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JTC僻地工場の思い出 (5) --僻地工場と多様性--
はじめに
さて、前回の記事ではJTC僻地工場の概略紹介ということで、僕がいた僻地工場の生活環境、そこでの待遇について簡単に紹介した。また、有料パートではそこで見た面白い従業員たちを紹介した。
今回はもう少し中で働く人たちの解像度を下げて、クラスタ分けすることで中の人たちについて分析した。そこでわかったことはJTC僻地工場ではある種の人材の多様性が確立されていたということだった。
今回はその点に主眼をおいて僻地のことを深堀してみたい。
ちなみに僕がいたのは西の方にある某重工系モノづくり会社の工場であり、でっかいものを作るのがその特徴である。その前提で見ていただけると幸いだ。
基本的にこの記事は僕の思い出の中の僻地工場の楽しい仲間たちを書くものであり、僻地工場の魅力を皆さんにも感じ取ってほしいと思って書いた。何といっても職場は人で決まるものであり、そこに住む多種多様な人材について適当に書いてみた。この記事が面白いと思った方は是非僻地工場の奥地へ探索に出向く意味も込めて志望してみてほしい。また この記事を通じて僻地工場への偏見が少しでも緩和されれば幸い である。
なお、面白いと思ったらスキ❤ボタンを押したり、課金したり、フォローしていただけると大変幸いである。
職場の人々のクラスタ分け
僕の先入観に基づいたクラスタリングをしてみた。大体こういう人たちで構成されている。というのをまとめた。工場には色々な人がいて、多様性とか言われているが、僕は現代の多様な社会の一形態がJTC僻地工場で達成されていると思っている。
ここでは多種多様な人たちが多種多様な職場で自分たちの特性を生かして働いている。世の中には色んな観点での物事の分類があるが、その代表的なものは、性別、国籍、専門、学歴とかだと思うが、この観点で見ても割と多様な人材が働いているように見える。ただ、個人的にこういう天下り的なクラスタリングよりは、もうちょっとデータエンジニアリングよりなクラスタリングをしてみたいし、教師なし学習でごそごそしたらどうなるのかも興味があるところだ。そこでは単純な性別、年齢、学歴とかのクラスでクラスタリング訳ができるような感じじゃないんじゃないかと思う。例えば最近流行りのUMAPは結構いい感じの層の深いというか、難しいことをしている。
あとは多様性というときの多様さをどのように評価するのは大変難しい問題である。しかし、実際に強引なクラスタリングをするとこんな感じになる。この記事はこの適当クラスタリングを適当に解説するものであり、気楽な気持ちで読んでみてほしい。
```mermaid
flowchart TD
subgraph "僻地工場"
subgraph "工場"
megane_geek_factory["メガネの理系\n製造、生技、品証"]
workers["現場のガテン系\n会社の生産力の源泉"]
old_workers["よぼよぼした作業員\n工場の生き字引"]
foreign_trainee["技術研修生\n途上国からの研修生\n祖国に帰ったら提携工場のリーダーになる"]
parttime_workers["構外からの派遣作業員\n色々な形態で派遣され\n一言でまとめづらい"]
end
subgraph "事務所"
megane_geek_office["メガネの理系\nR&D、設計、生技、品証"]
office_people["日本人文系職\n営業、総務、労務管理"]
gen_ladies["一般職のお姉さま方\n僕の絶対的な味方"]
tot_hq_ladies["本社採用総合職女子\n数年に一度色んな工場を回ってく\n志願してくる女性もたまにいる"]
gen_ladies_young["地元採用の女性\n地元の商業高校とか短大出身の事務職女性\n色々な事情でお姉さまになる"]
end
end
```
僻地工場の人々
日本人の理系総合職
事務所の人口比だとこれが圧倒的に多い。設計とか、製造とか、生産技術とか、品証とか色んな部署の人がいる。この中には管理職も含むし、パワハラおじさんとか働かないおじさんとかが入ったりするが、それらは工場全体の驚くべき多様性の中ではごく一部に過ぎない。また別途記事にしようと思う。
なお、新しい試みとしておうちのパソコンのstable diffusionでイラストを作ってみた。イメージ的にはこんな感じのが2割から3割くらいいる。実は世の中でいうチーズ牛丼食ってそうなやつっていうのはJTC僻地工場といえどもそれほどいない。
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彼らは工場的にはエリートであり、幹部候補である
日本人の文系職の人たち
経理、総務、労務管理系の人たちがいる。あと、事業所の顧客受け入れ他のために営業がいたりする。ただ、営業の主力部隊は本社にいた。概ね事業所固定で採用される一般職が多いし、調達とかは工業高校出て現場で働いてた人が異動で来ることがあり、割とキャリアパスは多様である。
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ちょっと古びた工場の中の事務所で働いている
