英国に紅茶を運んだ、ティー・クリッパー
イギリスで必要になった、高速の帆船
かつて、7つの海を支配した大英帝国……
紅茶は、同じ重さの金ゴールドの価格にも匹敵すると
いわれていた時期があります。
当時は、英国王室や貴族でなければ
紅茶を楽しむ余裕はありませんでした。
19世紀に入ると、好景気により
紅茶が一般市民にも広まりました。
急速な需要の増加に応えるため
アジアからの輸送をより速く行う必要が生じました。
そこで、全体が細長い、速度が出る帆船が建造されました。
ティー・クリッパーと呼ばれ
船の速度を優先させて作られた
高速帆船です。
やがて、高速帆船によるティー・レースが開催される
ファースト・フラッシュといわれる
春に摘んだ茶葉は、日本で言う一番茶ですが
これをいかに速く届けるかで、ティー・レースが行われました。
紅茶を運ぶ高速帆船、ティー・クリッパーによる競争レースです。
中国の港を出発し、アフリカの喜望峰をかすめ
アフリカ大陸を一周するかのように航海して
ロンドンの港を目指します。
イギリスでは、伝統的に競馬などの賭け事が盛んです。
ティー・レースでも
誰の船が1番かを予想する「予想屋」が、さまざまな
予想を立てます。
人々も、海事新聞で船の位置を確認して
レースの勝敗を予想します。
テムズ川沿いのパブでは、レースを見届けたい人々が集まり
大変な賑わいを見せました。
船の到着は、今か今かと、到着が近づくにつれて
港には人だかりができます。
アフリカや周辺の島々から
船の姿が目撃されると、ロンドンへは電報が打たれ
人々の期待をさらに、あおりました。
ティー・レースでの優勝は、最高の栄誉
新茶を真っ先にロンドンの港に運んできた
ティー・クリッパーの茶葉には、最高の値がつけられました。
そして、船長や船主には莫大な利益をもたらしました。
大変な栄誉であり、その年の間はずっと
優勝した船の船長や船主について
語り続けられました。
船長も船主も、どこへ行っても
特別扱いです。
船のクルーも、そうです。
さらに、報奨金や懸賞金が与えられ、船のクルーのモチベーションも上がります。
こうして、紅茶を一刻でも早く母国イギリスの港へ届けようと建造された
ティー・クリッパーは、一時代を築きました。
イギリスの人々を
興奮の渦に巻き込んだ、ティー・クリッパーでしたが
やがて、蒸気船の登場により衰退してゆくようになります。
1869年にスエズ運河が開通し
アフリカの喜望峰を回らなくてもよくなりました。
蒸気船の時代になり
スエズ運河は風が無いため
高速帆船でも通行が難しくなりました。
風がなくても進むことができる
蒸気船が圧倒的に有利です。
こうして、帆船の時代は終わりを迎えます。
最後のティー・クリッパーとして活躍した、高速帆船
カティ・サーク号は、ウィスキーにその名を残し
ロンドンの近くに保存展示されています。