東京オリンピック開会式について雑感

ー何をアピールし、植え付けられたのかー

第一に、携わった全ての方々に感謝と労りの意をお伝えいたします。
特に直前の混乱にて現場の方は本当に大変だったと思います。その苦労をヒシヒシと感じました。
個人的には、この瞬間を家族団欒で観られたことに人生の喜びを感じました。

その上で、観終わって思った素直な感想。
開会式はショーなんだという大前提の上で(世界視聴率を気にして開会時間が決められた位なので)。

まず、日本が世界に発信したいコンテンツは、アニメと芸人だったのかということ。それは決してこの2点がダメだということではありません。本来日本が誇る機微の深い独自文化の観点が弱かったということ。これではそれらの文化は分かりやすい部分だけ残し、本質的な部分は大切にしなくてもよいのだということにもつながりかねない事案。
そして、東日本大震災、コロナ禍という様々な人々に苦難を与えている出来事を、エッセンシャルワーカーや子供、震災の地などを利用してショーのエンターテイメントに入れ込んでいるように見えたこと。
全体を通してオリンピズムの理念洞察からの演出。特に今の日本だから発信できる形での平和の意への観点。日本文化や人々の性格にあるはずの、日本的平和観を世界に発信する良い機会だったはずなのにその観点が弱くアピール中心のように見えたのが残念だった。
平和的観点としては、日本発信でなく入場する選手の方々の誇りと喜びの笑顔に助けられた感。

復興・技術威信・経済コンテンツ。
この3つの意を、日本はまだ強いですし見捨てないでくださいというアピールとして提示し、日本国民にも、そのように世界に発信すればいいのだと植え付けられたようにも感じました。

日本的平和観を世界に広める素晴らしい機会だったのに、それはなかった(ちなみに暗に表現していたSDGsは日本的平和観ではありません)。

ショーだからといえば仕方ないのかもしれないのですが、世界中の苦難の時期だからこそ、その場を楽しむだけでない問いから生まれる平和的意志のアピールが、もっとできたのではないかと残念に思ったところもありました。

そして個人的には、もっと智慧の禅を学び世界に伝え、個人と社会の安寧と平和に寄与していきたいという強い意志が湧き上がってきました。

アスリートの皆様、スタッフの皆様。お身体に気をつけながら、東京オリンピックが、それぞれの人智を発現する善き機会となっていただければと願います。

2021.7.24
zafu代表 藤井隆英 拝

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