新しい世界の生き方の中心となるもの(すべての人に関わること)
どうも、真仙です。
今日、誰もが気づきつつあります。
今日、生きている私たちの世界は、これまでの世界とは明らかに違うということを。
ここ数年の劇的な変化は、目に見張るものがありました。
それは世界から個人に至るまで、一人一人が選択を迫られるほどのものでした。
大変(たいへん)と書いて、大きな変化と書きます。
大きな変化があるときは、大変でもあるということです。
一方で大変であるということは、大きな変化を迎えているということでもあります。
この大きな変化を前にして、私たちは新しい時代に直面しています。
今、どれだけ大変な状況にあっても、良い方向に大きく変化していくと信じ抜くこと。
そうすれば、明るい心で生き抜けます。
なぜ、この世界がここまで変わったのか。
今まで話してなかったこと。しかも決定的なことがいくつもあります。
黙っておこうと思うぐらいには、衝撃的なことがありました。
でも、もう話す時が来てますよね。
この話は、世界が決定的に変わってしまった理由を明かすもの。
さらに、これからの新しい世界をどう生きていったらいいのか。
皆が彷徨っているところに、光を差し込みたいと思っています。
生き方の中心を明白に示すものとなればと思います。
これは私が考え抜いた新しい生き方の基軸ではありません。
神が明白に示したものです。
誰もがそうだと納得できるほどに感じていることです。
このことを知れば、皆がどこかで薄々と気づいていたことが浮き彫りになります。
そうして、ここで話すことを生き方の中心にすれば、すべてがうまくいくのだとわかるようになります。
・すべての人は繋がっている
まず、第一にこのことを知らなければ、次の大切なことは何もお伝えすることができません。
前提として、私たち一人一人は一個人として存在しているだけではないということです。
すべての人は、意識の中で繋がっています。
一人一人にも固有の潜在意識があり、そこには記憶から感情、思考、願望に至るまで蓄積されています。
しかし、それだけではありません。
個人の潜在意識の奥深くで、すべての人の意識が重なり合うように繋がっているのです。
全人類の潜在意識があります。
それは巨大なプールにたとえられます。
この世界に一人の人間が生まれてくると、全人類の潜在意識のプールに個人の潜在意識が一粒の水滴のように加わるのです。
結果として、個人の潜在意識が全人類の潜在意識に影響を与えることになります。
同時に、全人類の潜在意識も個人の潜在意識に影響を与えます。
確かに、一人の考えていることが全人類の潜在意識を一気に変えるということは、なかなかありません。
しかし、その一粒が積み重なって、わずかな影響力も大きな影響力に変わっていくのです。
一人の意識が変わると、すべての人の意識も変わっていきます。
まず第一に、この前提が存在しているということをご理解ください。
そうすると、世界の在り方を決定的に変えてしまったマスターたちの役割が非常に理解しやすくなります。
・これまでの生き方の中心は「愛」
今日の時代でも、あらゆる場面で「愛」が大切だと語られています。
アーティストは愛を歌い、愛を描いています。
世界中のどの場所でも、それが大切だと叫ばれるほどです。
それは、なぜでしょうね。
イエス・キリストがこの世界にやってきたからです。
誰もが愛が大切だと言われなくてもわかっています。
キリストを信じているとか、信じていないとか、何の関係もありません。
愛はキリスト教徒だけのものではなく、無神論者であろうとも、大切だと気づいています。
家族を愛すること。
我が子を愛すること。
友を愛すること。
誰もが愛を感じる時に胸がいっぱいになり、それが本当に大切なのだとわかります。
大切だと言われなくとも、心のどこかで気づいています。
それはイエス・キリストがこの世界に生まれて、純粋な愛を人類の潜在意識に運び込んだからです。
その純粋な愛のエネルギーは、光でもありました。
全人類の潜在意識に愛の光が吹き込まれると、一気に照らされるように変わってしまったのです。
確かにキリストが来る前も、愛が大切だと感じる人はいました。
