1999
「シリウスさん、卵、立てれるか」
楊さんは大陸の柔らかな風を思わせる穏やかな笑みを浮かべ俺に言った。
宴会料理を一通り出し終わり会社帰りの足で来た客の注文も落ちついたころを見計らい2人で休憩室に入ったところで今日は忙しいだとか最近はどうだとかいう話をするのがいつも楽しみだった。
楊さんはいつも中国産のタバコかセブンスターを吸っていて、人懐こいイケメンでたまに厳しいが中国人アルバイトの中心的人物だ。
烏山四畳半ルームシェアという精神的ラマダンとも言える数年を経てハイソサエティピーポーが住むという目白(というか落合)に引っ越した俺は、自転車で通える最寄りの人気スポット池袋にあるチェーン系居酒屋の厨房で働いていた。厨房に限って言えば当時既に日本人バイトの方が少なかった、そこで働くまでは思いもよらないことだった。
不景気とは言え都内の居酒屋は何処も活況で、価格帯を少し低めに設定した当店は客の年齢層が他の店舗よりは若干低かったように思う。
居酒屋の入っている8階建てのビルは3Fがボウリング場となっているほかは、全て居酒屋だったようだがエレベーターのボタンが7までしか無いので最上階までは行けなかったと記憶している。
当時の池袋はお世辞にも治安が良いと言えるような土地ではなく、繁華街を中心にカラーギャングが幅を効かせていた。尤も最盛期は90年代前半だろうからテッペンを極めた世代ではなくその残党というか残渣だったのかもしれない。いわゆる大陸系ギャングとは別系統であるとは思うが中々に過激な行動もあったように思う。
例えばバイト初日の帰りしな、ビルの入り口を出てすぐの所に停止していたタクシーを複数人のカラー少年が鉄パイプを振るい破壊していたりしたので、ファイナルファイトのボーナスステージかよという言葉を胸に秘め帰路を急いだりした。
楊さんは同年の生まれで、巣鴨だか日暮里だかの日本語学校に通っていた。居酒屋で働き出してすぐ意気投合し、入って1ヶ月ほどで俺と楊さんが厨房を仕切っていた。
俺はまともな料理経験はなかったのだが、働き出して直後の日から一ヶ月はみっちりと料理長のイイダさんにしごかれてすっかりレシピ一通りはマスターしていた。イイダさんは社員で歳の頃40前後だろう、切長の目がいかにも出来る料理人を思わせる無口な酒飲みでマイルドセブンは3mgだった。
俺は仕込みからラストまで14時間労働の日もあったし休みは月に5日ぐらいだったろう。お金が欲しいこともあり若いし体力も有り余っていた俺は特に文句を言うこともなく仕事にも慣れてきて居場所もできつつあったある日、料理長は書き置きを残して消えた。
「とりあえずはお前らだけで回してくれということらしい」
バイト店長のカクタが本部と連絡を取り合い、代打の社員は来ないみたいと言った。
「今日からアルバイトだけで料理だすの?大丈夫なん?」ホール担当のアルバイトは思っていたろうが、言われなければ客も気づかないものでそれほど料理のクオリティが下がるものでは無かった。
楊さんは既に結婚して可愛い妻がおり、妻は北京にいるらしかった。
祖父は現役政治家で家は金持ちらしく、教養もあるし余裕もあるという日本の金持ちと変わらない特徴も持ち合わせていたが全然鼻につくことはなく大陸の余裕とでも言おうか、20代前半にして既に風格のようなものが見え隠れしていたように思うが、何故に居酒屋なんかでアルバイトしていたのだろうか。何かミッションがあったのかもしれないか、ついぞ聞けなかったことは少し後悔している。
とある日の火曜日、宴会予約が数件入っていたので大皿料理を山ほど仕込み、時間になり団体が来れば次々とコース料理としてデシャップに出していき平日にしては忙しい厨房をそつなくこなして俺と楊さんは休憩に入った。
「シリウスさん、卵、立てれるか」
「え?卵?立つってどういうこと?茹で卵割って、みたいな?」
「いや、生卵だよ。ちょっと見てて」
休憩室に生卵を2つ持ち込んでいた楊さんはセブンスターに火をつけ燻らせながら両手で卵をそっと持ち上げた。
俺の隣にはナンパ狂いの大学生シゲ、不遇な家庭に育った女子高生のハツミ、在日3世のケイが座っている。
楊さんは何度か失敗しては卵を倒しながら、一息ついて改めて集中し
「ほら、立った」
と卵から手を離した。
生卵が立っている。(*)
何の仕掛けもないことは明らかだ。
「え」「まじか」日本人達は呆気にとられている。
あんまりにも突拍子もなくこいつは一体何をやり遂げたのだろうかと思っていた矢先、いままで毒にも薬にもならないバラエティ番組を映していた休憩室のテレビがざわざわと騒がしい報道室の画面に変わる。
「番組の途中ですが、、、ニュースをお伝えいたします。たったいま入ったニュースです。アメリカのニューヨーク市のツインタワービルに旅客機が衝突し、多数の怪我人が出ているようです。この旅客機はハイジャックにあったものと見られており、、、」
画面には、高層ビルから黒い煙が立ち上る映像や混乱する人々が映し出される。
あまりの現実離れした映像だし目の前では中国人エリートが卵を立てているし本当にこれは夢なんじゃないかと思った、本当ならば何かが終わって何かが始まったんじゃないかと呆然自失だったが黒幕やら仕掛けがわかるでもなく、すぐに深く考えることを放棄した。
楊さんは少しニヤっとしたように見えたのは気のせいだったろう。
「シリウスさん、明日から色々大変になるかもしれないね」
「楊さん、何なのこれ、何が起こってんの?」
「よくわからないけど、これは大変なことだよ」
日本人たちの宴会は益々盛り上がりを見せ、なみなみと注がれたビールジョッキが次々と宴会卓に運ばれていった。
俺と楊さんは、何となく黙ってしまい厨房に戻り黙々と働いた。
1999年の夏。