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JTC僻地工場の思い出 (4) --不正の誘惑--
先日某HI社のエンジンの燃費不正問題が報道された。
その前には某ハツの品質不正問題が報道された。その前にも色んな所で品質に絡む不正が発生し、報道されている。
基本的にこういう嘘はつきとおすのが難しいものなのだが、その不正のようなものが発生する構造について昔のJTC僻地工場勤務時代のことを思い出して書いてみることにする。争点は当該メーカーの当該機種のエンジンはちょっと何が正しい数字なのかもう確かめるすべがないということで、これはちょっと前代未聞のことである。
なお、結構きわどいものがあるので、基本的に有料である。個人的な経験も踏まえないと書けない所もあり、ご理解いただければ幸いである。
何があったの?
基本的には報道ベースのことしかわからないが、それでおおよそのことはわかる。こちらの日経XTECHの記事が事実関係については詳しく載ってるのではないかと思う。
まず、レシプロエンジンもたくさん種類があることは以前の記事でも触れたが、今回はそのうちのディーゼルエンジンに関わるところがメインである。上記記事の中では、
中速ディーゼルエンジン
低速ディーゼルエンジン
中速ガスエンジン
とある。これらのうち、一番下の中速ガスエンジンというのは、恐らくオットーサイクルのエンジンなのだが、構造的にはディーゼルエンジンとあまり変わらないものを使っているので、同じ事業所の同じ生産ラインで作ってると思う。因みに生産ラインというか、製造工場の分け方としては主にはエンジンのサイズで違ってくることが多い。IHIがどういう分け方をしていたかわからないが、中速ディーゼルエンジンと中速ガスエンジンはA工場、低速ディーゼルエンジンはB工場のような分け方をするだろう。しかしこれらはあまり今の時点では大きな問題ではない。
ちなみにレシプロエンジンについてはその導入部分をこちらで触れてるので、興味があればご一読頂ければ幸いだ
そして、今回起こった不正は何かというと、燃費について、その出荷前検査の一環の試運転のときの燃費計測の結果を記録よりもいい数字にして出荷してたということだ。
例えば、 車であれば12km/Lしか走らない車の性能を15km/Lとして出荷してたというようなニュアンス だ。
因みにこのネタの中で一番の焦点は、 出荷前の試験の燃費のデータを改ざんしていた点 である。これはかなり悪質性が高いと思う。
何が問題なの?
さて、ここで不正は不正だとして色々な不正があり、不正の中でも重要度のグラデーションがある。例えば、構造に関する検査記録の改ざんであれば人命にかかわりそうなものであるからとても心配な気持ちになる。これは例えるなら、 マンションの鉄筋の数が報告したものより少ないというやつになるだろう 。姉歯事件で起こったようなやつだ。
一方で、今回は燃費の不正であり、燃費というのは極端な話をいえば、お客さんの手に渡った後にお客さんがなんか燃費がカタログ値よりちょっと悪いなあと思ったり、実際に使う燃料が増えて計画がかわるというような経済的な影響が大きいものである。つまり、基本的に 燃費をちょろまかしたところで人体に直接的な影響が起こるようなものではない 。では、人体に影響がないとか、被害がないということなら何をしてもいいのだろうか?
そんなことはないのは当然のことだ。これは主にコンプライアンス意識の観点と公害とか環境問題の観点から問題のあることと言わざるを得ない。
20世紀後半から内燃機関が普及し、それに伴い発生する汚染物質の垂れ流しによる酸性雨、光化学スモッグとか、都心部での小児喘息の多発とかいった公害問題、環境問題が発生した。それに対応するため、こういう内燃機関の排出物 (エミッションとかいう) には法令や業界団体で定める規制がかかっている。あるいは同じように、製造業の品質を担保するための各種認証とかがある。従って、基本的にこの手のエミッションに対する規制というのはそれまでの多くの人の健康や住環境をないがしろにしてきたという反省と表裏一体である。
燃費の不正をするというのはそういうエミッション関連のコンプライアンス違反という問題と、品質についての認証に違反したという2つの観点からの問題が挙げられる。
このうち、コンプライアンス違反というのはそれなりに重大で、例えばある基準値をクリアした製品しか新しく製造してはいけませんというような規制がある。
使用時において、安全性に疑義を生じさせる事案は確認されていないとしながらも、船舶用エンジンについては関連法令や規制を逸脱している恐れがある事例が確認された。具体的には、海外向けの製品について、海洋汚染防止法と国際海事機関が定める窒素酸化物(NOx)の規制で基準を逸脱している恐れがある。さらに、漁船検査規則で定められる燃料油消費率についても同様に基準逸脱の事例があるという。