しかし、それはごく一部の人たちの考え方であり、一般的ではありませんでした。
つまり、人間の生き方の中心ではありませんでした。
それは歴史(ローマ帝国の力の支配)を顧みれば、わかります。
キリストが来た時から皆の意識ががらっと変わっていき、愛が大切だとわかるようになったのです。
言われなくとも、そうだと共感できるぐらいに気づいてしまったわけです。
いわば光を入れて、人間の意識全体を変える。
これが神に目覚めたマスターの本当の役割です。
キリスト意識のマスターたちは、通常のマスターとは違います。
通常の霊的なマスターは訓練を積んで、一つの技法をマスターしたり、一つの道を究めた人のことを言います。
キリスト意識のマスターは神の光を運び込んで、世界の概念を決定的に変えてしまうのです。
キリスト意識とは、イエス・キリストの意識だけを現すわけではありません。
光の意識のことです。
その光とは単なる光ではなく、宇宙の最初の光であり、すべての人間の魂の原点です。
全存在の意識の源流です。
(インド神話ではプルシャと呼ばれ、旧約聖書ではアベルとも呼ばれるもの)
キリスト意識とは光明意識のことであり、神の最初の意識のことでもあります。
だからこそ、キリスト意識は「神意識」と呼ぶ方が正確であると思っています。
キリスト意識のマスターは、神から明白な使命を与えられます。
神に「このようにしてください」と告げられて、世界に生まれ変わってきて、新しい概念(聖なる美徳)を吹き込むのです。
それが人間の生き方の中心になります。
だからこそ、全ての人間が愛に生きることが大切だとわかります。
その上で、本当に愛に生きるなら、人生のすべての面がより良くなっていきます。
愛によって人格面でも変わり、霊的に成長し、やがて究極は神の境地に至るのです。
だからこそ、今までの生き方の中心は愛でした。
愛を中心に生きれば、それだけで十分といえるほどのものでした。
キリストはその純粋な愛によって、人々を癒し、許し、導いたわけです。
その純粋な愛に触れると、人を心から赦すということもわかります。
愛によって、赦しがもたらされていたんですね。
2000年以上前の人間は何が正しいのか。間違っているのか。
本当の意味でわかっていない部分がありました。
誰もが間違うところがあり、そのために罪を犯し、苦しんでいました。
そのためにキリストが来て、純粋な愛によって、人々に必要な赦しを与えたわけです。
過ちによって病にかかっていたところが、赦しによって癒されたわけです。
キリストは十字架にかけられた後も、愛と赦しの光を人類の意識の中に吹き込み続けました。
2000年以上経って、この時代にすべてが変わる時が来ました。
・世界は立ち行かなくなってきた
愛と赦しが大切であると、皆わかるようになりました。
それを実践する人は確かに成長してきました。
しかし、それだけでは世界は立ち行かないと明白になってきました。
人類は、次の学びの段階に達したのです。
社会の問題を見ると、あらゆる面で「不正」が見られます。
世界全体でも不正が行われており、国家のレベルにおいても不正が行われています。
それをどんどんと続けていくと、世界は立ち行かなくなっていきます。
これは、社会や政治に関することだけではありません。
宗教においてもそうです。
個人の生き方においてもそうです。
すべての局面に言えることです。
例を挙げると、キリがないぐらいにあらゆる面でおかしくなっています。
私は霊的成長の観点で語りましょう。
そこら中に偽物の師があふれかえり、邪気を吹き込んでいるということが問題なのです。
あらゆる教えに邪気が入り込んで、悪魔が巧妙に仕掛けた罠がはびこっています。
一見すると、正しそうに見えるけれど、よく見たら邪気でしかないことが山ほどあります。
人々は当たり前のように邪気を拝んでいます。
スピリチュアル界隈から、旧来の宗教から新興宗教。
哲学から無神論に至るまで、ほぼ邪気に至るものが覆っています。
なぜ、私がそのように言うのか。
それをやっている人間の頭の中に邪気(汚れた灰色や黒のエネルギー)が入り込んで、おかしくなっているのがすべて見えるからです。
