた。少なくとも、彼女のまなざしからそう感じ取ることができた。
・「わたし、これも買います」まりこが言った。「お金なんてあとでまた稼げばいいから」
・店を出たとき、目の前の入江の向こうには夕陽がこれでもかと輝いていた。水面はガラスが敷き詰められたかのようだ。
・「よくそんなに大きな買い物を即決できるね」
「石ってそういうものなの。どんな場所で、誰の手から手に入れるか。今日この場所で、このお店の方において、この村のアーティストの石と巡り合った。そのことが一番大切で、そこにお金は惜しまないようにしているの」
ふたつのアージェライトを迎え入れた彼女は満足げだった。「まあ、この石たちが私の元に留まってくれるかもわからないんだけどね」
・帰り道、タモからメッセージが。「家でスーパーボウルを見ないかい?ゲームの後、サウナにしよう」昨日のパーティの残り物を持ってタモの家に行くことにする。
・彼の家に着くと、ゲームはすでに始まっていた。初めて観戦するスーパーボウルであり、人生2度目のアメリカンフットボール観戦である。相変わらずため息が出るほどの広告の量でうんざりしてしまうが、ゲーム自体はとてもエキサイティングなものだった。いわば「アメリカ性」というものを数十倍に凝縮したかのようなイベントなのである。そんなものから遠い場所にいることがとても嬉しい。
・改めて広告という概念が存在しない島にいられていることに感謝してし尽くせない。広告がない世界はこうも美しいのだ。
・タモがまりこに2年前の日本旅行のアルバムを見せている。妹のミドリとふたりで半年間日本を旅した時の記録だ。がっしりとしたアルバム本にたくさんの写真がコラージュされている。アルバム作るのっていいな、と思う。
・延長線までもつれ込んだゲームが終わった後、3人でサウナに入る。まりこは初サウナだという。じっくりと全身を温める。今日は外で運動している時間も長く、体が冷えていたのだ。
・サウナからあがった後、タモの家にあったカレールーを使ってサーモンのカレーライスをつくる。まりこに手順を指示してもらいつつ、玉ねぎとにんじん、じゃがいもを炒め、サーモンを混ぜて火を通す。水を入れて煮込む。この段階でサーモンの出汁がしっかり効いていて美味しい。ルーを贅沢に入れて仕上げる。
・鮭カレーの出来は言わずもがな。どこかしら懐かしい味に舌鼓を打つ。
・「ハイダグワイに来ていちばんの驚きはなんだった?」とタモがまりこに聞く。
「新しいものが見つかったというより、自分の遠野での生活とここでの生活が想像よりも相当似通っていることがびっくりだった」とまりこ。僕もハイダグワイに最初に着いた時、言いようのない懐かしさを感じたのを思い出す。
・カレーを平らげ、タモにおやすみを言って別れる。
「素敵な兄貴分ね」帰り道の河原でまりこが言う。
「そうだな。タモみたいな男が隣人なのは本当に幸運だったと思う」
「ここの大人たちは皆、本気で遊んでいるのが素敵」
・寝る前にクラフトビールを半分こにして飲み、また筋膜リリースをして寝床につく。