こちらの画像ではスーツだが、大抵オフィスカジュアルで男女半々くらい
一般職のお姉さま方
僻地工場近辺で商業高校とか短大を出て採用され、結婚出産で辞める人もいるし、育児しながら働いてるスーパーウーマンもいた。この人たちに嫌われるとマジで仕事にならないので、僕は普段から腰を低くして、出張、帰省の度の付け届けを欠かさぬようにしていた。
そのため割と味方になってくれてた。
たまにめっちゃ偉い人を君付けで呼んでたりしてビビるし、噂の震源地なので滅多なことをしてはいけない。
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会社のことをよく知ってるので、基本的に敵に回してはいけない
現場のガテン系
大体地元の工業高校から就職する人がいるが結構他県から来る人もいた。
正社員採用される人たちは最初の半年くらい工場でクレーン玉掛フォーク溶接といった工場で必要とされる仕事を研修で覚えてから現場に配属される。
基本的に この人たちが作った品物を売ってみんながメシを食っている。製造業JTCの生産力の源泉 である。この人たちがいないと工場が回らない。
僕のいた僻地工場はでっかいモノづくりをしてたので筋骨隆々とした人たちが多かった。彼らは恐るべき浪花節、あるいはマイヤン的世界観の中で生きていて、ときに排他的であるが、ひとたび仲間とみなされると恐ろしく献身的な仕事をしてくれる。さながら 古き良き日本の映画にある、仲良くなるのは大変だけど、仲良くなると鉄の絆で結ばれる関係性 がここにある。そして好むと好まざると理系院卒は現場とそういう鉄の紐帯を結ぶことになる。
僕は基本的にこの気のいい仲間たちをいかにメシを食わしていくかを考えて働いていた。自己実現とか、大学で勉強したこととか、真理の追求とか言ったことは彼らを食わしてくためにいい製品を作ることを考えたらそんなもんも過ぎ去った光景の一つでしかないし、お勉強も道具でしかないのだ。
それと別に現実的な運用としては、仕事が忙しいときに僻地工場内で人を融通したり、周りの工場から応援をよんだり、僻地工場の周りに作業員を派遣する会社があったりした。できる人は派遣会社から正社員に引き抜かれることもあった。この辺もなかなか面白い事情があるが、また何か機会があれば書けたら面白いと思う。
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割と体力を使う職場ではこのクラスの筋肉量を誇るお兄さんや、おじさんはよく見る
よぼよぼした現場作業員
現場のガテン系も年を取ると退職していく。
しかし仕事が大好きなガテン系のおじさんたちは度々定年延長を繰り返し、下手をすると70過ぎても工場で働く。もう人生のほとんどを僻地工場で過ごしている人たちがたまにいる。工場の中は知り合いばかりで、一緒に歩いていると5人に一人が挨拶をして通り過ぎる猛者もいる。
そして、仕事がろくにできなくなっても工場に通い続け、現場作業ではなく、倉庫作業や、よくわからない仕事を続ける。一番ビビったのが、作業着安全靴ヘルメットを着用した腰の曲がったおじいちゃんが杖を突いて構内を歩いていたときである。
因みに僕の知ってる最長労働期間のおじさんは 15歳で中卒で就職し、75歳になるまで50年間僻地工場で働き続けた方 だ。大変お世話になったし、滅茶苦茶仕事が速かった。とてもたくさんのことを勉強させてもらった。
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ふらふらして見えるが工場の生き字引であり、姥捨て山の故事を思い出すようなこともままある
東南アジアからきた技術研修生
大体の製造業JTCは海外に拠点を持つために、海外に合弁会社を作ってそこに工場を建てて生産機能を一部移転したりしたがる。僕のいたJTCでもフィリピン、タイ、インドネシアにそういう工場とか事業所を作っていた。
そういう会社で将来日本との橋渡しをして、現地でも技術的なリーダーになることを期待して研修生を受け入れていた。研修の意図もあるし、実際に生産力の一部としても期待していた。
現地で優秀な人たちをスカウトしてくるので、日本の工場の中でもその能力を発揮し、大変優秀な人たちだった。ただ、帰国するとすぐに給料のいい他社に転職してしまい。現地の事業所に駐在で行くやつが、旧交を温めようと楽しみにしていくともうほとんどの研修生が転職してしまってたとかもあるらしい。とにかく祖国に戻ってからのケアが苦労のタネのようであった。
ちなみに、日本でも会社の量の一部に集団で住むので割と現地の生活習慣そのままに暮らしてしまい、ちょっと周りからは近寄りがたい所もあったらしい。僕はよくしらない。ただ、休日は彼らの量から爆音でダンスミュージックが流れてくるのをきいたこともある。
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基本的に社員と同じ勤務体系で働く
腕がいいので現場ではかなり徴用されることが多い
腕がいい人がおおく、将来即国に帰った後に日本側とのブリッジになることを期待されている
構外から派遣で来る作業員達