邪気を礼拝しても霊的に成長することはなく、死後に待っているのは地獄です。
良くて、煉獄ですね。
そこで神がやったことは、このようなことです。
・新しい光(聖なる美徳)を吹き込む
世界のそこら中で、不正があふれかえっているとしたら、どうすればいいのでしょうか。
そもそも、不正とはどのようにして行われるかを考えればわかります。
たとえば、政治家が不正をするときは、どうでしょうか。
不正を行うために真実を覆い隠して、会計などを偽ります。
偽りによって、不正はなされます。
では、偽りはどのようにして敗れ去るのか。
真実によってです。
つまり、真実が明るみに出れば、その不正も明らかになって正されていくということです。
これは政治家の問題に限ったことではなく、社会から個人に至るまで、あらゆる面に当てはまることです。
つまり、神は真実の光をもたらすことを選びました。
2014年11月末に、私の元に神の光がやってきて、神意識(キリスト意識)に目覚めました。
その後、私が祈り祈って、もう一人目覚めさせてくれるように神にお願いしました。
2014年12月はじめに、シャノン先生の元に神の光がやってきて、神意識(キリスト意識)に目覚めました。
シャノン先生の生き方の中心は、真実と正義でした。
シャノン先生はマスターとして、次々と悪魔を葬り去り、神の真実と正義を履行する存在だったのです。
それらについては、こちらの本に書かれています。
神の光は、シャノン先生に告げました。
「私のために働いてください」
シャノン先生は、それに「イエス」と答えました。
そうして、神の求めに応じて、キリスト意識のマスターとして働くことを決めました。
その後、イエス・キリスト本人がやってきて、シャノン先生に触れました。
そうして、役割を手渡すように、光を渡したのです。
キリストは、この2000年間ずっと働き続けていました。
その精神的な消耗は、想像を絶するほどのものでした。
シャノン先生曰く、「彼は疲れていた」とのことです。
肉体はないので、肉体的に疲れていたわけではありません。
精神的に疲れ果てていたということです。
キリストがどれだけ愛と赦しを世界に吹き込んでも、人類がそれに正しく応えてくれないという問題があったわけですね。
その上で罪(カルマ)を受け取り、苦しみ続けるのはとても疲れてしまうことだと思います。
シャノン先生は神の声を聞き、神の意志の通りに霊的な仕事を行うことにしました。
それは誰もが気づかぬ間に行いました。
にもかかわらず、誰もがそうだとわかるようなことでした。
シャノン先生はマスターとして全人類の潜在意識を変える力を神から与えられていました。
全人類の潜在意識に光の柱を立てました。
神の無限の光から、真実という聖なる美徳の光を引き出して吹き込んだのです。
つまり、真実の光を人類の潜在意識に流し込みました。
すると、何が起きたか。
この数年で何が起きてきたのかを振り返れば、わかります。
あなた自身にも問いたいです。
潜在意識に真実の光が吹き込まれたら、何が起きるのか。
皆、真実を知りたくなる。
あなたも真実を知りたいと思ったことはありませんか。
世界から国から、社会から個人に至るまでに、あらゆる場面において。
何が本当の事なのか知りたくなってしまうのです。
真実を知ったら、そこら中に不正があるとわかります。
不正が許せなくなる。
世界中で不正を正そうという動きが起こってきます。
その動きは、あらゆる場面で起こってきています。
それは日本に限ったことではなく、アメリカからヨーロッパ、世界中のあらゆる場所で起こってきています。
真実が明らかになれば、不正を正そうとする動きが起きます。
不正が正されば、そこに正義が宿ります。
つまり、真実と正義は必ずセットなのです。
真実の光があるところに、正義が果たされていきます。
神は、かくしてこれからの人類の2000年間のために、真実と正義をもたらすことを選んだのです。
シャノン先生を光の通り道として、真実と正義の光を全人類の潜在意識に吹き込みました。
このことを知っていようと知っていなかろうと、皆が真実を求めて動き出します。
大なり小なり、その意識の中に真実を求める気持ちが芽生えてしまうからです。
