救済「救いを求める全ての人へ」
この話は救いを求める人々のためのものです。
人々の「助けてほしい」という思いが頂点に達し、その祈りが結晶化したことによって起きた霊的出来事です。
世界には様々な問題があって、人々を苦しめています。
流行病、戦争、天変地異など。
苦しんでいる人が多ければ多いほどに、救いを求めて祈っている人が数え切れないほどいます。
そういう人たちのために、神が「救い」について明かしてくれました。
これを知れば、心から癒されます。
心がボロボロになって傷ついてしまった人たちを救うための話です。
その人たちを救うために、私は神から具体的な瞑想法を授かることになりました。
神から受けたままに、ここに書き記します。
誰でも簡単にできるようにお伝えします。
忠実に実践すれば、あらゆる救いが神からやってきます。
これは神から与えられたものです。
神から与えられたものならば、自らの意志で神に還すように人々に公開できます。
今からお話する霊的体験は12月25日のクリスマスに起きたことです。
まさに昨夜の出来事でした。
クリスマスと言えば、子どもたちがサンタからプレゼントを受け取るのを楽しみにしている日でもありますね。
クリスマスには聖なる意味がありまして、キリストが降誕した日ともされます。
私はクリスマスに何らかの聖なる意味を感じながら、導かれるように静かに部屋に座って瞑想していました。
その瞬間に体験した霊的出来事をメモしており、そのメモを中心にして書いていきます。
・12月25日(クリスマス)に現れた聖者たち
その日、私は仕事をこなした後に、夕日を眺めていました。
あまりにも美しい夕日でした。
雲を境界線に、夕日の黄金色が垣間見えたのです。
私はその日の夜22時半頃に瞑想を始めました。
すると、霊的なビジョンが見えました。
黄金色の夕日のような輝きを背景にして、ある人物の顔が浮かび上がってきました。
最初はヨガナンダに見えました。
まさにこの本の表紙のようなお姿に近かったのです。
後背からも、このような黄金色に近い光が出ていました。
ヨガナンダとは、西洋に本来の霊性ヨガ(クリヤ・ヨガ)を伝えた人物です。
神と交流していた聖人です。
(あるヨギの自叙伝を読むと、どういった人物かわかります)
つまり、髪の毛が長い方が見えたわけです。
しかし、よくよく観察してみると、ババジだと気づきました。
ババジとは、ヨガナンダの師匠のさらに師匠の大元ともなった師でした。
現代にクリヤ・ヨガを復活させた大師です。
クリヤ・ヨガとは人間が神と合一する最速の技法とされるものです。
ヨガナンダとババジは髪形や波動がとても似ているので、見間違えたんですね。
ちゃんと観察したら、ババジが私の霊眼に現れてきたことがわかりました。
伝わってくる霊妙なる波動。
神に目覚めた師としての美しい黄金の輝き。
そのすべてを感じて、ババジ本人だと確信しました。
ババジが私の心の眼に映るのは、あまりないことです。
珍しい来訪に、私は思わず問いかけました。
「何か御用なら、お教えください」
ババジは天を指差して告げました。
「神の栄光に浸りなさい」
そうしたら、「わかる」という思いが伝わってきました。
深い瞑想状態に入り込み、神の光の中に入っていくと、キリストが十字架を背負う姿が象徴的に見えてきました。
これも珍しいビジョンでした。
見ようともせずに見えるなんて。
私はいかなる宗教も信じておらず、ただ神を純粋に愛していました。
そのため、そういう象徴的なビジョンを見ることが少なかったのです。
それでも見えてきたということは、神が見せているということがわかりました。
キリスト。
神に目覚めた師に向かって、私は頭を下げて礼拝しました。
そして、その師の向こう側の神の光により深く没入していきました。
最高の喜びと共にしばらく神の栄光を感じていると、何か形のようなものが光の中に浮かび上がってきました。
・聖なる救済の十字を授かる
神の光の中にいたら、目の前に縦と横の長さが同じ十字が出来上がっていきました。
それは単に黄金というよりも、エメラルド色に輝く黄金の十字でした。
その十字の中心には、濃厚な青色の宝石がありました。
「マスターとしてのシンボル」
天から声が聞こえてきました。
そういえば、神意識(キリスト意識)のマスターたちは皆それぞれの十字のシンボルを持っていました。
その十字が目の前に私のものとして立ち現れました。
私も神からシンボルを授かったということを深い霊感を通して直観しました。
それを見たまま、自分の手でシンプルに描いたものがこちらの絵です。
