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女神は銃を携えない
<前回までのあらすじ>
アイドル小説家に道を照らされ、本当に作家となってしまったぼく。沈鬱なる2020年を乗り越えたが、世界はまだその色を失ったままだった……。
※一連の記事は下記マガジンに束ねています。https://note.com/sionic4029/m/mae74d1eb6131
ぼくはぼくを好きになれないまま
政府によって市民が自粛を要請されるということは、戦時下に無辜の民がその銃を取れと命じられるのと同義である。世界中の隣人が、その心が、兵站と戦略の失敗により孤立無援となっている。武器も弾薬も既に尽きていて、空撃ちでよいから、無策にも況して徒手空拳で戦えと、指導者はテレビでそう宣うのだ。
冬の戦い。物言ひて唇が寒くなるくらいならまだしも、物憂さを振り払おうと威勢だけ良く口角泡を飛ばそうものなら、飛沫に含まれる厄介なウィルスが同胞の肚を蝕む。不安な誰かに声を掛け、励まし歌おうものなら、それはすぐに風に乗って人の魂を奪っていく。
「8th. BIRTHDAY LIVE」から一年が経とうとしていた。そのディスクを鑑賞しながら思い起こすのは、白石麻衣が卒業し、中田花奈が卒業し、世代交代の流れの中、三期生四期生の活躍が目覚ましくなった2020年のことだ。
新たな表題曲『僕は僕を好きになる』でもそれは明らかで、アイドルたちは虚構に幾重にも包まれているようでいて、また元の位置へとループする。
家に閉じこもり、一体何日このような生活を送っただろう。日めくりのカレンダーを一度破り忘れると、もう誰が何を祝う日が過ぎていったのかもわからなくなる。MVに顕わされる彼女たちのように、同じループでも家族の団らんであったり、友達とのお洒落であったり、あるいは日常に潜むドッキリ然とした他愛ない笑い合いであったり、そういうものであってほしいのに。
沈鬱とした日々で、こんな一年間に、生活に、そして人生に意味はあるのかと、そういう不安を抱いた人は多いのではないか。自分がいくらもがいても現状を打破できないやるせなさ。その責任を誰かに問おうにも、そもそも人智を超えてしまっている現象なのだとおもう。どうか自分を嫌ってしまうことなどないように、好きになれない自分こそを、誰では無く、自分自身で抱きしめてあげないといけない時期。乗り越えるまで絶対に“ぼく”を壊してはいけない。そういう時期でしかないのだと、その床に、地面に、しっかりと立つことだけは続けよう。
繰り返す日々に
昨秋上梓した小説。何度ループしても覆ることのない運命に対峙したとき、誰かは負わんと、命を棄てるべきものなのか。それを描いた。まあ、恋愛小説のフリをしてSF小説であり、登場人物の女性にはとにかくアイドルとしてのイコンを埋め込まなければ気が済まないぼくだけの文芸。
別のところで触れたかもしれないが、元はWeb小説(掲載していたサイトが無くなってしまった)で、三人称だったものを慣れない一人称に改稿し、さらに丁寧にプリプロ的発想で編集に入ってもらい、そこから商用化というプロセスを踏んだ。表紙絵もとても気に入っている。
小説に限らず自分の文章が、独りよがりのものから手離れのよいものへと変貌していく過程は、何度味わっても不思議な心地がする。文字が、表現が、戦闘態勢をとる。トランスフォームする。是非お読みください。
荒涼とした地で
引き続き伝染病と隣り合わせの世界で公開された乃木坂46『Wilderness World』は、齋藤飛鳥をセンターに据えた、銃撃戦ゲームのタイアップ曲。歌詞はゲームの主題(荒野で戦う)に沿ったもので、あまり乃木坂らしくないといえばらしくないが、MV内ではメンバーが銃を、ナイフを、毒薬を、それぞれ携えて任務に赴く姿が描かれている。
生田絵梨花の二丁拳銃はどこまでも妖艶で、毒薬をいつ差し入れようか冬空に透かして眺める賀喜遥香はさながら現代版「必殺仕事人」だ。出撃前の緊張感、それぞれの手にする武器がどういう牙を剥くことになるのかを想像させる。そんなカットが畳みかけるように紡がれる。
並列に比べられるものではないが、メンバーが銃を構えるシーンは『バレッタ』を想起させる。今回も松村沙友理はショットガン担当だ。
世界的に有名な渋谷の交差点を再現できる、栃木の「足利スクランブルシティスタジオ」のオープンセットで撮られたダンスシーンは、現実の渋谷にはない荒漠とした地平線と空が描かれたり、『ブレードランナー』とはまた違った近未来感溢れる乃木坂テーマカラーのネオンで彩られたり、曲中にその表情をくるくると変える。
前述したようにダンス以外のシーンでメンバーがそれぞれ武器を携える中、かずみんだけが武器を所持しない。スナイパー然とした清宮レイにアドバイスするか、梅澤美波の隣で鍵盤を爪弾くように跳ねさせ決戦の合図をするだけだ。
……そう、
ぼくが推す女神は、銃を手に取らない。
かずみんは、ぼくが推す女神は、銃を手に取らない。
この世界、一人一人が病魔に脅かされながらも、どうすれば自分を、相手を、多くの人を守れるかを考え、静かに的確な行動をする。
そういう、ぼくたちのしている進行中の戦いには、銃も、暴力も、不要だった。
ほんの小さなムービー・タイムラインの配役の違い。手に何を構えるか、その有無。信じたアイドルを追い、凝視した者だけに伝わるメッセージ。
正直のところぼくはつらい気持ちを募らせていた。この国は防疫において世界の中でも失敗の底辺に分類されかねない有様で、イデオロギーや支援者の属性や忖度がために右往左往して場当たり的にさえ見える政策と、それを垂れ流しつつも細かな人々の苦しみや叫びに寄り添いきれていないメディアにも嫌気が差していた。
でも「世界に終わりなんか無かったんだ」
希望と絶望を交互に繰り返していようが、この世界が明日終わるわけではない。人が、人を想い、支え合い、生き抜いていこうという気持ちを、貫ける。そういう時代に変えていけばいい。
首相の会見報道に憤慨し、やるせなさと怠惰の入り交じった気持ちで閉じてしまっていた新型コロナウィルス対策に関連する仕事のファイルを、ぼくは再び開いた。小さな一歩が、誰かが生き続ける支えと、なりますように。
その隣のウィンドウでは、女神たちがサスティナブルな世界を願って踊っていて、ラストシーンでは未来溢れる渋谷の交差点で、ハート型の布陣。かずみんは地に足をつけ、空を見上げ、力強く立っていた。
(まだまだ続く、このシリーズ……)
Next...
※この物語はフィクションです。
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