偽物の小学生
嫌な事を「嫌です」と
伝えられない人は、NOを
口に出す事は勇気がいるし
パワーを使って疲れる。
もし言えたとしても
疲れるし
言えなくて諦めたとしても
やっぱり、疲れる。
私が明確に「嫌だ!」
出来れば全力で抵抗したい。
と思った記憶は、
小学校の入学式の日。
私は地元の普通の公立に
入学しました。
母が用意した入学式の洋服は、
借り物の有名私立小学校の
制服だった・・
その時、私は母に
嫌だとちゃんと言えたか
明確な記憶はないけれど
泣いてぐずった記憶はある。
集合写真では母は満面の笑み、
私は暗く悲しい表情をしている。
カメラのレンズを見る様に
カメラマンに言われたけれど
私は少し目をそらしている。
式が終わって教室へ行くと
何人かに、セーラー服の事を
聞かれたり冷やかしを受けた。
母はなぜ?こんな事を
するのだろうか?当時は
分からなかった。
けれどのちに、遠方に住む
親戚達に、あたかも
有名校に入学したかの様に
振る舞う為だったのか?
と想像する。
やめて!と何度お願いしても、
母は事ある事に子供に了承なく
勝手に写真を配り歩く。
それは大人になってもです。
子供の声は届かない。
母にとって産んだ瞬間から
子供の命、そして心と体も
自分のモノという認識
そんな考えの人だから今、
子供に迷惑をかけない様に
日々頑張っている。
私はいい母親と、変な
自己評価に繋がっている。
おかしい位、自己評価の
高い母親と、
その親に育てられた
自己評価の低すぎる私。
同じ血がこの体に流れている
そう思うだけで自分が許せない。
桜の季節の、悲しい記憶。
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