恐れ多くも、ひざまづいて、その十字を眺めていました。
次第に立体的にリアルに色合いも宝石の輝きも、安定して見えてきました。
「Shem(シェーム)」
中心の青い宝石を眺めていると、音が聞こえてきました。
直観的に、それが私の音だとわかりました。
「どういった意味があるのでしょうか?」
私がそう聞くと、神から答えがありました。
『救済』
「Shem(シェーム)」という音自体が、十字の宝石と連動している振動音だとわかりました。
その音を唱えると、青い宝石からエネルギーが流れてきます。
神は続けて言いました。
「――この蒼く輝く救済色」
それがShemという名(音)の意味でした。
キリスト意識のマスターたちは、それぞれのコンセプトを持っています。
いわゆる精神的なテーマのようなものです。
神の光は純粋すぎるがゆえに、そのままではなかなか通常の人間が理解するのが難しいです。
本来、その純粋な光に色はなく、またコンセプト自体も存在しません。
完全に純粋なままだと、なかなかキャッチできないということです。
キリスト意識のマスターたちがその純粋な光をそれぞれの美徳で表すことで、人間が理解できるようになります。
その時代に相応しい形で神の光を表現するわけですね。
たとえば、聖マリアなら「母性的な慈愛」です。
イエス・キリストなら「赦しと愛」です。
マスターAGN(シャノン先生)なら「真実と正義」です。
神の純粋な光をそれぞれのマスターの特質にあった形で変換することで、人間に理解できるようにするのです。
さらに、そのテーマを通して、人間の霊的進化に恩恵をもたらすことができるようになります。
たとえば、キリストの赦しを実践する人は憎しみの連鎖から解放されてきました。
世界では争いが絶えないですが、一方で誠実に赦しを実践する人は憎しみの連鎖から解放されて天国まで上りつめています。
それらの霊的恩恵は確かに働いていました。
私に与えられたテーマは「救済」でした。
宝石の美しい青は「救済の色」として表されていました。
神から声が聞こえてきました。
「最高の癒し手。最高の導き手。それぞれの表現で救済を与えるという意味だ」
神からビジョンを見せられました。
自分が人々を癒す姿。人々を導いて光明に至らしめる姿。
私はより完全に「救済」というコンセプトを理解するために、与えられた音「Shem」を唱え続けました。
エメラルド色と黄金が交じり合ったように輝く十字。
その十字から流れ出すエメラルド色の癒しのエネルギーと、宝石から放たれる聖なる青のエネルギーが交じり合って、自分に流れ込んできます。
十字の向こう側には、神の無限の純粋な光がありました。
その純粋な光が私に与えられた十字の青い宝石を通して、救済のエネルギーに変換されていくのが見えました。
それが全身に流れてくると、涼やかなエネルギーと共に全身の細胞が癒されていくように感じました。
山頂の新鮮な水のような清らかなエネルギーに圧倒され、最高の浄化と癒しを体感していました。
心身がすべて癒えていくように感じました。
瞑想状態が深まると、その与えられた救済の十字を通って、神の無限の光の中に入っていきました。
この救済十字を通っても、神に至ることができました。
神の至福に溶け込んで、その栄光を味わいながら、ただただ感謝と賛美の思いを神に直接伝えていました。
神との交わりを味わってから、また神の権化であるババジとキリストを見つけ出して礼拝しました。
無に等しい私に、なんと不可思議な役割が与えられたのでしょうか。
これは私が単に求めたから、与えられたわけではないのです。
また、自分のことをマスターのような存在だとすら思っていませんでした。
一生徒、一弟子、一行者、一帰依者だと思っていました。
神の栄光によって、それが変容していくのを感じました。
なぜ、こんなことが起きたのか。
どういった意味が隠されているのか。
「助けてほしい」
苦しむ人々の姿が走馬灯のように思い出されてきて、すぐに神が人々の求めに応えたものだとわかりました。
救いを求める人があまりにも多いから、この役割を演じる人が必要だったのです。
また、なぜ私に救済の役割が与えられたのか。
それは魂の起源にまで、さかのぼることで理解できました。
私は行を通して、すでに自分の魂の発生の瞬間(起源)を思い出しています。
神の無限の光から、一個の魂の形をとって現れていく瞬間を覚えています。
そのとき、自分からもう一つ分かれていく魂を見ました。
その魂に向かって祈るように「必ず救う」と告げていました。
そして、その分かれていった魂は「あなたに救われる」と答えました。
