「信じる」ことについての考察
-芦田愛菜さんの考える「信じる」-
今年ほど「信じられない」ことが続く年はなかったのではないでしょうか。そして人間関係では、コロナ禍を発端とする関係性変化の観点に「信じる」ことが含まれていたでしょうか。
芦田愛菜さんが今年、主演映画「星の子」完成報告イベントで「信じる」ことについて、このように述べていました。
https://toyokeizai.net/articles/-/374895
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「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」
*引用ここまで
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「信じる」は「絶対」となると依存や騙される対象になる。それが怖いので、信じないこともひとつの選択と考えてしまう感情は誰しもあるかなと感じています。
しかし「信じる」自体を「絶対」にするのは、自分自身のネガティブ要因に目をつぶっているからではないでしょうか。
「絶対」でない「信じる」になるようカラダココロ総動員して相手に向き合い続けること。そして良縁となるべく、変化のまま全受容すること。
それが個人の、そして世界の安寧や平和のはじまり。
昨年発表させていただいた思惟詩
【安心の未来】の一節
https://www.facebook.com/siyuisi/posts/1337539236430650
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安心の未来は
一歩の未来を
信じるところからしか
始まらず
着実に恒常に
終わらないものである
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クリスマスに際し、家族を、大切な方々を、世界を安らかに信じることで、来年の善き想いの灯が燈っていく。
そして【ハート ウォーミング ディスタンス】
─わたしとあなたの心温まる距離感─
https://www.facebook.com/HeartWarmingDistance
を保ち、信じる日々を過ごしたいと願っています。
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