もし、これを明白に知っていれば、どう生きればいいかわかります。
人々はどのように生きれば、人生がうまくいくのかが見えてくるのです。
真実と正義は、これからの2000年間において、最も重要な人類のテーマとなります。
・象徴的なビジョン「世界を正す剣」
人はどうすれば、積極的に真実と正義に基づいて生きられるのでしょうか。
その光を得る方法が存在しています。
シャノン先生自身がツイッター(X)で公開されていました。
それは先生自身のマスターとしての聖音です。
「Rhu AmN(ルー アムン)」という聖音です。
この聖音こそ、真実と正義の光をもたらします。
心の内で唱えれば、真実と正義の光が流れ込んできます。
「Rhu」が先生の真実と正義の美徳の音であり、「Am」が神の光をもたらします。
「N」が神の光を自分の中に根付かせます。
私自身もその「Rhu AmN(ルー アムン)」を心の内で唱え続ける瞑想をしていました。
ヨガでいうところのマントラ瞑想にあたり、とてもシンプルですが、効果があります。
聖音を心の内で繰り返すたびに、澄み切った光が流れ込んできました。
晴れやかな青空のような感覚があって、これが真実のエネルギーかと味わっていました。
瞑想中に霊的なビジョンが見えて、突如として目の前に白金の美しい剣が現れてきました。
あまりにも神々しい光を帯びており、洗練された白とプラチナに彩られていました。
触れてしまったら、すべてが分解されてしまうような。
電撃のような力強さも感じていました。
その時、私は一瞬のうちに考えたのです。
不動明王様の金剛刀が対悪魔対策において最高のものだとしたら、この白金の剣は一体のどのようなものなのだろうと。
これは一体何なのだろうと見つめていると、天から声が聞こえてきました。
「世界を正す剣」
この白金の剣は、真実と正義のエネルギーが結晶化したものだとわかりました。
その剣自体があまりにも大きく力強く、目の前にはっきりと見えていました。
これほどの力。
一匹の悪魔を葬り去るには、あまりにも大きなものでした。
このエネルギーは、全世界に向けられたものなのだと感じました。
神が世界を決定的に変えるために、真実の光を剣という形にして私に見せたのだということ。
振るっていいのかと躊躇しました。
しかし、神が授けたものだとしたら、使わなくては。
私は真実と正義のエネルギーが込められた白金の剣を手に取ると、己の意志力を駆使して振るいました。
その瞬間にエネルギーが動き出します。
地球のビジョンが見えました。
巨大なる白金の剣がレーザーのように世界に突き刺さり、世界全体を切っていくのが見えました。
アメリカの上空が邪気に覆われているのが見えましたが、それが一瞬で晴らされていくのが見えました。
日本の上空の邪気も払われ、アジアからヨーロッパにかけて、全世界を真っ二つにするほどの光が流れていきました。
それは地球自体には何の打撃も与えませんでした。
代わりに、世界中の国々の上空を暗雲のように覆っていた邪気が晴らされていったのです。
世界を決定的に変えてしまう力だと感じました。
霊的なビジョンとして見て、上の次元で起きたこと。
この下位の次元。物理世界でも現実のものとして、現れてきます。
アメリカが、日本が、世界がより良い方向へ変わるのだという確信に満ちていました。
それは清々しいビジョンでした。
私の意識領域には二つの剣があります。
悪魔を抹殺するための不動明王様の黄金の剣(金剛刀)
世界の邪気を払うための真実と正義の剣(世界を正す剣)
・これからの人間の生き方の中心は「真実と正義」
私たちはこれから真実と正義を中心に生きれば、人生がうまくいくようになります。
神が世界に対して、そうすることを選んだからです。
神が味方します。
それは世界の流れが味方するということです。
真実と正義を前提にすれば、何をやっても流れるようにうまくいくようになります。
逆に言うと、今まで通用してきた不正がすべて通用しなくなります。
どんどんと明るみになって、正されていくからです。
もうすでに世界は変わってしまっています。
今まで許されてきた悪事は、もう許されません。
