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私を水族館に連れてって

 「え? ここから20分!?」
 なにもそんなに目を丸くさせなくても。
 スマホで地図アプリを何度も確認する友人は、目的地まで徒歩で20分かかることがとてつもなく嫌らしい。
 僕はそんな友人を気にともせず、靴紐を結び直す。軽めの散歩、そう思えば20分なんて一瞬だ。
 ていうか、その推測『20分』は誰を基準とした『20分』なんだ。
 老人ではもちろんないが、成人男女だとしても、体格で歩幅に差はあるので時間も前後する。
 友人は『20分』という数字に惑わされているだけだ。会話をしながら、景色を見ながら、気になる店を見つけながら。その『ながら』の連鎖で20分の徒歩なんて余裕で歩けるのに。

 話は変わるが、父親は足がすこぶる遅い。
 いや、遅いというよか、前に脳出血をしてしまってその後遺症であまり自由に足を動かすことが出来ない。だから移動に凄く時間がかかってしまう。
 少し前に田舎から東京へ父がやってきた。
 なによりも心配だったのは電車や徒歩などの移動に関して。
 車移動をすればいいのだが、東京は逆に車は不便。移動も時間がかかるし駐車場代だってばかにならない。基本は「足」か「公共交通機関」が便利。
 だが、その2択の大部分を担う「足」がネックになってくる。
 足なのに「ネック」。
 ……あれ? 座布団がこないな。
 僕の家は駅から坂を上って5分程行ったところにある。前の友人の話ではないが、その『5分』は僕の足での5分だ。
 驚いた。駅を降りて、父に家の中を見せるまでに20分かかったのだから。
 『会話をしながら、景色を見ながら、気になる店を見つけながら』そんな悠長なこと言ってられず、父は坂を上るのがやっとだ。
 一日目を終え、家で晩酌。
 父親に相談をする。
 「区役所で車椅子を借りないか」

 翌朝、車椅子の貸し出し手続きを済ませ、父を車椅子に座らせる。
 車椅子の乗り心地は案外悪くないらしく、父はすんなりと車椅子を受け入れた。
 これでスイスイと東京の街を進んでいく。坂道を20分もかからない。
 こんなにも痩せ細ったのか。いや、僕の筋力が上がったのか。父の乗る車椅子はとても軽い。
 子供の頃、休みの日にテレビの前で寝そべる父親をどかそうと何度も押したっけか。大岩のように頑固と動かない父親の重さはすごかった。
 が、今は、タイヤの力もあるとはいえとてつもなく軽い。
 歳を取ったな。細くなった足を見る僕。

 父は高校を卒業してすぐに府中で働いていたらしい。
 所謂「出稼ぎ」というやつだ。
 「東京はお前より詳しい」と豪語していた父親。羽田空港のエスカレーターで右側に立っていたので僕の勝ち。
 車椅子は僕の意思で右に左に動いていく。
 東京に住んでいる親戚に会うため、僕らは西武新宿線へと向かった。

 「池袋の水族館に行きたいんだ」
 父の突拍子もない提案。
 車椅子により、移動が早く楽になったので思いあがったのか(押しているのは僕なのだが)足取りが軽くなっている(まだ座布団が来ない)
 現在の時刻は午後4時になろうとしている。
 水族館の営業時間を調べると、夜はイベントを行っているらしく、通常営業は18時までらしい。
 しかも入場は17時まで。あと1時間。池袋まで電車で40分程かかる。
 親戚の伯父さんが僕らを駅まで送ろうと急いで準備をする。
 ありがとう伯父さん。余計なことするな。
 「別に間に合わないんだったら行かないでいいよ」僕と伯父さんにそういう父。
 じゃあさっきから語ってる水族館の思い出話はなんじゃと出かけた言葉を思いっきり飲み込む僕。
 車のカギを探し回る伯父さん。

 伯父さんと別れ、池袋駅に着いたのが午後4時40分。
 あと20分でサンシャイン水族館へ行かなければ。
 「ちょっと飛ばすからよ」父に耳打ちし、僕は押し手のラバーをぎゅっと握る。
 どうやったらあそこから車椅子のおっさんを押して、水族館へたどり着けたのだろう。僕らは余裕でチケットカウンターまでやってこれた。
 「別で高速代金払ってもらうからな」と父へ言うと、鼻で笑っていた。
 フフンッと鼻で笑う癖は父親譲りだ。

 水槽は案外高く、若干見えずらそうな父親。
 「人も少ないし(歩き回らんから)立って回ったら?」と提案してみると、ゆっくり立ち上がる父。
 クララよろしく、のそのそと車椅子を杖代わりにして歩き出す父。
 流石釣り好きでサーファーだった父。魚の知識に関しては人並み以上だ。
 そういえば昔、父親が育児ほったらかしてサーフィンをしたせいで僕が骨折したことがあったか。それはまた次回に。
 水族館は大人の親子で回ってもやはり楽しく、時間を忘れさせてくれる。
 館内にいる人たちはそのほとんどがカップルだったり子供連れ。
 まぁこちらの車椅子のおっさんも子供連れっちゃあそうだけど……と考えながら魚を見て回る。
 一時間は直ぐに経過し、閉館のアナウンスが流れ、僕らは水族館を後にする。
 「どう?」感想を聞くと、「魚いっぱいいたな」とクソコメをする父。
 では今度は魚いっぱいいない水族館に連れて行ってくれ。

 僕らはその後居酒屋にて、今日の締めくくりとした。
 案外疲れていたのだろう、僕はビール1杯で酔いそうになる。
 思い出話なんかをして父と少しばかりの時間を過ごし、帰宅しようと父を車椅子に乗せる。
 だがすぐに父から「タクシーで帰ろう」と提案され、僕らはタクシーを拾って帰路に就いた。

 家でゆっくりしていると、父親がボソッと「あれ(車椅子)、道ガタガタするから車酔いするな」
 その時ハッとする。別に乗り心地良くてずっと乗っていたわけじゃなかったんだ。と。
 乗り心地は最悪。今にでも降りたい。だが、思うように動かない足。これじゃどこも回れない。
 そう思うと、池袋の猛スピードを反省してしまう。
 僕は結局『高速代』なる駄賃を貰い損ねた。

 人にはそれぞれ距離感がある。
 対人もそうだし、対場所にも。
 5分の坂道があそこまで人やもので溢れてるとは。20分かけてようやくわかった気がする。
 最近、友人に歩くスピードが遅くなったと言われた。
 直すつもりは今はまだない。

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