今回の不正を受けて国土交通省は、NOx規制への適切な対応が確認されるまでの間、IHI原動機に対し規制への適合を示す関連証書の交付は行わない旨を伝達。2024年5月末までに、判明・措置した事項を報告するよう指示した。船舶の所有者は、この証書の交付を受けたエンジン製品でなければ設置できないため、同社には製品を出荷できないといった影響が出る可能性がある。
上記の日経XTECHの記事が本当によく書いてくれてるのでわかりやすいのだが、この記事に NOx規制に適合したものしか設置できない という記載があるとおり、 法令に適合しないものは出荷してはいけないという規則があるが、それをだましたことになる 。
因みに記事のメインでは燃費を改ざんしたようなことが書かれてるのに、何でNOxが関係あるのって思うかもしれないが、ディーゼルエンジンでは燃費とNOx排出量は表裏一体、トレードオフの関係にある。燃費がいいとNOx排出量も増える。しかし、NOx排出量は減らさなければならない。さりとて燃費を余り悪くもできない。
こういうジレンマの関係にあるのがディーゼルエンジンの開発である。
従って、燃費の不正をしたと言われるとすぐにNOxも何かあるのではないかと思われてしまう。
ちなみに、冒頭燃費をだましても直接的に人的被害が発生することはないと書いたが、NOxまでいじってたとなると話はちょっと異なってくる。NOxは酸性雨の原因になる物質であり、呼吸器疾患を誘起することも指摘されている。このように人体に対してかなり強い影響のあるエミッションなので、それなりの規制がされている。にもかかわらずNOxについても改ざんしていたとなると、多少なりとも人体への影響があるような不正であったといわれても仕方がない。 (窒素酸化物 - Wikipedia 参照)
これまで公害の防止の観点からNOx排出が規制されてきたわけだが、それを踏まえてなおNOxの数字をいじってたのならば残念という以外にない。
また、今日、地球温暖化対策のために色々な施策が打たれている中で、CO2排出量に直接関係する燃費を改ざんしたとなったら、これもまた温暖化対策のための一助になるよう日々改善に努めている業界に対する裏切りである。
ちなみに今回のIHI原動機の場合は、監督官庁は国交省なので、調査は基本的に国交省の担当者が行うことになるが、このように 主管庁が直接会社に乗り込んできてお話をするというのはかなり異例 なことだ。少なくとも僕はそのレベルのものを僕のいたJTC僻地工場で経験したことはないし、同業他社や、異業種の他社さんとの話の中でも聞いたことはない。
このことからも当局がこの問題をかなり重要視してることがわかる。
国土交通省は性能を確保する観点から極めて遺憾だとして、今後、立ち入り検査を実施するなどして詳しいいきさつを調査することにしています。
悪質性について
この手のエンジンの性能 (ざっくりいうと燃費と排ガスに含まれるエミッション) に関する不正というか、不徳は二種類ある。というか、顧客が手にする性能に関する情報は二つある。
カタログ値
実測値
これらのうち、カタログ値というのはこのクラスの大きさのエンジンを作るときには事実上は設計値と同じであり、ある程度は盛ることがある。何故かというと、こんなデカいサイズのエンジンは量産できないので、一品ずつの受注生産であることがままあり、お客さんがエンジンを買うときにはまだそのエンジンは影も形もないので設計上はこのくらいの燃費ですというので契約をすることが多いのだ。
従って、エンジンを使って船を作ったり発電所を作るお客さんはエンジンのメーカーが出してきた設計上の燃費、つまりカタログ燃費を元にして皮算用を始める。しかし、いくら事前に燃費がわからないから設計値を出すといったところで、到底達成できない燃費を出されてはかなわないので、ある程度の許容値に収まればよいというような形で契約をする。
そしてその答え合わせ、つまりカタログ値が本当に正しかったかを確かめるのが実測値であり、出荷前の工場試運転での燃費計測でそれを実施する。
つまるところ、カタログ値というのはある種の期待する値なので、期待はいくらでもしていいが、ある程度は現実的な線に収めないといけないので、営業上の理由である程度色を付けた数字を出すことも考えられる。そして答え合わせを実際の工場運転で試すわけだ。
しかし、今回の場合は恐らくカタログ値もそれなりに盛った値で出ていて、そして、その答え合わせの工場運転での結果も盛っていたことになる。
すなわち、 お客さんが持ってるエンジン燃費についてのデータがどっちもちょっと現実よりはいい数字であった ということになり、 もはやどの数字が正しい燃費なのかよくわからない 状態になってるのではないかと推察される。
これは工業製品としては会社、製品、ひいては業界全体へのイメージが悪くなる由々しき事態であり、国交省がこんにちはするのも仕方ないかなと思っている。
なんでそんな不正をしたの?
