
僕と、彼の孤独癖について
短いエッセイなのだが、とても好きなものがある。
萩原朔太郎『僕の孤独癖について』。
萩原朔太郎は、大正〜昭和の詩人。ろくに知っているわけでも無いのだが、一応詩集は持っていて、「猫町」などは楽しく読んだ。(「猫町」はあまり詩らしくはないが…。)
「僕の孤独癖について」は、彼自身の少年期〜現在までの対人不安・強迫的なものの変遷を晩年に綴ったものだ。
青空文庫で公開されているものを少し引用してみよう。
僕は昔から「人嫌ひ」「交際嫌ひ」で通つて居た。しかしこれには色々な事情があつたのである。もちろんその事情の第一番は、僕の孤独癖や独居癖やにもとづいて居り、全く先天的気質の問題だが、他にそれを余儀なくさせるところの、環境的な事情も大いにあつたのである。
こういう冒頭から始まる。いかにも引きこもっていそうな根暗な人間が書きそうな文章じゃないか。これを初めて読んだ当時の僕もこんな感じで自分の対人関係のうまくいかなさ、そこからの逃避を考えていた。
少年時代の追憶に移る。当時の朔太郎は変わり者であったためにいじめられていたようである。
一人一人にみな復讐をしてやりたいほど、僕は皆から憎まれ、苛められ、仲間はづれにされ通して来た。小学校から中学校へかけ、学生時代の僕の過去は、今から考へてみて、僕の生涯の中での最も呪はしく陰鬱な時代であり、まさしく悪夢の追憶だつた。
かの時代の「いじめ」は「いじめ」という概念すらなかったであろうから、言語に絶するものだったろう。文章からあふれるほど滲む変わり者感は当時の同年代にとって格好のいじめの的だったのかもしれない。
青年時代になると陰鬱がやや狂気じみてくる。
青年時代になつてからも、色々恐ろしい幻覚に悩まされた。特に強迫観念が烈しかつた。門を出る時、いつも左の足からでないと踏み出さなかつた。四ツ角を曲る時は、いつも三遍宛ぐるぐる廻つた。そんな馬鹿馬鹿しい詰らぬことが、僕には強迫的の絶対命令だつた。だが一番困つたのは、意識の反対衝動に駆られることだつた。例へば町へ行かうとして家を出る時、逆に森へ行けといふ強迫命令が起つて来る。するといつのまにか、僕の足はその命令を遵奉して、反対の森の方へ行つてるのである。
このような認知・行動をここで現代の精神医学的分類に当てはめてどうこういうのは無粋の極みだと思うので避けるが、少年時代から精神状態が変容したことは確かだろう。
こういう状態であったので、何人かの友人や愛する人との関係を失い、彼は孤独を深めていった。
このあたりで追憶から「孤独」についての考察に移る。
人と人との交際といふことは、所詮相互の自己抑制と、利害の妥協関係の上に成立する。ところで僕のやうな我がまま者には、自己を抑制することが出来ない上に、利害交換の妥協といふことが嫌ひなので、結局ひとりで孤独に居る外はないのである。ショーペンハウエルの哲学は、この点でよく僕等の心理を捉へ、孤独者の為に慰安の言葉を話してくれる。ショーペンハウエルの説によれば、詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるやうに宿命づけられて居るのであつて、且つそれ故にこそ、彼等が人間中での貴族であり、最高な種類に属するのださうである。
彼は、自分の孤独癖を半分あきらめている。もうこうなってしまったのは仕方ないじゃないか。どうしようもないじゃないか。詩人なんだから孤独でいいんだ。ショーペンハウエルもそういっているじゃないか。
ショーペンハウエルは19世紀のドイツの哲学者で、有名な人ではあるが、同時代のヘーゲルが絶大な人気を博していたのに対し、あまり人気がなく、偏屈であったらしい。朔太郎が好きそうだ。
自分の孤独を、半分あきらめているように見えて、実は諦めていない部分が続く。
しかし孤独で居るといふことは、何と言つても寂しく頼りないことである。人間は元来社交動物に出来てるのだ。人は孤独で居れば居るほど、夜毎に宴会の夢を見るやうになり、日毎に群集の中を歩きたくなる。それ故に孤独者は、常に最も饒舌の著者である。
(中略)
町へ行くときも、酒を飲むときも、女と遊ぶときも、僕は常にただ一人である。友人と一緒になる場合は、極く稀れに特別の例外でしかない。多くの人は、仲間と一緒の方を楽しむらしい。ただ僕だけが変人であり、一人の自由と気まま勝手を楽しむのである。だがそれだけまた友が恋しく、稀れに懐かしい友人と逢つた時など、恋人のやうに嬉しく離れがたい。
(中略)
