流行語とか、使う言葉にも柔軟性を持たせたいなと思った話
スパダリ=スーパーダーリンという言葉が今女子高生の間では使われているらしい。
テレビで言ってた。
スパダリは「整った容姿、高身長、高学歴、高収入、大人の余裕と包容力がある」とかいった意味らしい。
でもなんでも、元々はBL用語だったらしいのだ。
それが今ではJKが使い、メディアにも取り上げられた。
今回は言葉の流動について話してみる。
違う意味の言葉たち
もともと意味が違う言葉とか、業界用語が一般人の中で流行るというのは結構あることだ。
有名な例では「役不足」という言葉。
違う意味で使われてしまいやすい言葉だ。
本来の意味は、本人の力量に対して役目が軽すぎることを指す。
だけど、本人の力量に対して役目が重すぎることを指すと勘違いしている人が実に多い。こっちを使うなら「力不足」というべきだ。
「役不足」に関して文化庁が調べた調査では、平成24年度の段階で約半数の人が違う意味で理解している。
【引用元】
他にも「愛嬌を振りまく」と「愛想を振りまく」とがある。
愛嬌を振りまくという表現が正しくて、愛想をふりまくは間違いだ。
しかも愛想を振りまくを、あまり良くないような表現として使う場合もあって、二重の意味で間違っている。
こんな感じで、言葉は進化するものの、本来の意味は覚えておきたい。
使うか使わないかは別として。
「ら」抜き言葉
有名なところでいえば、「ら」抜き言葉もそうだろう。
「食べられる」を「食べれる」といった具合に「ら」を抜かしていう言い方だ。
テレビではわざわざテロップでら抜き言葉を修正していたりする。
芸能人が「食べれます」といった発言をした際には、「食べられます」というテロップに差し替えているのだ。
テレビだからか、苦情回避のためなのか、教育上のためなのか、そういったコンプライアンスのためなのかはわからないけど、このような配慮をしている。
でも、正直そこまでぼくは気にならない。
結局「伝わる」し。
適当な日本語
昔、言語学者の金田一秀穂さんの「適当な日本語」という本を読んだことがある。
ファミレスでの「ご注文はおそろいでしょうか?」「こちら、カルボナーラになります」「5,000円からお預かりします」「以上でよろしかったでしょうか」と言った言葉たちも、違和感はある。
本来の意味とは乖離した言葉たちを並べた結果、「それっぽい」言葉になっている。
確かに違うけど......
でも「伝わる」じゃん。と。
金田一さんも以下のように記している。
正しい言葉は、ちょっとすると、古い言葉かもしれません。新しい時代には新しい皮袋が必要です。本来的にはどうであったか、ということを知っておくことはいいことですが、しかし、それを唯一正しいものとして他を認めないのは、あまり望ましいことではないように思います。
『伝わる』『伝える』言葉
言葉の意味が進化しても、伝わりさえすれば特に支障はない。
ただそこには柔軟性が求められるんだと思う。
流行りの言葉がどうあれ、伝わるかどうかが問題で、テレビなどで若者言葉が取り上げられるのはそういった意味では良いことかもしれない。
前にJKの間で流行っていたらしい「ワイ」(一人称で使う)なども元々は2ちゃんねるの用語だ。
ネットスラングと同じでJKの間で「おもしろい、通じる言葉=スラング」に昇華したんだろう。
まあ、「ワイ」は普通に一人称として通じるけれど。
JKもスラングだしな。
りゅう、こう?
でも流行語って、メディアが取り上げるのはなんかちょっと違和感。
JKに浸透し始めるくらいになると、実はもうその言葉自体古くて(というより別の媒体での言葉の流用であったり、メディアが浸透させた言葉であったり...)、「流行語」って言いたいのはメディアだけなんだと思う。
JKが使っていてもいなくても、流行でもなんでもなくても、ただ”JKの間でおもしろおかしく話す言葉”、みたいな伝え方をすれば、世間が騒ぐから都合が良いのだ。
「こんな言葉あるの知っていますか?」
「えー!ぜんぜんわかんねえよ!今の人こんな言葉つかってんの?」
「そうですよー!どういう意味か考えてみてください!」
メディアの王道パターンだ。
これを「流行語」というのは、メディアが「流行」という言葉を使って視聴者を楽しませたい、という意味が多分に含まれているんだと思う。
「流行語」と、そういっておけば世間で話題になるし、SNSなどでも話題になる。
若者文化=女子高生の構図もまたメディア的にはもはやマニュアル化している。
言葉やファッションしかり、何かを流行らせたい場合は、女子高生や若者世代に焦点を当てることが多い。
それは若い人が新しいものへの抵抗力がないことと、「周りもやっているから...」という同調圧力にも似た観念に追われているから、浸透しやすいという狙いがあるからだろう。良くも悪くも学校という集団組織に生きているから、「みんな一緒」みたいな思いは無意識のうちに根付いているんだと思う。あとは日本的な教育が関係しているのかもしれない。
また逆説的にはなるが、マイノリティ(少数派)も求めているんだと思う。
少数で同じスラングを使っているのが、ちょっとした楽しみや、秘密を共有している感じがあって良いんだろう。
かく言うぼくも、中学生の頃、友達と変な挨拶をしていた。ちょっと早い厨二病だった。でもそれが共通の友達にしか伝わらない挨拶でおもしろかった。
共通の事柄を知り合っていると言うのはやっぱり楽しいし、仲の良さもお互いに実感していたんだと思う。
流行語は流行している言葉ではない?
若い人の間で流行っている言葉は、意外と流行っていない。
上で挙げたようにテレビで使われ始めて広がったり、またテレビで取り上げられた時にはすでに古かったりする。
逆にメディアが流行らせようと意図しているものもあるはずだ。
そう思うと、JKからしたら「これが流行りだよねー!」ということも、実はメディア(大人たち)が仕組んだ流行りということは、ちょっと残酷だ。
あまり知らなくて良いことかもしれない。
彼女たちの間で『伝わる』言葉を、悪く言うとメディアが食い物にしている様子は、なんだか「消費されている」ようで言葉たちもかわいそうだと思う。
だってメディアは「若者の言葉が、おじさんおばさんには伝わらないから面白い」としてるんだから。
でも結局、ぼくも「スパダリ」という言葉を知ったのはテレビの力だったりして、この構図は割と滑稽だなと思ったりする。
「流行語」を「伝わる」ようにしているのはメディアの力だったりもするわけで......
やっぱり一番柔軟に対応しているのは、バックグラウンドがどうであれ「なんでも受け入れる」女子高生たちなのかもしれない。
こんなことを「流行語」というワードで一喜一憂しているぼくはもしかしたら柔軟性が足りていないのかも。
まとめ
いつものように特にまとめることはないけれど。
反省として、柔軟にいきたい。
本当は『「流行語」って何ぞや。』という気持ちを書くつもりだったのだけど、冷静に文章に起こしてみると、「あれ?ぼくのほうが柔軟じゃなくね?」となってこんな文章になった。
まあ、別に自由に書きたいことを書いているから良いんだけど。書くことも柔軟に変更できたという点ではプラスだろう。
と、しておく。