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慣れることに成れる。2月10日はニートの日らしい。【我がニート】
日常の熟成者、エブリィサンデーの白鹿かかおだ。
鹿は産まれて1時間で世界に順応し、歩けるようになる。
ニートは人通りのところに行けば、忍者にジョブチェンジする。
あぁ1時間が短い。1日があっという間。
なんで学校のときは、時計を見つめて、止まっているように見えたのだろう。
いつまでも、日常が続くと思ってしまう連続の毎日。
慣れることは必要な意識を他に回すメリットがあるが、
目の前の存在を認識できないデメリットがあるようだ。
『慣れるとは』
1 その状態に長く置かれたり、たびたびそれを経験したりして、違和感がなくなる。通常のこととして受け入れられるようになる。
2 経験を重ねて、そのことがうまくできるようになる。習熟する。
3 道具などが、からだになじむ。
ネットで調べてみたが、よくわからない。
検索して見続けていたら、納得できる内容を見つけた。
つまり「慣れ」とは「繰り返される」ことで
それに対する刺激の閾値が下がり、
自身の身体が適応した状態。
考えなくても、「習慣」という結果が再現される。
「習慣」は行動であり、
「慣れ」は現在の結果。
そういうことである。
生まれたときから、
バイト戦士でないわたしが
自宅の守護者のニートであることは
必然の「慣れ」と言えるだろう。
『慣れることに成れる』
「成れる」という言葉をよく目にする。
リーダーになれる人。
本気になれる人。
なりたい自分になる人。
みんなは「何者か」になりたいのだ。
既に我々は、「人間」に成っているのに。
「結果」に憧れるなら、
「習慣」を変えなければいけない。
わたしは犬の散歩をしたくないと思っていた。
しかし、わたしの立場は弱い。
ただ、犬の散歩をしてみると思ったよりも
悪いものではなかった。
考えは言葉となり、
言葉は行動となり、
行動は習慣となり、
習慣は人格となり、
人格は運命となる
最後に
みんなも「ニート」に成ってみよう。
とりあえず「習慣」に。
さすれば、「毎日が日曜日」だ。