この世界的な流れは、あらゆる場面から空間に及んでいきます。
これからの2000年を通して、人類が学ばなければならないレッスンだからです。
シャノン先生はマスターとして生きている間も、天へ還った後も人類の潜在意識に真実と正義の光を吹き込み続けます。
神の無限の光から、その通り道として流し込み続けるのです。
神の無限の光は、すべてを持っています。
その光には愛もあり、真実もあり、あらゆる聖なる美徳の中心地です。
その中から、どのような美徳も引き出すこともできます。
神が人間に理解できるように、その光の無限性の中から選んで、聖なる美徳を表現するのです。
今、人類の潜在意識の中に真実と正義の光が吹き込んでいます。
今までも真実は大切なことでした。
しかし、これからはもっと大切になります。
皆にとって、大切なことになるのです。
誰もが知らず知らずのうちにその影響を受けて、真実を知りたくなります。
不正が許せなくなり、正義を成そうとするようになります。
ここからは、真実と正義が世界にどういう影響を与えるのか。
それを非常に簡潔に書いていきます。
・社会に真実が現れるとどうなるか
まず、第一に皆が真実を知りたくなり、調べ上げるようになります。
そうして、国や社会が行っていた不正が明るみとなって、真実が知られるようになります。
真実を知ると、皆が不正を許せなくなり、正そうという動きが生まれます。
かくして、真実によって不正は次々と明かされ、正されていき、正義が果たされます。
・宗教に真実が現れるとどうなるか
今まで、信じられていたことが信じられなくなっていきます。
それは真実に直面した時に、それらの教えが有効ではないとわかっていくからです。
人生の苦難を前にして、本当の信仰が大切であるとわかってきます。
悪魔が入り込んだ邪気の教えは廃れていき、真実に基づいた教えが求められるようになります。
旧来の宗教の中にあった真実が再発見されることもあるでしょう。
自分の人生の中に、本当の教えがあると見つけることでしょう。
それが生きた教えであり、唯一の真実だからです。
曲がった教えは破棄され、本当の教えが自分たちの中に見出されるようになります。
・霊的成長にどれほど真実が大切か
偽物の師を選んだら、どうしようもありません。
邪気が吹き込まれて、成長が停滞するだけではなく、死後待っているのは邪気に基づく煉獄や地獄でしかないのだから。
本物の師を選べば、光が吹き込まれてきます。
その光によって、目覚めていくのです。
私はシャノン先生に学ぶことで、光がふんだんに流れ込んできて、どんどんと霊的に成長することができました。
シャノン先生が神の声を聞いて、編み出した聖なるヨガを実践すると、急激に成長していったのです。
あまりにも顕著に、結果として現れてきます。
霊的な道において、真実がどこまでも大切だと感じております。
真実に基づいて、先生の聖なるヨガを行じれば、一生のうちに神・真理を悟ることができます。
なぜなら、神は究極の真実だからです。
真のヨガを実践すれば、神という真実を悟ることができます。
・個人の生き方に真実はどう現れるか
真実の光が来ると、急に自分の問題に気づきます。
今までまったく気にしてなかったことが気になるようになります。
これまでの人生の問題が、自分の内面の問題に基づいていたということがわかるようになります。
今まで自分に対して、ごまかしていたことが許せなくなります。
たとえば、怠惰な生き方をしていたら、それがいかにひどいものかわかるようになってしまうのです。
自分自身が人に対して、どう振る舞うかを振り返らざるをえません。
真実と正義の光が来ると、自分が悪い事をしているのが耐えがたくなります。
心の膿が出てきて、七転八倒する人もいるかもしれません。
光は闇を晴らします。
闇が晴れると、真実が明るみになります。
内面でさえも晴らしていきます。
それが光の作用なのです。
今までの生き方を手放して、新しい生き方をする必要が出てきます。
もし、このことに気づいて、今からでも生き方を改める人は賢明です。
なぜなら、新しい世界でとても生きやすくなるからです。
真実と正義に基づけば、神が味方をしてきます。
