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遠い国の話ではない。歴史から私たちが学ぶこと。

ガザへの虐殺が進行するいま、忘れがちなウクライナにも目を改めて向けたいと思い、この一冊を手に取った。

タイトルにある「中学生から」という言葉は、中学生にもわかるように教えてくれるというのではなく、それぐらいの年齢から知っておくといい世界の見方や考え方を得られる。という意味かなと。

この本で大切なのは、ロシアのウクライナへの侵攻をテーマにしながら、地理的に遠い国にある日本のわれわれもこの問題に深く関わり、けっして他人事ではないということがポイント。

作中で印象的だったもののひとつに、ヒトラーを例に出してプーチンを批判する箇所があった。それは、ヒトラーを語る際、「彼はクレイジーだから」という批判をしてしまうと、当時の国際状況や、誰が支持していたのかなどが問われず、あたかも人災を自然災害のように不可抗力的なものにしてしまう危険性があるというものだった。

ニュースで伝えられる一部の切り取られた情報のかけらを拾うことで、勝手なイメージを作り上げたり、理解しやすい簡単な答えのようなものを信じたりすることは、忙しい日々の中で起こりやすいと思う。

そうした思考停止に陥ってしまうことが権力者や支配者にとって思うツボになっていく。それは私たちのニュースの見方や、批判的な目線をどこに持つかということと大きく関わり、関心を失ったりしやすく、こうした問題を矮小化してしまう。

筆者は「暴力の前には外交も言葉も無駄であるという粗野な思考に陥る」とも警鐘を鳴らしている。
歴史的にも地理的にも複雑なポジションにあるウクライナの問題は、プーチン個人の問題のような簡単な問題ではなく、絡み合った糸をひとつひとつほぐすように、その分からなさや難しさと向きあう忍耐も必要になってくると思う。

日本の立場としてという点については、この侵攻によって、核兵器をアメリカと共有することを促すような発言が、政府からなされたことについても大きな疑問と怒りがあった。

「武装すればするほど敵国は脅威を感じリスクが高まるという歴史を知らない。プーチンの猿真似をすることでしかプーチンを批判できない、この国の思想状況の貧しさをはっきりと感じずにはいられませんでした。」

終わりのない軍事力の競争は最終的に破滅に向かうことはすでにこれまでの歴史から明らかなのに、日本は少しずつ戦争ができる国に近づいている。それでは唯一の被爆国である日本の立場がない。

人は時が経つとすぐ忘れて、同じような過ちを繰り返し続けてしまう。だからこそひとりでも多くの人がこの侵攻を止めたいと思い、監視し、批判し、日々の中でできる不買運動など身近でできることを忍耐強く続けていくことが大事だと思う。

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