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なんだかんだいい人生!

初めまして、日本テレビ「ニノさん」を担当しております、2年目の細川です。
思い返してもこれといったことをしてない人生ですが、簡単に自己紹介と学生時代のことをお話しさせていただければと思います。

【生い立ち】

出身は東京都練馬区、今年で24歳になります。
現在は勤勉とは程遠いですが、小さい頃は今よりずっと勤勉な子だったと思います。
習い事は、サッカー、水泳、習字、そろばん。
母曰く、全部自分から「やりたい!」と言い出したそうですが、自分には全くその記憶がありません。
それどころか、習字とそろばんに関しては習っていた記憶もほぼないです。
今では、カンペを書く係からは外され、精算ではやり直しをくらっています。

小学校6年生では、特に中学受験をするわけでもないのに塾に通っていました。
この時の経緯は覚えています。
母に言われ、兄が通っている塾に忘れ物を届けに行ったはずが、帰るころにはなぜか名前が書かれた教科書を持たされ、次に来る日程が決まっていました。
このとき自分は母に騙されたのだと気づきました。
家に帰ると母は白々しく驚いたふりをしていました。さすがに無理があります。

余談ですが、ここの塾長は現代では珍しい、「不適切にもほどがある!」と叫びたいぐらい前時代的な方でした。変なミスをすると、生徒を1つの部屋に集め、その前で公開説教をしたり、ゲンコツをされたり…。話が脱線しましたが…。その恐怖政治のおかげか、小・中学生ながらに分からない問題は徹夜してでも解くなど頑張っている方ではありました。

【学生時代】

▶︎高校時代

高校では硬式テニス部に所属しました。(中学ではサッカー部に所属してました。)
テニス部を選んだのは、休みが比較的多い上に体も動かせるから!という理由でした。
自分でもどうしようもない理由だと思いますが、受験の反動からか、週のほとんどを縛られるような部活を選択することは考えられなかったです。

ただこの選択にあまり後悔はしていないです。
というのも、この自由な時間があった中で経験したものが、今の自分の趣味の大半を占めているからです。
テレビやお笑い、映画、漫画といったエンタメ系のものを本格的に好きになったのもこの頃でした。
この時間がなければ、テレビ業界に進むという決断はしていなかったと思います。
当時は大した理由もなく、ある種逃げるような形で選んだ道でしたが、
今後の人生を左右するようなものに出会えてラッキーだったなぁと今では思っています。

▶︎大学時代

大学では山岳部に所属していました。
理由は新入生歓迎会が楽しかったのと、見せてもらった山からの景色が綺麗だったからです。
こんな景色が見られるならやってみてもいいかなと軽い気持ちで入りましたが、実際はかなり過酷なものでした。
まず5日間山に籠りっぱなし。背負っているリュックの重さは大体30kgほど。そして1日中歩く。
山に登るたびに「なんでこんなことしなきゃならないんだ」と思っていました。
それでも、何日間にも渡る縦走が無事終わり、頂上から景色を見ることができた時の感動は何事に代え難いものがありました。

就活の際、自分はどの業界に行こうか全く決めていませんでした。
ただ、テレビ業界の人に話を聞く中で、「この業界は大変だけど、テレビが好きならやりがいは絶対にある。
経験して損はない」という話を聞き、あまり興味のなかった山岳部でも楽しめたのなら、テレビが大好きな自分に合っているかもと思い、この業界に飛び込むことを決めました。
テレビによって人生が変わった!あの番組のおかげで今の自分がある!というようなドラマチックな理由があるわけではないですが、大好きなテレビを制作する側になれたらかっこいいなという思いと、向いてるかもというちょっとした思い込みで決めた感じです。

【シオンに入って】

普通の社会人じゃなかったら、絶対に経験しないであろうことだらけです。
イオンモールで歌ったり、すき焼きにちなんだゲームを考えては実際にやってみたり、1回きりのロケでしか使わないであろう自作のロープを何十本も作ったり、ロケハンのために一週間に4、5回くらい浅草に行ったり、こんなんでお金貰っていいのか?と疑問に思うことが多々あります。
こうして振り返っていると、この業界で1年半ほど働いてみて、笑ってばっかりいる気がします。
面白い先輩・同期・後輩が多くて恵まれているなぁと思います。
こんなに最高な環境を与えてくれたシオンさんに少しでも恩返しできるように頑張りたいと思います!

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株式会社シオン
アシスタントディレクター
細川 新太


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