半世紀生きたら分かること
しばらく自己紹介に挙げた項目について書いていきます。
本日は、私の年齢「アラフィフ」について。
noteを始めて改めて気付いたのは、クリエイターに【若者】【都会人】が多いということ。
インターネット上の場ということで当然といえば当然だけれど、それにしても同世代が少ない気がする。
まあ致し方ないことなのかも。noteを始めることを友人に伝えたら「そのnoteっていうやつの見方が分かんない」と2名に言われた。noteが何なのか、聞いたことすら無い人も同世代には多い。
自分たちが時代の中心から外れてきているな、と感じる今日この頃。noteは出来てる私だって、電子マネーは使ったことない。LINEもしない。映画は2倍速になんかしたくない。コスパ・タイパって、何でも効率ばっか求めるんじゃない。そもそも何でも略して言うもんじゃない。「ホケミ」って見た時はまぁどちらさんのこと?と思ったよ(ホットケーキミックスの略。料理サイトで見た)。
でもそれが流れなら、ある程度は乗らないと。分からない、好まないで済ますのではなく、さわりだけでも体感してみる。ここで書くことはその練習も兼ねている。そして今の若い人達の、ものの考え方を知る機会でもある。
こう書くと、おばさんって大変だねぇと思う若い方もおられるだろう。
でも逆に、この歳だからこそ、分かっていることがある。
「物事は、過ぎてゆく」ということ。
今学校で、職場で、家庭内で、つらい・居場所がないなどと感じて毎日がゆううつな人へ。
それ、いつか終わります。
何を当たり前な、と言うなかれ。若い時、その当たり前が認識できていないことが多い。
このつらさが、不幸が、悲しみが、孤独感が、一生続くんじゃないかと思えたりする。逃げ方もわからない。
でもこちとらもう半世紀過ぎてるから。50年生きてて分かった真実は、100年後もほぼ真実よ、たぶん。
実績が、証拠が、アリバイが、あるのだちゃんと。ちょっとしか生きてきてない人に「大丈夫だよ」なんつって言われても何がよ!?ってなるでしょう。
本当に、ずっとそのままのものなんて何ひとつない。
変わるし終わるし忘れていきます。
100%全員です。
昔、中学生の頃だったかな。
「ナイロンタオルの危険性」みたいなことをTVのニュースでやっていた。お風呂で毎日ナイロンタオルを使用すると皮膚に黒ずみが出来る、という内容。実際背中にあざみたいな黒ずみができた人の写真も出てた。
それを見た時、ナイロンタオル派だったので当時の私は何となく怖かった。
しばらく柔らかい綿のタオルに変えて洗っていたけれど、どうも頼りない感触が好きになれず、そのうちまたナイロンタオルに戻っていった。
そして、アラフィフとなった今。
結論から言うと、黒ずみなんて出来てない。毎日お風呂に入るし、ほぼ半世紀ナイロンタオル愛好家としてごーしごし洗ってるけど、そんなもんひとつもない。
そして、50年OKだったものは、これからもほぼOKでしょう。
この事実を中学生だった私に伝えたい。好きでもないフニャフニャタオルなんか買わんとごしごしやったらええんや!と。
でも中学生の私は信じないだろうね。経験値が無いから。
私が若い人に言いたいのは、そういうこと。
過ぎてこなければ、分からないことってある。
私がこの考えに到達したのは、たぶんアラフォーぐらい。
例えばむちゃくちゃイヤな婦人科の検診。何日も前から憂鬱な気持ちになったりしていたけれど、検診自体はせいぜい15~20分ぐらい?
現代人の平均で80歳ぐらいまではフツーに生きてるとして、その時間の何分の1? と考えると「うわっ、少な!一瞬!」と思えて気が軽くなった。
若い時は、もう目の前のイヤな事・つらい事しか溜まってない井戸にドボンとはまっちゃった、出れんわ~、って日々もがいてた気がする。
悪いことも過ぎれば良いことも然り。
ルッキズムとか騒がしい昨今、やたら若見えを主張する人々がいる。
いいとは思うが、「若い」と「若見え」は似て非なるもの。50歳が30歳に見えるのは結構だけれど、50歳分きっちり打っている、心臓は。
目や耳も、30歳の頃ほど機能性に優れていない。いま30歳の人だって、いや誰しも昨日の自分よりは確実に老いている。
若見えの努力も必要だけれど、老いゆく自身を観察し把握して、何ができるのか、何をしなくてもいいのかを見極めることも大事なのでは。
人生のおおよその事は分かるようになってきたけど、操縦しにくくなってくる自分の身体と相談しながら気楽にやり過ごす。
これで正解かどうかは神のみぞ知る。正解じゃなくても日々に満足して暮らす。
それがアラフィフ世代のたしなみ、かな?