【航海日誌】Yan村(3/18)
概念図
・8時に目を覚まし、白米を炊く。サーモンをバターで焼き、インスタントの味噌汁をつくる。さっと朝ごはんを済ませ、昼ごはん用のおにぎりを握る。鮭フレークの混ぜ込みご飯のもとがありがたい。
・今年最初のシーカヤックである(裏の川で漕いで遊んだりはしてた)。八月か九月には数週間かけて南のモレスビー島を巡りたいと考えているので、これから夏にかけて日帰り・数日レベルのカヤック旅を重ねて慣れていきたい。
・今日漕ぐのは家の近く、マセット村に面した入江。昨年よく漕いでいたスキディゲート村の近くの入り組んだ入江とは対照的に、マセット村は外海に面している。冬の間は特に荒れることが多く、昨年の十一月以降、あまり海で漕げていなかった。
・二日前から素晴らしい天気で、ほとんど風もない。海洋気象を見ても外海の風は最大10ノットほどで、特に問題ないだろう。満を持してマセットの入江を漕いでみることにする。
・目的地はオールド・マセット村対岸にあるヤーン村跡。1700年代半ばにマセット村のハイダ族で分裂抗争があり、とあるクランが移ってきて村を立てた場所だ。十九世紀後半に天然痘の流行で人口が激減し、ヤーン村もその時に打ち捨てられた。
・マセット近辺の色々な人の話を聞く中で、よくヤーン村の逸話を耳に挟んだ。復元されたロングハウスが建っている、数十年前に建てられたポールがある、など。ハイダグワイにおけるトーテムポールといえば、南部グワイ・ハアナス国立公園に点在する村跡に残されたポール群が有名ではあるが、それらはいずれもスキディゲート村に位置するクランのものである。マセットに現在居住している数々のクランは昔、ハイダグワイ北岸に数カ所ある廃村に住んでいた。マセットのコミュニティに属する人間として、近場の村跡をトレーニングとしてめぐることは理にかなったもののように思える。
・昨晩のうちに車に乗せておいたカヤックをしっかりロープで留め、パドリングジャケットなどのギアをトランクに積み込む。ランチにはおにぎりとラーメン。たった半日の行程なので、リラックスしていこう。
・オールド・マセット村の北端に位置する墓地を越え、ビーチに出る。ひとりで車からカヤックを降ろし、ドライバッグに昼食の準備と上陸後の行動着をいれてハッチに詰める。今日の潮汐は9時満潮、4時半干潮。半月なので潮の動きはいつもほど早くはないはずだ。それでも、11時前に出艇しようと海面に目をやると、その動きには少し緊張させられた。
・マセット・インレット(入江)はいびつな形をしている。北に面して半月状にカーブを描くハイダグワイ北岸。その中央付近から幅2キロほどの入江が五十キロほど内陸に伸びていき、そこから北島のど真ん中に大きく広がる。最大で7メートル以上も潮汐変化のあるハイダグワイのダイナミックな潮の動きは入江にたっぷりと海水を送り込み、そして吐き出す。その大きな水の動きの河口に位置しているマセットから見ると、入江は一日に数回流れを変える巨大な川にしか見えない。
・なにはともあれ、ヤーン村までは片道5キロほど。潮に流されつつ、ちょっと進行方向に気をつけていれば問題なく上陸できるだろう。ライフジャケットのバックルを締め、コックピットに乗り込む。
・それにしても、静かな一日だ。冬のサーフシーズンの間、少しでも風が吹けば大きな波が押し寄せることで有名なハイダグワイ北岸ではあるが、今日は全くの凪。
・高い山を望むことのできるスキディゲートの入江とは異なり、マセット周辺は平坦な森と湿地が広がっている。海からは海岸線まで押しよせる針葉樹の森が四方に広がっており、どこまでも陸地が続いているのではないか、という錯覚をも覚える。