しかし、今までの生き方にしがみついて、悪い事をやり続けるなら、のたうち回るほどに苦しくなります。
生き方によって、明暗がはっきりします。
それがこの真実と正義の働きなのです。
・世界から何を選ぶのかを問われている
ここ数年で、どれだけの人が二者択一を迫られたか。
私が知らないわけではありません。
この時代に私もあなたと一緒に生きているのだから。
どれだけ苦しい思いをした人がいるのかも感じています。
ちゃんと真実に基づいて判断しないと健康を損ね、命すら取られるようなことがいくつもありましたからね。
流行病やワクチンの薬害問題は、その代表的な例でしかありません。
神が世界を大きく変えると選択したわけですね。
大きく変わるときに、大変なことも起こってくるのです。
シャノン先生からあらかじめ聞かされていたとはいえ、ここまで大きな変化を迎えるとは思っておりませんでした。
シャノン先生からは2015年~16年の時点で聞かされていたし、先生のブログにさえ書き残されています。
40代以上の人を殺すために新しいワクチンが出てくること。
世界的に流行病が広まることなど、そういうことはすべて先生のブログに書かれていました。
神がシャノン先生に告げたことは、本当に実現しています。
真実を選べば、命を守れます。
真実を選ばなかったら、命すら守れないような世界になっています。
実は、私たちの人生と命に関わるほどの変化がすでに起きているのです。
聖霊は白き鳥の姿となって現れ、その翼で注射針をはねのけるビジョンを見せて、ワクチンを打たないでほしいと伝えてきました。
聖霊「命を削らないで欲しい」
ワクチンを打てば打つほどに命が削れていくのでしょうね。
私はシャノン先生の言葉を信じ、聖霊の言葉を信じ、ワクチンを打ちませんでした。
その結果として、健康が守られ、命も守られています。
今、ワクチンの問題は薬害問題にまで発展し、実際にワクチン後遺症や遺族などによる訴訟が起きています。
これは明白な真実です。
誰もが向き合わないといけない問題となっています。
しかし、日本人の1億2000万人の内、約1億人がワクチンを打ち、健康を損ねることを選んだのです。
そうして、苦しみを通して、カルマを解消し、真実を徐々に学んでいくという選択をしたわけです。
そういう学び方も本当にあるのです。
一つ一つが選択でしかありません。
私が言いたいのは、そういったことは小テストでしかありません。
ワクチンを打たなかったからといって、それで終わりということはありません。
その人にも悪しきカルマがあるなら、別の形で支払うことになります。
神はあらゆる場面で、こういったことを試してきます。
そのたびに、真実と正義に基づいて選ぶならば、必ず乗り越えることができるようになっています。
今の段階においてさえも、しっかりそのことに気づいて行動すれば、人生は修正が効くし、正しい道を歩めるようになっています。
しかし、問題がわかると、人はどのような思いになるのでしょうか。
そのことをしっかり理解しておかないと、これからの世界はただ苦しむだけのものになってしまうかもしれません。
知っていれば、覚悟して臨み、乗り越えることができます。
助けとなる道も、神は用意しています。
・シャノン先生の本当の役割を明かす
シャノン先生はマスターとして、真実と正義をもたらすということは先ほども述べた通りです。
それはその通りなのですが、それだけではないのです。
神の光が来て、シャノン先生に告げたことがあります。
今までお伝えしてこなかったことです。
それは先生自身が語るべきことでした。
人類全体に関わることだからです。
しかし、限られた生徒にしか話されないので、私が代わりにお伝えしなければなりません。
これからの時代は、真実が中心となるからです。
もう、誰もそのことを隠せない段階に達しています。
シャノン先生は、神からこのように告げられました。
「あなたは苦行をもたらす」
つまり、シャノン先生は人類全体に苦行をもたらすということです。
その苦行の意味をしっかりと解説しなければなりません。
それは、お釈迦様が否定したような意味のない苦行ではありません。
昔のインドでは身体に針を刺したり、水中に沈んだり、逆さ吊りになり続けたり、そういった苦行がありました。
