小さい補助輪

春になった。数人の生徒が中学生から高校生になった。

そして一ヶ月が経ち五月になった。
この一ヶ月で高校へ入学した全員が紛れもなく変身した。別人になったというか、今までの彼ら彼女らがいなくなり、それぞれ新しい姿を見せ始めていた。
もしかしたら自分が今までみんなのことを勘違いしていただけなのかもしれない。

急に毎日のように勉強に励んだり、急に笑い方が変わり大声で笑うようになったり、急に真面目な顔つきになったり、急に異性に興味を持ち始めたり、キリがない。

多感な時期と環境の変化が混ざると、物凄い力が発生する。環境の強さに少し怖くもなった。
と、同時に自分が他人に与えれることなんて環境に比べたら本当にちっぽけだと改めてわかった。

子供たちに対して思いついたことをやってみて、後は信じるのみなんだと思う。

信じるのみ、というのは実際難しく、小言がうるさい人というのは親然り色んなところにいる。あと少しだけ、もう少しだけ信じてよねって思う。できれば、最悪以外全て寄り道と思ってほしい。これは難しいのか。社会は許さないか。

春になり、自分が変わったことといえば、また自転車に乗り始めた。
「自分の補助輪は何色だったっけ」とよく考えながら自転車を走らせる。

黄色だった気がするけど、なんせ小学二年生の頃なので当然思い出せない。補助輪をつけていた自分が恥ずかしかったのは覚えている。友達はもうつけてなかった。今すぐにでも外したかったが、頼らざるを得ない存在が補助輪だった。

「自分の仕事も補助輪みたいなもんじゃ〜ん」
なんて言いながら自転車を漕ぐ。何度も何度も書くけど、自分のことは最終的に忘れてしまうくらいが丁度いいと思う。

こんなことを考えていると、気づけばこんな所まで自転車が辿り着いている。自転車はデジタルデトックス的にもいい。妄想が捗る。妄想してる場合じゃないくらい目の前に突然素敵な桜が現れたりもする。


今年の札幌の春は何だかいつもと違う気温差が激しい様子で、そのせいか自分も不安定になることが少なくなかったけど、ようやくまた軌道に乗り始めた気がする。またここから忙しくなるから、頑張らないといけない。

見てくださってありがとうございます。気の向くままにやっておりますが、どこか、何かの形で届けばいいなと考えています。