箸休めに一読!
こんにちは!日本テレビ「踊る!さんま御殿!!」担当2年目の関川舞葉です。
就活の時、自分も読んでいたnoteを書くことになり、「頑張ろう!」と思っていたら空回りしています…
ながら読みをおすすめします。
少々お付き合いください。
はじまり
千葉県船橋市(チーバくんの上あごあたり)で生まれて育ちました。
ディズニーも東京も若干遠いのですが、IK E Aと、ららぽーとの1号店、ふなっしーLAND、ふなばしアンデルセン公園、船橋漁港、船橋競馬場など…遊ぶには充分で、飽きない自慢の地元です。
幼少期「早く人間になりたい」と思っていた新体操時代
両親が共働きで、兄と犬の3人で過ごす事がほとんどでした。
迷子になっても近所の人が助けてくれる地元の方々に甘え、この性格が形成されました。
昔から体に対して顔の比率が大きめだったので、自分はドラえもんやキティちゃんと同じ属性の生き物だと本気で思っていたそうです。
幼稚園に入ったタイミングで新体操を習う友達の姿を見て、「自分は新体操をやっていないから、今はキティちゃんみたいな形なんだ…」「私も人間になりたいから新体操やる!!」と両親に言ったそうです。
小学生「桜木花道になりたい!」で始めたバスケ時代
ある時、自分が人間だという自覚を持ち、「無事 目的達成!」と新体操を辞めました。
髪の毛も伸ばす必要がなくなり、人生初の行きつけの散髪屋さんができました!
散髪屋さんでコツコツ進めていた『SLAM DUNK』(スラムダンク)を読み切り、「桜木花道みたいになりたい!」とバスケ部に入部。
周りよりも数年遅れてのスタートでしたが、それも「花道っぽいじゃん!!!」とウキウキ。
練習は週7日、平日は朝練と午後練、土日は試合か1日練。
部員数から見て全員が試合に出られるわけではない…
今まで物語の主人公以外に目もくれなかった私ですが、膨大な練習量をこなし、試合では選手を裏で支える補欠ボジションの人の魅力に気付いた瞬間でした。
おかげで好きなタイプは大幅路線変更。
今まで『花男』なら道明寺、『ONE PIECE』ならルフィ、『AKB48』なら神セブンかセンター一択のような王道主人公系に憧れがちだった私の価値観は変わり、縁の下の力持ち的存在の魅力大発見。
結局自分は永遠の7番で、背番号もポジションも花道にはなれませんでした。
中学生、弱いチームの大将だった剣道時代
バスケ一筋の生活から、新しい事がやってみたくなり剣道部へ。
剣道の団体戦は5人で構成されるのですが、女子部員は総勢5人のみ。
バスケを通して補欠ポジションの偉大さに気付いた数ヶ月後には、全員絶対出場が約束された、ぬくぬくの環境に身を置きました。
声の大きさと、体格の良さで、一応「大将」という肩書きを得ました。
寿司が大好きな私にとって、板前さんみたいで「大将」と呼ばれるのはすごく嬉しかったです。
ところがあまりにも弱いチームだったので、5人目の大将戦が始まる時にはすでに負けが確定していて、盛り上がりゼロ。
正式な大会では、勝敗確定後には試合をしないので、公式戦は2回しか出場せずに3年間を終えました。
優しい部員たちが集合写真の時は、いつも賞状を持たせてくれました。
男子が勝ち取った賞です。
高校生、陸上と文化祭
平和な3年間を過ごした後、スポーツテスト50m走の結果を見て愕然。
体育祭と文化祭が盛んなところに魅力を感じて選んだ高校なのに、このままじゃ体育祭のリレーに出られないし、文化祭の衣装も入らない…
焦りと恐怖を感じた私は「足が速くなりたい!」「ついでに痩せたい!」と陸上部短距離種目へ。
単純な動機でしたが、やっぱり「足が速くなりたい!」というモチベーションだけで練習していたような気がします。
入部当初、部内でダントツ足が遅かったので、伸び代しかなく、タイムがどんどん良くなっていく事に快感を覚えていました。
初めて屋外で活動をする部活に所属し、天気によって休みになったりするのも楽しかったです。
丁度タイムが伸び悩み始めた時期に文化祭準備が本格化したので、まだ速く走れない自分の現実からは目を背け続けています。
文化祭の出し物は全クラス時代劇。
クラス投票で男の子役に選ばれ、なんとも言えない気持ちになったのを今でも覚えています。
クラスメイトと泊まって準備をした期間は、疲れているのに楽しさと充実感が勝つ不思議な時間でした。
勉強の事を忘れられた3年間のツケは、大学受験時に回ってきて1年間の浪人生活がスタートしました。
大学生
浪人生活中に「修学旅行で行った京都が旅行の中で1番楽しかったな」「京都に住みたいな」と、千葉から京都の大学に進学。
幸運なことに、一人暮らしの友達ばかりだったため、常にだれかの家に人が集まっていて、そこに行けばご飯があるという寮(?)のような大学生活でした。「大学生は人生の夏休み」という言葉を盾に、コロナ前は海外旅行に行き、その後は大阪、京都、兵庫の遊べそうな場所はほぼ行き尽くしたと思います。
就活時期になると、学部柄周りの友達は教員採用試験の準備を始めました。
テレビ業界への興味を捨てきれず、迷っていたときにこのシオンのnoteを読み「やりたいことは全部やってみよう!」と制作会社を受けながら教員免許も取ると決めました。
その当時私の励みになっていた先輩が今、私の先輩です(笑)
不思議なもんだな、と勝手に感慨深くなる時があります。
職業
なんだかんだ言って、ここがとても短くなってしまいました。
先輩に迷惑かけっぱなしで、同期に支えてもらっている1年が過ぎ、2年目に突入してしまいました。
今後何かで返せるのだろうかと正直焦っています…。
後輩には自分が教わったことはきちんと教えたいし、自分がしてしまった失敗はしてほしくないので、伝えられるようにしていきたいです。
ここは今後熱く語れるようになれるのでしょうか…
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
株式会社シオン
アシスタントディレクター
関川 舞葉