愛すべき生まれて育ってくサークル。
ディック・ブルーナが亡くなった。もちろんミッフィー(うさこちゃん)で有名すぎるオランダの絵本作家のことだ。僕にとっては最も影響を受けてたグラフィック・デザイナーであった。僕が20代半ばの頃デザインの世界はスイス・タイポグラフィのリバイバルで湧き、多分に洩れず僕も感化されそういうものを目指していた。しかし自分がデザインするとしっくりこなくてものすごくスランプだった時期でもあった。そんな時に知ったのがブルーナのデザインだ。シンプルであるのにユーモアがあって何より愛嬌がある。大げさなようだけれども救われた気がして、デザインに困ったとき何度ブルーナの仕事を見て参考にしたことか。メッセージを幾何学的な“かたち” に置き換えたりデザインの中にユーモアを忍ばせるよう心がけるようになったのはブルーナの影響に他ならない。20代前半の頃には渋谷系の影響で60年代のイギリスの音楽やフランスの映画などから着想を得たものが好きだったので、どうもスイスデザインは自分にはスッキリしすぎていて物足りなさを感じていてそれがブルーナで繋がったのかもしれない。とにかくブルーナは僕のデザインの一番になったのだ。
日本にブルーナのデザイナーとしての仕事を広く紹介したのはグリフの柳本浩市さんだ。2002年に中目黒のCRAFTでのCRAFT BOOKSという催しが最初だったように思う。柳本さんがオランダで買い付けてきたブルーナの装丁したペーパーバックを中心とした展示であった。当時ミッフィーのイメージしか無かったから大変驚いたのを憶えている。その後2003年のディック・ブルーナ展「ミッフィー、ブラックベア、そのシンプルな色と形」は本格的にブルーナのデザイナーとしての本質に焦点を当てた展覧会。マティスやレジェやヤン・ボンスといったブルーナが影響を受けた画家やデザイナーの作品とブルーナ作品を並べて比較され彼のデザインを解体した展示はその後何度か開催された彼の企画展の中でも一番好きなものだった。僕にブルーナの魅力を教えてくれた柳本浩市さんも2016年に若くして亡くなられている。僕が日本のブルーナとして敬愛していた原田治さんの訃報も今月に入って聞いた。僕のグラフィック・デザインにおける核にある方々が次々といなくなる。ぽかーんと僕は空洞になってしまった気がした。
敬愛する人が亡くなった時はいつだって寂しい思いだけれども今回はひとしおである。そんな時いつだって聴きたくなる曲がある。ひとつは小沢健二の「天使たちのシーン」。もうひとつは「Witchi tai to」だ。ジャズサックス奏者のジム・ペッパーによる作で、呪術的な感じすらある単調に繰り返されるメロディの後ろでコードが変わり雄大さと美しさへと昇華する。本当のところはよく分からないけれども鎮魂歌のような、どこかへ自分をトリップさせるような、僕にとってはそんな印象の曲である。ネイティブアメリカンの言葉による歌詞なのだけれども途中一部が英語に変わる。こんな感じだ。
Water spirit feeling/Springing round my head/Makes me feel glad/That I'm not dead(頭のまわりに水の精が飛び跳ねる/私は生きていることに幸せを感じる)
ところでジム・ペッパーはネイティブ・アメリカン であった。コルトレーンのようなモダンジャズをしていたが、これは自分のルーツに根ざした音楽ではないと伝承音楽など盛り込んだ自分のジャズを試行錯誤する中で生まれたのがこのWitchi tai toだそうだ。この曲が僕に死と生を強く意識させながらも不思議と落ち着く気持ちにしてくれる理由が分かった気がする。ネイティブ・アメリカンは先祖崇拝だから、日本人の死生観に合うのだろう。亡くなった人の旅立ちを見送りながら、かたちを変え還ってくる新たな人を迎える準備をする。そういえば小沢健二の天使たちのシーンも大きな時間の中で人と人が紡いでいく循環について歌われているのだったとふと思い出した。
※この文章はル・プチメックのWebサイトに連載した「片隅の音楽」をアーカイブしたものです。初出:2017年2月
ハーパース・ビザール「4(ソフト・サウンディング・ミュージック)」(WEA JAPAN /1992)
Witchi tai toは多くのミュージシャンによってカヴァーされているが(日本でも鈴木慶一がしている)、一番有名で個人的にも一番好きなバージョンが収録されているのがこれ。アメリカA&Mソフトロックの元祖とも言えるハーパース・ビザールの1969年に発表された4枚目のアルバムである。
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