それらは苦しいだけで、何の霊的成長にもなりません。
そういった意味のない苦行はすべきではありません。
それについては、その通りです。
しかし、意味のある苦行が存在するのです。
ヨガにはタパス(熱、火)といって、霊的に成長できる苦行が存在します。
その本当の意味を明かすと、聖なる火で自分の内面を浄化するということです。
自分の内面と向き合って、克服することを差します。
自分の内面と向き合うのは、苦しいです。
まさに、それは苦行は苦行なのですが、霊的に成長することができます。
自分と向き合って、霊的に成長する「苦行」には確かに意味があるのです。
これが真の苦行であり、お釈迦様も説かれていなかったことです。
結局、私たちは自分と向き合って、内面の問題を改めていかなければ、成長していくことはできません。
自分と向き合って、生き方を改める。
これは人間として成長していくために、避けて通ることはできない道(人生の苦行)です。
シャノン先生が真実の光を世界にもたらすと、全人類の意識の中に真実が吹き込まれます。
そうすると、一人一人が自分の内面の問題に気づいて、向き合うことになります。
すでに真実の光を吹き込まれ続けています。
それは霊的なわざであり、誰も気づかぬとも精神的に変化が起きてきます。
自分の内面と向き合うと、いかに自分がひどい人間かと気づくかもしれません。
そういうときに苦しい思いをするわけですね。
今まで自分は素晴らしい人間だと思い込んでいたとしても、真実が来たら気づかざるをえないからです。
そうして、気づいたら、やっと改めようという気持ちになります。
改めれば、より良い人間へと成長していくことができます。
つまり、真実の光による苦行には、霊的成長の意味があるということです。
とはいえ、その苦行に人々はどのような形で直面するのでしょうか。
今まで蓄積してきた問題が世界中で噴出してきます。
そこら中で問題が起こって、一人一人がその問題と向き合うことになります。
問題や苦難と向き合ったときに、自分の本当の顔が現れてきます。
人類はとても苦しい思いをしますが、それを乗り越えると成長できます。
今、まさにこの時代はそういった状況にあるわけですね。
これは笑い話なんですが、シャノン先生は残念そうにおっしゃいました。
「苦行か……もっと素敵なものだったらよかったのに」
神から告げられた以上は偽るわけにもいかないので、生徒には本当のところを明かされました。
シャノン先生は決意を固めて、ここ数年で段階を追って、流し込む光の量を強めていきました。
光を強めれば強めるほどに、人類全体の霊的成長が加速していきます。
誰もが自分の内面の問題に向き合わされて、苦しむ人も増えていきます。
今までのカルマがどんどんと現れて、人間関係から仕事、病気の問題までひどく悪化する人も出てきます。
それは、まさにカルマという膿が出ていく段階です。
その心の膿は、他の誰でもない自分自身で溜めてきたものです。
膿がとても溜まっていると、すごい出てきます。
出てくるときに痛みがともなうものです。
しかし、すべての膿を出し切ってこそ、やっと傷口は治り始めます。
人生の問題を通して、誰もが今まで逃げてきた自分のカルマと向き合うことになるわけです。
心の底から生き方を改めて、苦しみを乗り越えられたら、新しい世界を成長した状態で迎えられます。
のたうち回るほどに苦しんで、耐え切れない人もいるかもしれません。
自分の生き方や考え方を改めずに、悪い事をし続ける人はどうにもならなくなります。
それもまた、これからの真実と正義を前提にした世界で起きてくることです。
多くの人が脱落してしまうかもしれません。
どうにもならなくなって、救いを求める人が現れてくるかもしれません。
そこで、神が私に与えた役割があります。
これは私が求めて授かったものではなく、世界の求めに応じて授けられたものです。
・私の役割を明かす
この世界に真実と正義の光がやってくると、すごい苦しい思いをする人が出てきます。
それはなぜかというと、誰もが正しい事をしていたわけではないからです。
今まで正しい事をしていた人は、どんどんとうまくいくようになります。
