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実録スピ散歩/「清里のアイルトン・セナ」

知っての通り、八ヶ岳の南麓に位置する清里は覚醒者の巣窟である。

あ、いや、巣窟っていうと、「あっち」の「覚醒」に所縁のある人たちが集まっているようで表現がまずい。

そうだな、覚醒者の吹き溜まりではどうだ。
ありゃ?これも良くないのである。

じゃあ、これはどうだ。覚醒者のルツボ。うーん、これもイマイチである。

まあ、清里には覚醒者がぎょうさん、おられるのである。
ある日のこと、私はその中のお一人の庵を訪ねて教えを乞うたのだ。

齢70を超えられるその方は、まるで仙人のような風貌で、言葉をゆっくりと選びながらお話しになり、また、そのお顔には終始、穏やかな微笑みが浮かんでいる。
所作の一つ一つに愛情と、虚勢ではない確かな自信が感じられる。

うむ。やはり、覚醒者とはこうでなくちゃいけない。先生はまさに私が思い描く覚醒者の理想のタイプであった。
その日は先生の過去の人生経験を含め、ひとしきり道(TAO)のお話を伺わせていただき、非常に多くの学びを胸に庵を辞することとなった。

「駅までお送りしますよ」
なんと、先生はご親切にも車で清里駅まで送ってくださるのだという。

だが・・・、である。
そのお申し出に感謝しながら、案内された車の助手席に座り、先生が運転席に腰を下ろされたその瞬間、心なしか、先生の横顔の雰囲気が変わったような気がしたのだった。

「行きますよ」
行く先は当然、清里駅なのだが、その言葉を耳にした瞬間、なぜか迷宮の果てに連れて行かれるような嫌な予感が胸を走り抜けたのだった。

悪夢の始まりだった・・・。
先生が車を発車させた瞬間。地上から発射されるロケットに搭乗している宇宙飛行士が感じる重力はかくもか、と思わせる強烈なGが私の上半身を車のシートに押し付けたのであった。後方に激しくのけぞる頭部。

ぐぉんぐぉん、というけたたましいエンジン音とともに、車は駐車場から道路に向かって驀進する。道路に乗り上げた車はさらに速度を上げ、怒涛の走行を開始した。
走る、走る!いや、もはや跳ぶといった方が正確である。

「ひ、ひぇ~!」
心の叫び声を私は必死で抑え、両足を前方に突っ張らせながら、運転席の先生を横目でひそかに伺う。

目が座っている。ヤバい・・・。
車窓の外では清里の街並みが、まるで水に流される絵具のように、形を留めぬまま、あっという間に後方に消え去っていく。

ムンクの名画「叫び」のような顔になり、失神寸前の私の脳裏になぜか、永ちゃんの往年の名曲「黒く塗りつぶせ」が流れてくる。
心の琴線に触れるTAOのお話の後だが、んなもん知ったことか!

♪~飛ばすハイウェイ、ハートはオーバーヒート
いつもGet No Satisfied
シャクなこの世界だぜ 
みんな黒く塗りつぶせ

相変わらず車はF1マシンのように、右に左に圧倒的なGを伝えてくる。

ときに道路の隆起にぶつかっては、車体は映画のカーチェイスシーンのように、重力から解放された鉄の箱となって宙に舞い上がり、今度は獲物に襲い掛かるジャガーのように道路面に向かって落下、激突する。

「も、もうだめだ・・・」
薄れ行く意識の中で、そう感じたとき、車はやっと清里駅のロータリーにさしかかり、次いで鋭い弧を描きながら、ぎゃぎゃぎゃ、ぎゅいーんと急停止した。

シートベルトが存在しないかのごとく、体が激しく前に投げ出されたが、頭部がフロントガラスを突き破らなかったのはまさに奇跡だったと言える。

「た、たすかった・・・」
涙目で運転席の先生に顔を向けると、イエスキリストのごとく慈愛に満ち、まるで先ほどまで素敵なシエスタ(昼寝)を楽しんでいました、とでもいうような安寧と静謐さに満ちたお顔がそこにはあった。

「着きましたね」
笑みを浮かべ、静かに仰る先生。

私の脳裏に今度は、ジョン・ニュートンの名曲「アメイジング・グレース」が流れてくる。
♪Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now I’m found
Was blind, but now I see ・・・

ああ、天空から天使が舞い降りてきた・・・。
ボク、もう疲れたよ。この星(地球)での体験はもう十分だ。
さあ、この魂をあの故郷の星に連れ去っておくれ・・・。

危うく幽体離脱どころか、肉体を捨てて天に還ってしまうところだったが、シートベルトの端を固く握りしめていた指を一本一本やっとの思いでほどききると、ヨタヨタと車外に転がり出て、何とか現世への帰還を果たしたのである。

先生に深々と頭を下げ、御礼を申し上げたが、引きつった顔とは裏腹に、膝は小刻みに笑っているのであった。
しかして、志村けん演じる怪しい居酒屋店主の婆様のごとく、ヨレヨレの覚束ぬ足取りで駅の改札へと向かったのである。

と、後方でキキキーッ、という耳をつんざくような鋭い摩擦音が・・・。

驚いて振り返ると、清里のアイルトン・セナのマシンが走り去るところであった。
駅のロータリーに、三日月のような黒いタイヤのゴム跡を残して去っていくセナのマシンを見送りながら、かすかに震える声で私はこう呟いたのである。

「よ、よっしゃ。まあ、今日はこれぐらいにしといたるわ」

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