・水面を這うように、平ぺったい黒い物体が前方を横切る。次の瞬間、その大きな物体は散り散りになり、それが小さな海鳥の集団なのだとわかる。ハイダグワイは北米最大のウミスズメのサンクチュアリである。彼らのひと個体は握り拳にも満たないくらい小さいが、編隊を組んで飛び立てば、彼らは拡大と収縮を繰り返す別の巨大な生き物のように見える。
・40分ほどちんたら漕いでいると、ヤーン村のロングハウスとポールがくっきりと見えてくる。白い小石のビーチが広がっており、上陸しやすそうだ。ビーチの数十メートル手前にはワカメが沢山生えており、ラダーを引き上げて漕ぎ進む。
・ハイダの村は静かで上陸しやすいビーチに建てられることが多く、その前の海にはワカメや昆布が生えている場所を選ぶことが多い。海藻群は波を弱め、村の侵食や波浪を防ぐ役目を果たす。もちろん、食べ物としても重宝されたのだ、と村のアーティスト、エイプリル・ホワイトが言っていた。
・浜にカヤックをつけ、上陸する。船は流されないように数十メートル上まで上げておく。三月にしては暑いほどの日差しを受け、ヤーン村のポールとロングハウスは白く照らされている。
・ウェーダーとパドリングジャケットを脱ぎ捨て、ビーチの流木の上で乾かしておく。今日のメインはヤーン村跡の探索だ。長靴に履き替えて水筒を片手に歩き出す。
・ヤーン村のビーチのすみっこに、復元されたロングハウスがふたつ建っている。2018年に公開された映画「エッジ・オブ・ザ・ナイフ」の撮影のために建てられたのだという。僕はまだ見たことはないが、かく映画は全編ハイダ語で収録され、監督もマセットのハイダアーティスト、グワイ・エデンショーが務めているのだとか。
・ロングハウスのなかは山の避難小屋のような様式。テーブルとベンチがあり、中央には焚き火台がある。ロングハウスはハイダ族の世界観をひとつの家の形になしたものという話を聞いたことがある。
・窓という窓はなく、海に面したファサードに丸い穴が空いている。焚き火台の真上の天井も穴が空いており、そこからも陽の光が差し込んでいる。二十世紀に建てられたロングハウスは西洋的な窓をはめ込まれたものもあったとのことだが、それ以前の家屋は全面と上部にしか太陽光を取り込む場所がなかったのだろう。いつかスフェニアおばあちゃんが、昔のハイダは前面から入る陽光の傾きで時間を読んでいたという話をしてくれたのを思い出す。
・ふたつのロングハウスに挟まれるように、一本のポールが建っている。1990年に建てられたというこのポールの塗装は少し色褪せて入るものの、彫刻群が何を意味しているかは容易に読み取ることができる。珍しく、下から上までブラックベアが連なり、何匹かはカエルを掴んだりくわえたりしている。ヤーン村のクランの家紋だったのだろう。大きなレッドシダーを縦に半分に割り、前面のみに彫刻があるハーフ・ポールである。
・色褪せて入るものの未だしっかりと構造が残っているふたつのロングハウスとポールの少し先に、全く違う雰囲気を醸し出す造詣がある。短い円柱が根もなく建っているという点でしかポールとは認識できない。サラルベリーが円柱の上に心地良さそうに枝葉を伸ばしている。
・これはモーチュアリー・ポール、死者のポールだ。ハイダ族の族長や高名な人物は亡き後、墓標として彼らを悼むポールが建てられる。遺体は薬草と共に木を蒸気で曲げて作った箱に入れられ、ポールの中に据え置かれるのだ。ハイダの村の古い写真を見ると、ロングハウスの正面に高く聳えるクレスト・ポール(家紋を記す表札のようなポール)、メモリアル・ポール(ポットラッチの開催や重要なイベント時に建てられるポール)、そして背の低い『死者のポール』が沢山見受けられる。
・ヤーン村の片隅にかろうじて残っているこの死者のポールは、おそらくイーグルの彫刻が施されていたのだろう。両翼はかろうじて認識できるが、胴の部分はベリーに覆われ、頭部は完全になくなってしまっている。30年前に建てられた新しいポールと比べると、このイーグルが通り過ぎてきた時間の長さは容易に推し量ることができる。きっと19世紀末にヤーン村が打ち捨てられる前に建てられたものに違いない。ざっと150年近くも、この場所からマセットの入江を見守っているのだ。