派遣労働者にも色々な種類があるが、結構工場の要因の中で無視できない数の派遣労働者がいる。上述の通り、色々な事情があるので、どこかで別にまとめたい。
見た目は社員と変わらないときもあるし、そうでないときもあり、多様過ぎるのでイラストは載せない。
本社採用総合職キラキラになれ (なら) なかった女子
大体僻地工場の文系職の人たちに包含されるが、違うのは、彼女たちは転勤前提の職場、例えば経理とか資材にいる人たちだっていうことだ。たいていの場合、そういう仕事は現地の業者と癒着して悪いことをしかねないので、3年に一度転勤していく。なんとなく本社→僻地工場A→本社→僻地工場Bみたいな感じらしい。
同じ年に入社した女の子が僕がいた僻地工場に転勤になってきたときによく仲間内で遊びに行ったりした。割とその女性は色んな僻地工場を楽しんでた様だった。X (旧ツイッター) だと僻地工場の転勤は嫌だみたいのが散見されるし、実際僕のころも嫌がられたりしてたが、中には僻地工場が好きな女性もいたりして、研修のときに僕がいた僻地工場と別の僻地工場にいた資材の女性に、一度そちらの僻地工場にもお邪魔したいとか、早くそっちに異動したいとかいってて、こいつぶっ飛んでんなって思った。
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僻地にきてすぐのころはちゃんとしたOLっぽい格好をしてるがすぐに適当になって、僻地工場に染まってく
僻地工場で普段着で会社に来たら君も僕らの仲間だ!!
僻地生まれ僻地育ちの地元採用の女性
ざっくり一般職のお姉さま方の幼生であるが、商業高校とか短大出てすぐ働き始めるので、院卒新入社員より3年長く働いてるのに年下とかいうアンビバレントな状態が発生する。都会とかインターネットのよくわからない女性のキャリアの連続性とかは、そういう面倒なことは難しいしどうでもいいとかいう人が多かった。
職場でおじさんたちのフォローに駆けずり回らされるので、すぐにお姉さまに転生する。
僕はなるべく迷惑かけないように事務作業もある程度自分でやろうとしてたのだが、割と巻き取ってくれて殊勝な人だなとか思ったりした。ちなみに半分くらいは働き始めて3年で結婚して、ほとんどは25歳になるまでに結婚する。そうじゃなかった人たちが職場に君臨することになる。
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割とこんなくらいのギャルっぽい格好で会社にきてる人たちがいた
3割くらい
僻地はマイヤンパラダイスであり、上場企業といえどもその膨大な管理業務の前に派遣で来てくれる事務職員たちの格好まではそんな細かく統制しないのである
本社の人々
驚くことに、僕はJTC僻地工場勤務時代は本社には3回も行ったことがない。ほとんどJTC僻地工場でいきていた。従って本社で働いたことはなく、中での仕事の様子は人づてでしか聞いたことがない。
ただ、本社の中の人たちと話をしていて感じるのが、大体本社にいる人たちは、僕のいたところは腐ったJTCだったんだけど、腐ってもJTCなので、そこそこの大学出身の人が多かった。大体はMARCH以上の人が多かったようだ。そしてその中で 一番強かったのが慶応の人たちなのは言うまでもない 。理系文系の比率で言うと、大体は文系職の人が多かったが、たまに僻地工場から本社に左遷されて企画とかやらされてる人がいたりした。大体彼らは僻地工場の近くに一戸建てを構えて、子供は2人以上いるような生活をしているので、単身赴任で来ている。
従って、これらのプロファイルを重ね合わせると、文系の大卒が一番比率が多く、その次に理系の大卒がいるようなイメージらしかった。 これは僻地工場と比べると著しく人員の構成が偏ってるといわざるを得ず、多様性なんてもんはさっぱりないようなところに見えた 。そして中の人たちは 本社も色々な人がいますからとかいうのは、色んな大学出身の人がいし、たまにちょっとした変わり者がいても許される程度のもの であり、僻地工場にいる訳の分からない人たちに比べると かなり常識的で洗練されている ようだった。
僕はどうにもそういうのが好きになれなかったので、毎年の上司との面談では必ず 本社に転勤させられるくらいなら退職する と言っていたものだった。
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僻地工場とは圧倒的に違う環境で生きている
僻地に飛ばされた総合職女子もそのうちこっちに舞い戻っていく
まとめ
JTC僻地工場のことを思い出し、あれは中々面白い環境であったなと思ってその頃の仲間のことを思い出しながら書いた。僕的には面白く書けたと思う。あとstable diffusionすごい。自分の中のイメージを絵にできるのは大変強い。
僕のJTC本社への解像度が恐ろしく低いためこういう記事になってしまったが、少しでも僻地工場の面白さが伝われば幸いである。
なお、投げ銭形式にしているので、この記事はここで終わりです。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。あと投げ銭待ってます。よろしくお願いします。
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