可哀そうになりたかった少女
9月1日は小中校生の自殺率がとても高い日です。
楽しい夏休みが終わりふわふわとお休み気分が抜けないまま「今日から学校か~だるいな~」なんて思いながら学校に行く
でも久々に会える友達や先生、教室の賑やかさに胸を躍らせ登校する。
そんな経験あると思います。
じゃあなぜ9月1日は小中校生の自殺率が高いかというと胸躍らせる子達を横目にみつつ行きたくない学校に行かなければならない日々の開幕を恐れている子がいるからです。
幸いなことに私は両方の気持ちを体験したことがあります。
「死ぬな生きろ」そんなたいそうな事言えるほど責任は持てないし立派な人でもありません。
でも、もし今日辛い思いをしている子がいるのなら暇つぶしに読んでほしい
そう思いこの記事を書いてます。
朝日と泣いた日
わたしは小中といじめられた経験があるのですが、一番つらかったのは中学3年生の時にうけたいじめでした。
いじめの内容はある日突然仲の良かった男子女子全員から無視をされ、指をさされたり聞こえるように陰口を言われたりする典型的なものです。
「ああ、またか」そんな気持ちでこれからどうしようかと悩みながら学校生活を送っていた時、突然筋肉が全部なくなったみたいに体の力が抜けて起き上がれなくなりました。
幸いなことに夏休み一週間前の出来事だったので教師からあまり怪しまれず休み期間に入ることができたんです。
夏休みは学校に行かなくていい理由があるし、クラスメイトにもあわず幸せに過ごせると思っていましたが、考えるのは「休みが終わったらどうしよう」ってことばかり。
一か月近くある休みの期間は普段なら早く感じるのにとても長く感じたことを覚えています。
夜は寝れず朝になると涙が出て、元気に遊んでいる子達を部屋の窓から眺めながら気絶するみたいに寝ていました。
「あー、私死ぬんだ」って
何か命に関わる大病をしてたわけじゃありません。
ただなんとなくこのままだと死ぬんだなって
意味もなく夜中車道を歩いているときにそう思ったんです。
9月1日になったとき親に相談しました、行きたくないって。
そうしたら「行かなくていいよ」と言ってくれたんです。
その一言で救われた気がしました。
中々に特殊な家庭環境だったので親は私にあまり関心がなく、悪く言えば育児放棄
でもその時の私からすれば最高の育児放棄でした。
その後学校に行かないことが問題となり教師から怒られました。
「私が学校で過ごす1日を先生が見ればきっとわかってくれる」そうおもって1日だけ登校したんです。
でも子供って凄くて先生がいない時とか隙をみつけて攻撃してくるんです。
それに気づいた時「必死にいじめられてるアピールするの疲れんな」って思ってやっぱり行くのを辞めました。
そう思えたのはネットでみつけたラジオがきっかけでした。
当時の私はSEKAINOOWARIが大好きで新曲がでてはウォークマンに曲を落し、涙のマークを真似して特殊メイクも覚えたりして。
屍のようになっているときでも音楽は寄り添ってくれてたんです。
そんな時たまたまSEKAINOOWARIが当時やっていたSchoole of lockのラジオをみつけました。
その時に知ったのですがボーカルの深瀬は中学時代同級生からリンチにあって不登校も経験してたそうで。
自身の体験を交えつつ不登校のリスナーに対して言葉をかけている回が切り抜いてありなんとなくその動画を開くと
「不登校になるにも勇気がいるんだ。逃げることは恥じゃない。逃げないのも逃げるのも勇気がいる」
「不登校になったらずっとやすんでいいわけじゃない。学校で学ばない分自分を学ぶんだよ、向き合うんだよ。外に出てずっと空を眺めたり本を読んだり、やりたいことがあるならおもいっきりやってみな」
たしかこんな感じだったと思います
一番衝撃だったのは学校で学ばないなら自分で学びを得るという事でした
不登校になったら休んでいるから何もしちゃいけないと思ってたんです
外にでない、楽しいことをしない.....etc
でもそんなことない、むしろ学べ外へでろと言われたとき「自分が学びたいことを自分で選んでもいいのかも」って
でも嫌な事でも一度経験してから、食わず嫌いはだめだとおもって9月1日学校に行きました。真面目だよね~~....
.....結局だめでした(笑)
当時は笑えなかったし人間社会に適合できない自分が恥ずかしかった
めでたく不登校になってからはお昼に一人で散歩に行ったり歌詞を書いてみたり本を読んだりしました。
日記を付けたり心理学の本を漁ったりもしました。
当時は出口の見えないトンネルの様に暗く辛かったけど、今思うとその時初めて自分という存在にしっかり向き合ったことやその時感じたことが今の私につながっているから過去の自分に拍手したいです。
逃げることは覚悟がいる
私は学校から逃げて自分からは逃げないと不登校になる時に決めました
なにも考えず学校にいけないことを人のせいにしていればもっと楽だったのに、それをしなかったのはある意味怖かったんだと思う
なにもなくただ時間が流れていく、自分だけ時が止まったような世界がとてつもなく怖かったんだと思う。
でもラジオのおかげで逃げることは悪い事じゃないと知ったし、その代わり自分にひとつ課題を課すことによって乗り切れたんだと思っています。
でもそれって親になにも言われなかったからできたことだよな~とおもいます
大抵の子は親が世間体を気にして無理やり学校に行かせたり、どうして行けないのかを永遠と話し合ったりするのかな?
当時私の両親は離婚していたのですが、一緒に暮らしていない方の親からは色々と聞かれたし、なんかよくわからないカウンセリングも親からうけました
でも普通の女の子になってほしい、理想の子に...と昔からそういう思いが父にあることは知っていたので適当にかわしていました。
たぶんこれも一つの幸運だったと思う
ちっちゃいころから女の子らしくなく、泥んこまみれになり男の子と遊ぶことがすきな女の子だったんですけど父はそれが嫌だったんです。
可愛いスカートを履いてピンクの服でピアノを弾いている子が好きだったんです
自分の意志と親の意思が食い違っていることに気づいたのは小学校3年生くらいの時で、その時親にすべて理解してもらうことと期待することを辞めたんですよ
そしたら気持ちが楽になって親の前では理想を演じて、それ以外は自分の好きなように生きていました
今思うとなんちゅう小学生だ(笑)
その経験があったからこそ不登校で親になにか言われた時もダメージは受けつつうまくかわせたんだろうな、もう一人は放棄だったから楽だったし。
親になにを言われようとあなたのままで生きていいよ
親って血がつながってる他人だと思う。それでも大事にするのは相手に尊敬できるところがあったり、沢山の思いでを共有してきた仲間だから家族っていうカテゴリーで深い人間関係作ってくんだとおもうわけさ。
でも育てるのは親になった責任であって、育てたから理想を押し付けていいわけじゃないの
あなたはあなたのままでいいし、あなた自身を傷つけるものを許さなくていいんだよ。
目標とか夢とかなくてもぷらぷら生きてていいのよ
人間って死亡率100%だよ、そのうち嫌でも死ぬ
それならぷらぷら寄り道しながら歩いてみようよ、いつかこの気持ちも出来事も笑って話せるようになるからさ。
その後中学校の卒業式には参加せず、晴れて高校生になれました。
その後も人生ハードモードで中々辛かったけど今は笑ってあの時の事話せる。
今も人生ハードモード真っ最中だけど今日は生きてみようを重ねてここにいる
たぶん明日も生きてるし、明日には今日の事笑ってる
それならいっかって思ってんだ
そんな話でした。