ここまでであればただのちょっとエンジンに詳しいおじさんが書いた、IHIは許せんなみたいな記事で終わるのだが、僕もこの手の不正にJTC僻地工場時代には何回か誘惑されたことがあるので、そのときの経験をもとにもう少し考察してみる。ちなみに 僕自身についていえばこういう法令にもとる不正、業界団体で決めた自主規制、社内品質基準に対する不正は一切したことがないとここで宣言しておく 。もちろん僕のことを直接知らない人たちに述べてるし、確かめようがないので信憑性がないだろうが、これは本当だ。それにお前きれいごと言ってるんじゃないって言われるかもしれないが、これはきれいごとでは決して乗り越えられないものだ。何故なら一旦そういう誘惑に乗ってしまった方が楽そうに見えることが往々にしてあるのだ。それを断ち切るのはそう簡単なものでもない。例えば 上司から「お前もわからないやつだなあ、ここでうんていっとけば楽になるんだぜ。」って言われたときにあなたは本当に正気を保っていられるだろうか? 是非一度自分がその立場にあるときにどう振舞うか考えてみてほしい。そして僕の給料の決裁権を握ってるのはその上司である。
そして実のところ僕がそういう不正に手を染めないで済んだのは実は僕自身の資質によるところはほとんどない。後で述べるがたまたま僕がいたJTC僻地工場がそういったコンプライアンスというか、不正に対して厳しく臨む人たちがいたからに他ならない。もしこの辺に興味があれば有料パートまで読んでみていただければ幸いだ。
さて、世の中には理由を考えて意味のあることと、意味のないことがあるが、この不正をするってやつについては、理由を考えるとそれなりに意味があったりする。
ここで不正に関する利害関係を整理してみよう。
不正をして損をするのは誰?
顧客、エンドユーザー。
不正をして得をするのは誰?
製造者
基本的に上記のような構造を想像するかもしれない。
しかし実は必ずしもそうとは限らない。
ここで、でっかいモノづくりの現場を考えてみよう。
```mermaid
flowchart LR
subgraph 二次請け
engine["エンジン"]
gen["発電機"]
end
customer["顧客"]
contractor["プラント会社"]
contractor --"発電設備を売る"--> customer
engine --"エンジンを売る"--> contractor
gen --"発電機を売る"--> contractor
```
例えば、発電プラントを作るっていうのはかなり大掛かりな工事で、プラント会社はプラントの設計をして、その発電プラントの中でどんなエンジンで、どんな発電機 (発電機っていうと一般的には2m角の箱の中にエンジンが入ってて、そこから電線が伸びてるようなイベント会場とかでたまに見るやつを想像するかもしれないが、それらは実はエンジンと発電機がセットになったもので、発電機とはこの場合はミニ四駆の中に入ってる電動モータをクソデカくしたやつのことだ) を使うかを選んで、顧客に対してこの位の発電量と発電効率が見込めますといって営業をする。
そういう場合の営業っていうのはコンペ形式だったり、随契だったりいろいろだが、ともかくエンジン単体で直接の顧客に届けられることはなく、その間に色々な利害関係者が介在することになる。例えば、よくある事例だとこの顧客とプラント会社の間に商社が入ることもよくある。
では、この構図の中で上の方でまとめた誰が損をするのかを考えてみよう。不正をして損をするのは一般的には顧客であることがわかった。
しかし、上の図で描いたように顧客は沢山いる。
それら顧客のうち、誰が損をするだろうか?
それは最後にその製品のおかげで便利な生活を送る人たち、お金を払う人たちだ。例えば発電所であれば発電所で発電した電気を代金を払って生活する人たちが本来カタログで言われているより多くの電気代を支払わなければなくなる。本当の被害者はこの場合はエンドユーザーの一般市民であり、極論を言えば、 コンプライアンス違反がバレなければ顧客もプラント会社も困らない のだ。
しかしそういうコンプライアンス違反はよくない。
企業イメージが悪くなるし、行政処分が下るかもしれない。
ではそういうデメリットがありながら、何故そういう不正をするのか?
それはその方が得をするからだ。
上のリストで、得をするのは誰か考えたときに製造者、つまりエンジンを作ってる人たちと書いたが、果たしてそれだけだろうか?
このプラントはプラント会社がエンジンを作ってる会社から仕入れて顧客に売っている。つまり、エンジンの燃費が良いと、発電所の発電効率が上がる。従って、エンジンの燃費が改ざんされていようがいい物であれば、そのプラント会社の発電設備は発電効率の洋物として顧客に提案できる。
つまり、この場合は得をするのは製造者と一次受けのプラント会社である。
メーカーは常に厳しい競争にさらされている。
しかしその仕事はどんどん高度化し、一社ですべてをまかなえるものではすでにない。
従って、いくつかのメーカーで協働して受注を目指すことになる。そして大体は製品の品質というのは往々にして差がついたりするものなので、下の図のような構図が発生しうる。
```mermaid
flowchart LR
subgraph "A連合 (業界トップ)"
m_a["A商事"]
plant_a["A建設\nA内燃機さんのは安心して\n提案できて嬉しいな。"]
eng_a["A内燃機\nうちの実力を評価して\nもらってありがたい"]
gen_a["A電機"]
end
subgraph "B連合 (A連合の後塵を拝してる)"
m_b["B物産"]
plant_b["Bプラント\nB発動機の燃費\nよくならないかなあ。。。"]
eng_b["B発動機\n燃費が良くすれば受注できる\nかもしれない"]
gen_b["B電機"]
end
customer["顧客\nA連合とB連合の\nどっちにしようかな"]
eng_a --"エンジン"--> plant_a
gen_a --"発電機"--> plant_a
plant_a --> m_a
m_a --> customer
eng_b --"エンジン"--> plant_b
gen_b --"発電機"--> plant_b
plant_b --> m_b
m_b --> customer
```
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