つまりよく考へて見れば、僕も決して交際嫌ひといふわけではない。ただ多くの一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないので、こちらで自分を仮装したり、警戒したり、絶えず神経を使つたりして、社交そのものが煩はしく、窮屈に感じられるからである。僕は好んで洞窟に棲んでるのではない。むしろ孤独を強ひられて居るのである。
これはもう、諦めきれていないというより、「孤独癖」から感じる自由意志で選んでいるような感じではなく、「孤独を強いられている」という強制の感じに移る。これは自省のなかでのアンチテーゼなのか、時の流れに伴った心境の変化なのかはよくわからない。
友達が少ないからこそ、たまに仲の良い友だちに会った時の離れがたさというものは、そういう経験をした人にしか共感しえないかもしれない。初めてこのエッセイを読んだとき、僕自身の経験をすべて言語化されてしまい戸惑った記憶がある。
ここからしばらくして、唐突に孤独(癖)と、その牢獄から解放され始める。
しかし僕の孤独癖は、最近になつてよほど明るく変化して来た。第一に身体が昔より丈夫になり、神経が少し図太く鈍つて来た。青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐつたり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観念に悩まされることが稀れになつた。したがつて人との応接が楽になり、朗らかな気持で談笑することが出来てきた。そして一般に、生活の気持がゆつたりと楽になつて来た。
時はすべてを解決しまうのだろうか。結局狂気じみた精神状態は年齢とともに薄まっていったことになる。
確かに現代の精神疾患も年齢とともに症状が軽減することが多いと聞いたりする。ただこれはやや唐突な感じも受けるが、彼自身にとっても「気がついたらそうなっていてどのようにそうなったのか自覚がない」状態だったのかもしれない。
だがその代りに、詩は年齢と共に拙くなつて来た。つまり僕は、次第に世俗の平凡人に変化しつつあるのである。これは僕にとつて、嘆くべきことか祝福すべきことか解らない。
ここがこのエッセイで一番好きな部分。孤独はたしかに苦痛である。が、孤独は孤独であるがゆえにぐるぐると螺旋を描いて無限に降下する内省を続ける。それを言語化できる力を持つ人は思想や評論や文芸に秀でていると思っている。
僕自身も、数年前まで精神的にかなりひどくて泥沼にいたが、薬のおかげか急にほとんど何もなくなってしまった。それはそれで喜ぶべきことなのだが、あの頃の「いたずらに眼光のみ炯々と」した鋭い感じはもう出せないんだろうな、と少しさびしくなることもある。
僕が書く文章も、その当時と比べていい意味でも悪い意味でも穏やかになってしまったような気がする。
「孤独は天才の特権だ」といつたショーペンハウエルでさへ、夜は淫売婦などを相手にしてしやべつて居たのだ。真の孤独生活といふことは、到底人間には出来ないことだ。友人が無ければ、人は犬や鳥とさへ話をするのだ。畢竟人が孤独で居るのは、周囲に自分の理解者が無いからである。天才が孤独で居るのは、その人の生きてる時代に、自己の理解者がないためである。即ちそれは天才の「特権」でなくて「悲劇」である。
とにかく僕は、最近漸くにして自己の孤独癖を治療し得た。そして心理的にも生理的にも、次第に常識人の健康を恢復して来た。ミネルバの梟は、もはやその暗い洞窟から出て、白昼を飛ぶことが出来るだらう。僕はその希望を夢に見て楽しんでゐる。
このエッセイが『文藝汎論』に掲載されたのは1936年、彼は50歳。没する6年前である。
彼は、彼の孤独癖を治療しえるのに人生のほとんどを費やしてしまった。彼の詩作は、ほとんど常に孤独とともにあり、それを無限の内省と人間の泥臭さとともに表現するからこそ人を惹き付ける部分があるのだと思う。
「ミネルヴァの梟」はヘーゲルの「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」を意識していると思われるが、ここでは原義ではなく、無限の内省による彼の内面が孤独(癖)の牢獄から解放されることを夢見ているのだろう。
僕は、幸いにも、少年〜青年時代の朔太郎の状態から「常識人の健康を恢復」するのが彼より早かった(と信じている)。
彼より、夢を見る時間が長く残されているのは、これもまた幸せなことだと思う。