・さらに何か村跡が残っているかもしれないと思い、村跡の裏の森に分け入る。よく晴れた日でも、鬱蒼とした巨大なスプルースの森に入ると時間の区別がつかないくらいに薄暗い。これが曇りの日だったりしたら怖かったな、と思いながら時々木漏れ陽の差し込むジャングルを進んでいく。
・トレイルなんてものはなく、鹿たちが歩いた跡らしき獣道を頼りに森を北に進む。目を凝らしてポールらしきものやロングハウスの土台らしきものを探すけれど、どれだけ進んでもふかふかの苔が支配する巨大樹の森が続くだけである。
・でも、不思議と苛立ちのようなものは覚えない。あるのかないのかも分からないものを見つけにいくなんて、全てがインターネットやSNSでシェアされる現代ではあまり体験できないことだ。食べログの評価やインスタのおすすめ欄で見つけたものの答え合わせをしにいくのとは違うのである。進んだ先に何があり、どんな未来が待っているのか分からないから面白いのであって、何でもかんでもにレールやデータは必要ないはずだ。
・三つのビーチが連なったヤーン村の一番北のビーチまで歩き、引き返す。ビーチ沿いの森を歩いてきたので、帰りはもっと深く分け入って戻る。
・じめじめした地面を用心しながら歩いていると、皮の剥がされたレッドシダーに出会った。CMT(Culturally modified tree)だ!突然、人間の営みの跡を見つけてテンションが上がる。やはり村は捨てられても、クランの子孫たちは祖先の村にシダーの皮を取りに来るのか…!
・CMTとは、日本語では『文化活動の痕跡のある木』と言える。ハイダ族は伝統的にレッドシダーの皮をたくさんの工芸品に使ってきた。村のウィーバー(織物家)は、おのおののクランの縄張りにあるレッドシダーの皮を剥ぎ取り、薄く加工して工芸に使う。
・全部の皮を剥ぎ取るのではなく、一部分のみが器用に剥がされている。樹皮を全て剥がしてしまったり、深く傷をつけて形成層や師部を破壊してしまうと、木が死んでしまうということを先住民は知恵として知っているのだ。必要なものだけを自然から頂き、森総体としての健康状態が損ねられないように。
・偶然通りかかったレッドシダーの木に刻まれた人間の痕跡に、ここまで想いと考えを巡らせられるようになった自分にも少し驚く。あと一章だけ残している「マザーツリー」を読んで、自分の森の見方が大きく変わってしまっていることにも気づく。
・カヤックを止めた場所に戻り、昼食にする。二時間以上も歩いていた。ジャングルは時間の感覚を麻痺させる。キャンプバーナーでお湯を沸かし、インスタントのラーメンを調理する。おにぎりとともにいただく。家で食べるとなかなかミゼラブルな食事だが、ひとりでビーチに座り、遠くにトウ・ヒルを望みつつ麺を啜るというのは純粋な幸福だ。
・食事を終えた時にはすでに3時過ぎ。潮が変わるのが4時半なので、5時には漕ぎ出して村に戻りたい。もう少し散策してみることにする。さっきまで少し離れたところを歩いてきたので、今いるビーチの裏の森に入ってみる。
・スプルースとレッドシダーが入り混じった巨大樹が立ち並んでいる。命を終えた木々にはキノコが沢山実り、ヒゲのような苔が枝を覆って養分を吸い尽くそうとしている。
・一時間半ほど森の奥を歩いてみたけれど、特に主だった収穫はなかった。素晴らしく美しい苔に覆われたスプルースなどの写真を納め、ビーチの方に戻る。倒れたレッドシダーのうえを平均台の要領でわたり、ところどころ隠れている大きな水たまりを踏まないように用心する。
