シーソー、国境、そして分断
とある記事を見て思うことがあったので、ちょっと書いてみる。
ちょっと長いが、お付き合いください
シーソーの壁
ロンドンのデザインミュージアムが毎年発表する「今年のデザイン賞(英名:Beazley Designs of the Year)」に、カリフォルニアを拠点とする建築家チームのロナルド・ラエルとバージニア・サン・フラテッロが率いたプロジェクト「Teeter-Totter Wall(シーソーの壁)」が選出された。(表紙写真:CNN)
写真で見ると、子供たちが公園で無邪気にシーソーで遊んでいるように見えるが、よく見ると両サイドが高い壁で仕切られている。
ここは、アメリカとメキシコの国境そのもので、ご存知の通りトランプ前大統領(「前」を付けられることに物凄い安心感を感じる)が選挙の公約として「メキシコとの国境に壁を作る!」などと叫んでいたように、政治的緊張が続く場所である。そんな分断・差別・嫌悪のカタマリとも言える国境分離壁のスキマにシーソーを設置し、壁自体を支柱とすることで、分断されたコミュニティの子供たちが遊べるようにしたものである。
壁という分断の象徴に、シーソーという一方がもう一方に影響を及ぼし、かつ両方に誰かがいなければ成り立たない、という繋がり・調和の象徴のような遊具を設置する、という「カウンター・クリエイティビティ」に一人でニヤニヤしながらニュースを見たのを思い出した。
「国境」って
日本にいると、「国境」というものを意識する機会ってほとんどないように感じる。もちろん島国であるからそもそも国境もなければ、日本にいると「外国」や「外国人」を意識することなんてほとんどないので、「国境」という概念がファンタジーのようになってきているように感じる。
(初めて歩いて渡った国境。左:コスタリカ、右:パナマ。2020年1月)
そもそも国境って、なんなんだろうか。自分なりの解釈で語らせてほしい(異論は受け付けません)
16世紀以降、ちょっと強めでヨーロッパらへんにいた陽キャグループが、国民国家の名の下で、同じ民族同士が集まって地球上のどこかに陣取って地図上に線を引き、戦争という陣取り合戦が熾烈になった。もちろん封建的な領主支配でも線引きはあったが、国と国との境目としての国境ができたのが、この頃のお話。
その国民国家に基づいた「人間と陸地のチーム分け&陣取り運動会」が、18世紀以降から始まった資本主義という世界規模の「モノづくり&『お金』作り運動会(笑)」と鬼のシンクロを見せ、二つの大会が相互作用しながら、絶対的な前提となってきている。その二大大会のキャッチフレーズは、「同じ民族(?)で固められたズッ友チームで、憎き他チームよりもたくさん物を作って、溢れるほどお金を生み出していけば、いつかみんな幸せになれるゾ☆」
だが、そんな歴史上の二大大会によって、たくさんのものが犠牲になってきた。何故みんなこんなにも献身的に大会に参加しているのに、いつまで経っても幸せにも豊かにもならないし、気がついたら資源もなくなりそうやし、そこら中で喧嘩は起こるし、割と絶滅の危機まで来てしまっているんだろうか。
不思議だ。本当に不思議。マジでなんで???w?W
分けるって、便利
何故こんな不思議なシステムがずっと続いてるかと考えれば、一重に便利だからだ、としか考えようがなくなる。
分裂って、とても便利だ。二元論って、とても便利だ。
引き離すだけで、自分たちが善、それ以外が悪、という認識を作れる。同じチームメンバーで、敵チームをやっつけて、従わせよう。他のことなんて考えなくてもいいし見なくてもいい。最高の仲間と圧倒的成長
敵を作るだけで、自分たちを疑わなくて済む。考えなくていいので超楽チン。どんな時も自分たちが正しいので、それ以外ははい、お疲れ様でした
もちろん、世界が物質的に豊かになってきたことで、18世紀〜20世紀のような血で血を洗うような争いは少なくなり、グローバル化なる「グローバルみんなお友達月間」が進んだ。冷戦という史上最大レベルの運動会(メインイベントは核兵器玉入れ)も、赤組が勝手に無事死亡して終了し、フランシス・フクヤマとかいうおじさんも校長先生的なポジションから「最大の運動会が終わったので、皆さんの運動会はもうおしまいです」と高らかに歴史の終わりを叫んだ。
しかし悲しいかな、9.11以降の世界では右傾化したポピュリズムが台頭している。様々な定義があることを承知の上で超スーパー勝手に定義をすれば、「俺らの組マジ最高卍、俺ら以外はガチのゴミクズでいつか俺らを攻めてくるから先にいてこましてガン無視して好きにやろうぜ、最高の仲間と圧倒的成長卍」的な扇動である。恐ろしすぎる
分断を作り、世界観を二つに分け、敵味方を作ることは、一番簡単な統治方法であるのも間違いない。なので、分断を無くせなんて、簡単には言えないだろう。バイデン新大統領も就任演説で国民にUnity(団結)を訴えかけたが、そう簡単にも行かないはずだ。直近4年間こそ、21世紀で一番分断・格差が進んだ時代とも言えるのだから
でもそれは、これまで通り「差別は区別、あって当たり前」「争いとかあってしょうがないよね」「資本主義が変わる訳ないやんw」のように現状を肯定し続けていい、という訳ではない。リアリストと自称する「現状肯定なんにもしないマン」がちょっかい出してきても、華麗に遇らおう。そして、引き裂きの圧力に「なぜ?」を問いかけ続けよう。
そんな分断の圧力を、「支柱」として上手く皮肉りながら、遊び心を含んだアーティストの21世紀型の「非暴力・不服従」運動に、自分の味方がいる気がして、ちょっと嬉しくなった。