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LA〜NY 二十歳のたび 後編

 旅の行程で立ち寄ると決めていた場所が二か所だけあった。

 一か所目はラスベガス。客にギャンブルにお金を使わせるために宿泊費と食費が安く設定されていると聞いていたので、そこでまともなホテルに泊まって美味しいものを食べようとA君と決めていた。とは言え、私たちの予算ではラブホテルみたいなケバケバしい内装の中級ホテルに泊まり、大味なステーキを食べて、カジノでスロットを少しいじっただけだけど、ホテルの高層階から眺めるネオンの街は迫力があり、マフィア映画なんかでよく見ていたラスベガスの安っぽいきらびやかさはとても刺激的だった。
 翌朝、質屋が並ぶエリアを通るとみすぼらしい服装をした生気のない人々が目立ち、街全体が埃っぽく寂れて見えたのも印象的だった。

 二か所目はグランドキャニオン。これは横断ルートからは少し外れるのだけど、A君も私も「絶対に見てみたい!」ということで一致した。夕方近くに到着して、その壮大さと色の移り変わりの美しさにひとしきり感嘆した後、お決まりのように崖ギリギリに座って写真を撮り合ったりした。
 本来ここが間違いなくこの旅のハイライトなのだろうけど「とにかく美しい景色だった」という事しか覚えていない。それよりも何の変哲もない田舎町の郵便局で家族にポストカードを送ったこととか、ひと気のないマクドナルドでぺちゃんこのハンバーガーを食べたことの方が鮮明に思い出せるから不思議だ。

 この二か所以外はひたすら走り続け、5日目に無事NYに到着した。もはやA君とは互いに飽き飽きしてろくに会話もしなくなっていたけれど、マンハッタンの高層ビル街に入ると、久々に車内に和やかな空気が漂った。

 アメリカの中でも私が最も憧れていたNYの第一印象は「垂直な(?)街だなぁ」という感じだった。東京とそんなに変わらないだろうと思っていたら、高層ビルの密度というか圧迫感が想像以上で、“生き馬の目を抜く”という表現がなんとなく頭に浮かんだ。
 ゴールを迎えたということで、その夜は少しおしゃれしてA君とエンパイアステートビルの屋上から夜景を見て、イタリアンレストランで乾杯した。その日何を食べて、A君と何を話したかはあまり覚えていない。A君とは旅行中もロマンティックな雰囲気になることはなかったし、この旅のせいで帰国してからは何となく気まずく疎遠になってしまった。

 その後ひとりでシカゴの先輩宅に一週間ほど居候させてもらい(ここでもあらゆる新鮮な体験があったのだけどそれはまた改めて)、ドライブ旅中の栄養不足による口内炎も治った頃、アムトラックによる2泊3日のひとり列車旅が始まった。

 シカゴのセントラル駅からアムトラックに乗り込むと、車内は予想外に穏やかな雰囲気だった。各車両の最後列に乗務員が一人ずつ常駐しており、私の乗った二等車両にも身長190センチぐらいはありそうな陽気な黒人乗務員さんがいてあれこれ乗客に話し掛けており、私は一気に緊張がほぐれるのを感じた。
 私が予約していたのは簡素な二等席だったが、開放感のある展望車や食堂車、スナック(軽食)車もあり、車内でぶらぶらして過ごすこともできる。

 車社会のアメリカでは長距離列車を利用するのはお年寄りが多く、乗客の中では少数派である若いバックパッカー達がスナック車に何となく集まっていたので私もそこに参加した。確かアメリカ人はほとんどいなくて、メキシコとかヨーロッパから来たひとり旅の人たちばかりだったように記憶している。ひとりがギターを弾き始めたりしてみんなでワイワイ話しながらぬるい瓶ビールとチップスで楽しい時を過ごした。
 夜、座席に戻ってからも、座席はフラットにならないし車輪の大きな振動と摩擦音でほとんど眠れなかったが、疲れなど全く感じなかった。

 二日目に列車が1時間休憩するというので私も列車を降りてストレッチしていると、「日本人ですよね?」と日本語で話し掛けられた。昨日から車内で見かけた唯一のアジア人だったので私も何となく気にはなっていた。
 少し立ち話をすると、彼は関西の大学に通うバックパッカーで、私たちは同い年だという事が分かった。私たちはすぐに意気投合した。車内に戻り、私が隣の席の女性に事情を説明すると、出発以来ずっとヒマワリの種をボリボリと食べて続けていたその女性は「あら、旅の友が出来て良かったわね」と言って快く彼と座席を交代してくれた。
 それから二人で車窓を眺めながら「何を勉強しているの」とか「どうして一人で列車旅なんかしてるの」とか夢中で話しているうちにあっという間に一日が過ぎ、翌日LAに到着すると、彼とは連絡先を交換して別れた。

 こうして私の二十歳のアメリカ旅は終わりを迎えた。

 今の若い人たちにはあまりピンとこないかもしれないけど、当時のアメリカはまだ、日本人が憧れる“大国としての輝き”みたいなものを残していたように思う。特に中学時代からアメリカの映画やドラマ、音楽の影響でひどくアメリカかぶれしていた私は大きな期待を胸に抱いてこの旅にのぞんだのだけど、見聞きする全てのものが期待通りかそれ以上だった。
 そしてその体験は数十年経った今でも鮮明なまま、私の心の中のいつでも取り出せる場所にある。

1995 おわり

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