
眠られぬ夜のために
中学生のころから、NHKラジオ第一の「ラジオ深夜便」が好きだった。
23時に始まり、翌5時までの番組。最初はインタビュー番組、それから知識人による講座番組があり、往年のロックやジャズ・歌謡曲の特集番組、最後に著名人の語りがある。
すべて「深夜」のために、眠りたいのに眠られぬ人のために、生活の都合で眠らないひとのために作られている。時々おたよりを送ってくる高速道路を走る運送業の運転手に思いを馳せる。
そのころ、家族関係がだいぶごたごたしており、深夜に車で移動することが多かった。目的もわからず車中泊させられたこともあった。
高校生になってから、深夜は勉強する時間だった。問題集や模擬試験の資料が山積みになった机で、AMラジオの乾いた音を聞きながら一人で勉強していた。
大学生になってから、もともと生活リズムが崩れやすいこともあり精神を病んだこともあり、眠れない夜が増えた。酒や睡眠薬で強制的に意識を落とす習慣がついてしまった。今でも極度の疲労や精神作用物質で気を失う以外の眠り方を長らく忘れているような気もする。
僕にとって、深夜とはそういう時間だった。ただ、僕にとって深夜が敵ではなく共存関係になりえたのは、そのラジオ番組の影響が多分にあったように感じる。
番組のコンテンツは変わるしアナウンサーも変わっていくが、変わらない構成、変わらない挿入メロディー、変わらない雰囲気のほうが、様式自体のほうが大事な気がしてならない。眠られぬひと、眠らぬひとにとって内容など正直どうでもよく、いつもと同じ落ち着きがあることだけが安らぎになり得るんだと思う。
とはいえ、そのラジオ番組でひとつだけ強烈に印象に残った音楽が流れてきたことがある。フラワーカンパニーズ「深夜高速」という20年近く前のJ-ROCKである。
宛ての無い情熱は若そうに見えるが、この歌はもう若くない人の歌だと思う。所詮最初から決まっている生きる目的などないのだし、若くても若くなくても生きる意味をこじつけて生きていくしか無いと思う。そういう人の背中を押す歌だと思う。
高校2年生のときに深夜勉強していると唐突に流れてきた。普段なら聞き流すところを聴いてしまった。
先日も徹夜で長時間労働をしたあとになんの気なしに一人でカラオケ屋に入ってこれを歌おうとしたところ、途中で急に涙が出てきて歌えなかった。
今でも酒を飲んでも眠れない夜はスマホでラジオを小さい音量で流して目を瞑っていると不思議と眠れることがある。眠られぬ夜は内省にちょうどよいなどと言ったひともいるが、われわれのような人間にはそんな夜の内省など百害あって一利もないことは明白である。
適度なノイズがあったほうが思考の回転速度を落とせるのかもしれない。騒音も静寂もそれはそれで人を狂わせる。
この記事も眠れないんだか眠ってはいけないんだかよくわからない午前2時に職場で書いている。こんな夜はこれからの人生も嫌になるほどあると思う。でもそのうちの1回でも生きている、というより生きてきた意味を肯定できるような夜になることを願って、今日も眠れない夜を過ごしている。