リブリオエッセイ「好奇心は創造の種」
高校生のとき、美術の資料集に男性便器の写真がデンと載っていて「なんじゃこりゃ?」と思ったのを覚えている。残念ながら、当時の私はそれ以上深く考えなかった。
それが初の現代アートとされる『泉』(1917年)の写真であり、現代アートが「美しさにこだわらない」とは最近知ったことだ。作品が発表された当時、マルセル・デュシャンによって『泉(実物の男性便器)』を持ち込まれ、美術展の開催者が困惑したのも無理はない。
現代アートが目指すのは、鑑賞する人に新しい視点を示し、驚きや発見、共感を呼び起こすこと。新しいコンセプトを生み出すため、現代アーティストは興味のある事柄を徹底的に調べるそうだ。そのうち、今までになかった物や概念どうしのつながりが見えてきて創造的なアイデアになるという。
それを聞き、私はシンパシーとエンパシーの違いを思い出した。二つとも「共感」と訳されるが、内容はだいぶ違う。
シンパシー(sympathy)は、相手が悲しんでいるのを見ると自分も悲しくなり、喜んでいるのを見ると自分も嬉しくなってしまうような感情的共鳴をいう。女子の会話でよくある「うんうん、分かる!そうだよね~。」というアレだ。シンパシーが豊かな人は思いやり深く、優しい人といわれるだろう。
ただ、この能力には弱点がある。自分と全く違う価値観や感性の人に対しては、あまり役に立たないのだ。シンパシーは自然にわき起こる感情なので、異なる価値観を前にすると違和感が先に立つ。または、自分は共感しているつもりでも相手にはそう見えない、というズレが起こる。
一方、エンパシー(empathy)は相手の立場に立って、その思いや考えを想像する能力をいう。相手の反応が思いもよらなかったとき、「変な人」「無礼な奴」と片付けるのではなく、なぜそんな態度をしたのか相手視点で理解しようとするのがエンパシーだ。
相手の立場に立つには、いったん自分が感じる「当たり前」のレッテルをはがさなければならない。特に、相手の価値観が分からないときや自分と違いすぎるときはそれがはっきりする。
一つずつ相手の言葉や行動、背景などを確かめれば、今まで見えなかったつながりが見えてくるだろう。自分にはたいして価値を感じられなかったものが、その人にはとても大切だったと分かる場合もある。
そうして相手の価値観が理解できたとき、相手は「変な奴」から「自分とは違う価値観を持った人間」に変身する。エンパシーがあれば、意見や利害の違う相手とも生産的なコミュニケーションを取りやすくなる。目立たなくても、エンパシーは人間関係における創造的作業なのかもしれない。
『イノベーションを創出を実現する「アート思考」の技術』(長谷川 一英 著、同文舘出版)に寄せて
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