・もとのビーチに出ようと、森林と砂浜の境界線に差し掛かった時だった。目の前に突如、一本のポールが現れたのである。若いヘムロックのすぐ横に、風化して白ばんだレッドシダーが、地面に突き刺さっている。根も張っていないし、等間隔に刻まれたへこみもある。どう考えても、自然の造形物ではない。
・10メートル弱のそのポールは、マセット村や博物館に建てられているようなポールに見られる左右対称の彫刻などは全くない。ただ上部が内部から朽ち、外側の部分が残っているだけだ。周りを見回すと、その5メートルほど奥に低めのポールらしきものがいくつも並んでいる。ざっと数えて7本。どれも『死者のポール』なのだろう。
・端から順番にポールの周りを観察していく。最後のポールに目をやった時、視界に飛び込んできた物体が何なのか、すぐには理解できなかった。人間の頭蓋骨だ。
・下顎は失われ、前歯の3本もない。それでも、どう考えても人間の白骨である。一番端っこの『死者のポール』の朽ちた部分に引っかかり、地面に落ちてしまうのをすんでのところで防いでいた。
・本当に、死者はポールの中に埋葬されていたのだ。本で読んでいたことも、エルダーの話に聞いていたことも、どれも本当だったのだ。150年ほど前、ヤーン村が打ち捨てられるよりも昔のこと。ハイダが神話の世界を生きた時代。ヤーン村のとある高名な人物は死してポールに埋葬され、肉体は腐り、ポールも内側から朽ちていく。村は打ち捨てられ、この『死者のポール』は静かに森の中で自然に還る日を待つ。どこかのタイミングでポールの中にしまわれていた骨が落ち、飛ばされ、最後に残ったのは顎を欠いた頭蓋骨だった。彼の目線は海に、そしてその先の現在のマセット村に向いていた。
・死というものをこんなにも美しいと感じたことは、今までなかった。恐れのような感情はない。「ああ、そうなのか」という純粋な感傷と、大いなるものへの同意、そして諦観である。
・ポールを切り裂くように50メートルにも届くスプルースが生えている。『死者のポール』が立ち並んでいるその場所は、いささか妙な形をしているポールの跡を除けば、周りと全く変わらないジャングルである。地面に突き立てられているその足元には鹿の足跡がくっきりと残っている。
・どんな名声を得ようと、富を蓄えようと、長寿を誇ろうと、死して人間は自然の循環に戻っていく。人間も究極なる窒素循環の一部に過ぎないのである。先ほどからパラパラと降っていた小雨が止み、夕日が樹冠のあいだから心地よく差し込んでいる。死者を包み込んでいたポールたちの足元を照らし、彼らがいずれ還っていく苔むす地面を輝かせている。
・富と名声を恣にしたファラオの肉体を残すためにミイラ加工をしたエジプト文明とは違い、ハイダは消えゆく木の文明である。永遠に何かを残すなど、なんと浅はかな考えなのだろう。あなたが森に還ってしまう前に、こうして会いに来られて本当に良かった。導きをありがとう。深く頭を下げる。
・その場を去り、カヤックのつけているビーチに戻るまでにも、5本ほどのポールらしきものに出会った。午前中のように遠くのビーチや森の奥の方ばかりを探していたら見つからなかったのだろうから、物事は不思議だ。
・腕時計はすでに5時近くを指している。入江を渡って村に戻り、友達の家に遊びに行こう。カヤックを海に浮かべ、引いた入江で船体を傷つけないように配慮する。
・死を思う。僕はどんな場所で、どんな死に方をしたいのだろう。どんな葬られ方で、どんな覚えられ方をしたいのだろう。そんなことを考えながら、潮の入れ替わりでどこもかしこも変な流れが生じている入江を用心深く漕ぎながら、対岸を目指した。
・30分もしないうちにカヤックを上陸させ、車に乗せる。汗をかくほど暑くなったパドリングジャケットを脱ぎ捨て、エンジンをかけた。ビールが飲みたい気分だった。
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