察することに頼るから起きるコミュニケーションミス
私の知り合いの方で、高坂朝人さんという方がいらっしゃいます。その方のFacebookにとても示唆に富んだ投稿があったので、ご本人の承諾をいただき引用します。
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次女とバスケしていて、ゴールに入ったら「ナイス!」、入らなかったら「ドンマイ!」と伝えていた。娘は「どんまい」と言われるとdisられていると思うと教えてくれた。「いけるいける」「おしい」はOKな言葉ということも教えてくれた。これからも、自分の素直な気持ちを話せる人になってほしい。
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母と久しぶりに会えた。ご飯を一緒に食べて、その後は、カフェでブレイクタイム。母は、過去のことを振り返り「ごめんね」と言ってくる。何度も裏切り、多くの方に被害に遭わせてしまったのは僕自身だけど、僕は「ごめんね」と心の中で思ったけど、言葉では言えなかった。言葉で伝えることを目指す。
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この2つの記事はそれぞれ別の日に投稿されたものですが、自分の気持ちを言葉で伝える娘さんと、母親に自分の気持ちを伝えられなかった自分。まるで質の良いショートストーリーを読んだかのようにジーンとしました。
そして、本来伝えるべきコミュニケーションとはこれなんだよ!と思った次第です。
相手の気持ちを察するとか、言わなくてもわかるとか、いわゆる『察する』ことに重きをおいたコミュニケーションには限界があります。そして、その限界値の天井は年々低くなっている。
『皆まで言うな』という言葉がありますが、これは、相手の意図や話の展開を察して「わかった」「理解した」の意を表現する言葉です。これをビジネスの現場でやられたらミスが連発します。想像しただけでも、いや想像しなくても恐怖です。ビジネスシーンでは『皆まで言え!』。そして『皆まで聴け!』です。
誰もがわかる形すなわち「言葉」にして伝える。
相手が話している時は遮らず最後まで話を聴く。
こんな簡単なことを怠るから誤解が生じて自分がイライラし、結果仕事でミスが起きる。
人の気持ちは言葉とは裏腹なこともあり、表情や態度、声のトーンなどに本音が表れることも多いです。だから見た目の情報は重要。しかしこの弊害としては、あくまでも受け手の想像と主観であるということ。人間の察する能力には限界があります。そしてそのなんとも頼りない能力を過信している人が多い。
相手がどう感じているかを察して先回りして行動することは大いに結構です。しかしそれは期待外れに終わることも多い。相手が欲していたことと違うことをしてしまい相手が喜ばなかった時に「せっかくしてあげたのに」とならず、それをニュートラルに受け入れる。
自分の気持ちを素直に伝える。
相手に受け入れられるかどうかは相手の問題。
そんなコミュニケーションスキルを身につけていく方がよほど生産的だと私は考えています。
私は『人は分かり合えない』という思考からスタートしています。だからこそ、なんとか自分をわかってもらいたい、相手のことをわかりたいと思い懸命に行動する。その一つが「言葉で伝える」こと。
人の価値観は全員異う、だからその異いを知り認め合うことからスタートしてみれば、コミュニケーションミスは減らしていけると信じています。
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