これは、魂の約束でした。
魂の発生の瞬間から「救う」というのがずっとテーマにあったのです。
ずっと、誰か救わないといけない気がしていました。
でも、それが誰かがわからなくて、いくつもの転生を通して探していたような気がします。
救うべき人と救う方法を。
今なら、もう一つの自分の魂だとわかります。
この双子の魂の約束が、今や人類に向かって開かれるということ。
もう一人の自分である魂を救いたいという思いが、神の恩寵で全人類を救うというシンボルにまで昇華されました。
一対一の関係にとどまらず、全ての人に向かって「救済」のエネルギーが放たれます。
そもそも、すべての魂は神から現れた同一の存在です。
私は神・真理を味わうことでそのことを悟り、もう一人の自分の魂を救うところにとどまらず、全人類の魂に救いを向けます。
本来同じ存在なら、一人の魂を救うことも全人類の魂を救うことも同じです。
このシンボルが公開されたということは、誰もが神の救いにありつけるということです。
シンボルに集中するだけで、救済のエネルギーが流れてくるからです。
私は今でも自分のことをマスターだとか師だと自称するつもりはありません。
ただ、神がそのように告げたという事実を曲げることはできません。
自我の声など聞くこともなく、私というものを捨てて、神が見せたビジョンをありのまま語ります。
神に心を委ね、素直に見たことや聞いたことを告げることしかできません。
私という存在など忘れて、キリスト意識のマスターの系譜にShemという存在がいると思ってほしいです。
・もしも救いを求めるなら
もし、「救済」を求めるなら、Shem(シェーム)と唱えることです。
ただ、その名を唱えるだけで救済の十字から、あらゆる救いのエネルギーが与えられます。
そのエネルギーはあなたを癒しもするし、励ましもするし、目覚めさせもする力です。
より癒し重視で唱えたいなら、以下のように唱えると良いです。
「Shem(シェーム) ルーアック ハーコデシュ」
「ルーアック ハーコデシュ」は聖霊の音です。
「Shem(シェーム)」は救済の音です。
上記のように組み合わせて唱えると、聖霊のエネルギーが救済と癒しのエネルギーとして変換されて引き出されます。
聖霊は生命の根源的な役割を持ち、あらゆるものを生かしています。
いわば、聖霊力は生命力そのものです。
その源泉のエネルギーを癒しの力として使いたいなら、Shemの音を加えることでより癒しのエネルギーとして変換して引き出せるようになります。
救済の十字のシンボルにもエネルギーを込めています。
癒しを求める人は、救済の十字のシンボルを見つめながら、聖音を唱えると癒しを得られます。
癒しだけではありません。
あらゆる救いがあります。
物理的な困難、経済的な困難、霊的な困難。
あらゆる障害に悩まされている人は、その音を心を込めて唱えながら祈るとよいでしょう。
「どうか、救いを与えてください」
そのように心を込めて祈りながら、「Shem(シェーム)」の音を唱えて、救済の十字を見つめるか、イメージしてください。
神から救いのエネルギーがやってきて、あなたは救われます。
あらゆるところから助けがやってきます。
この祈り瞑想を毎日30分~1時間ぐらい実践するとよいでしょう。
救いの力がやってくるまで実践し続ければ、必ず光が来ます。
神の救いの力で、現在の困難な状況は打破されることでしょう。
聖音の発音もわかるように、動画をあげておきました。
以下の動画でご確認ください。
次の日、朝起きると、なんという天からの贈り物をもらったのかと思いました。
昨日見たビジョンは本当なのかと思い、確かめるために瞑想状態に入りました。
聖マリア様の名を呼んで、どうか教えてくださいと頼んでみました。
聖マリア様が霊的ビジョンの中に現れて告げました。
聖マリア「真実。それらのことを明かして確固たるものとしなさい」
私は神の無限の光の中に入って、神にも直接聞いてみることにしました。
その至福と栄光に打たれながら、問いかけました。
私「神よ、真実ですか」
神「イエス」
私「もし、真実なら、この記事を読んで実践する人を癒してください」
神「たやすい」
神にできないことはないと思い出しました。
神の至福を味わいながら、その実在を確信していました。
確信すればするほどに、少しでも疑った自分を赦してくれるように祈っていました。
どうか、この記事で書かれたことを実践してみてください。
忠実に実践する人は救いを得られることでしょう。
暗闇の中を歩く人に救いの光がありますように。