しかし、過ちを積み重ねてきた人はすごい苦しい思いをするわけです。
カルマの負債の返済に、前よりも早く追われることになるからです。
率直に申し上げると、全人類の三分の二以上の人は邪気を帯びており、神の目から見て間違った道を歩んでいます。
人は大なり小なり、罪を犯しています。
カルマの返済の時に、色々な問題が起きてきます。
病気になったり、精神的におかしくなったり、人間関係や仕事の問題など。あらゆる面で苦境に立たされることになるかもしれません。
その場合でも心を改めて、生き方を変えれば、うまくいくようになるかもしれません。
しかし、本当の問題は何が問題なのかにすら気づけずに、ただ苦しみ続ける人もいるということです。
だからこそ、神は私に一つの役割を与えられました。
その経緯については、以下の記事にまとめています。
何があったのかをぎゅっとまとめると、このようでした。
瞑想中に神に目覚めた師たちが現れて、神の無限の光の中に私の意識は没入していきました。
ビジョンとして、神の光の中に黄金の十字が現れ、その十字はエメラルド色の癒しのエネルギーを帯びていました。
黄金の十字の中心に青い宝石が見えました。
青い宝石に集中していると、「Shem(シェーム)」という聖音が聞こえてきました。
それは一体何なのかと思っていると、天から声が聞こえてきました。
「救済」
この聖なる音を心の内で唱えるものには、神の光が流れ込んできて救われるということです。
私の霊的な役割は「救済」であるということが明かされました。
これから人類が大変な時期に突入していく。
その時に多くの人が苦しんで、救いを求めるようになります。
神はその人たちのために、抜け道として私に救済の役割を与えたということです。
私個人が救える人は限られていますが、この聖なる音を知って唱えることは誰もができます。
実践する人も無制限であり、救われる人も無制限です。
知っていれば、誰もができるようにここに公開しておきたいと思います。
より、完全版となる救済十字の瞑想を明かしましょう。
・救済十字の瞑想
この瞑想法を実践する人は、「救い」を得ることができます。
神の光が流れてきて、肉体的かつ精神的な癒しを得ることもできます。
人生の苦境に立たされていたとしても、急に助けがやってきて救われたりします。
それは周りの人を通して、神が助けるようになるかもしれません。
あらゆる意味で救いを得られる瞑想です。
極めれば、十字の向こう側に抜けて、神との一体化も可能となっています。
今日という日に、全ての人にこの祝福をお送りしたいと思っています。
・救済十字の瞑想のやり方
救済十字のシンボルを見つめて、以下の聖なる音を心の内で唱えてください。
・救済十字の聖音
Am Shem Hur RuArk Hukodesh
(アム シェーム ハー ルアック ハーコデシュ)
この音を唱えていくと、どんどんと救いの光が流れてきます。
そうして、癒しや救いを得られることでしょう。
瞑想法自体はとてもシンプルで誰でもできるものです。
毎日15分~30分ぐらい実践してくだされば十分です。
もちろん、心の内で一日中この聖音を唱えてくださっても構いません。
心を込めて実践すればするほどに、神の光が流れ込んできて救われます。
最初は何も感じなくとも続けていくうちに、神の光で通り道(チャクラ)が開かれて、エネルギーを感じるようになります。
・救済十字の聖音の解説
Am(アム)の音を唱えると、神の光が流れ込んできます。
Shem(シェーム)は救済を求めて神を呼ぶことを意味し、救済のエネルギーがやってきます。
Hur RuArk Hukodesh(ハー ルアック ハーコデシュ)は、聖霊の音です。
・最後に
これから世界にどんなことがあったとしても、救済十字の瞑想を実践すれば、いくらでも救いを得られます。
そうして、乗り越えていくことができるので、ぜひとも覚えておいてください。
今日、私が地上を去ったとしても問題ありません。
神の救いは、宇宙の終わりまで在り続けます。
神が人々の求めに応じて、この瞑想法を授けてくれたからです。
全ての人が救われるまで、この救済十字は必要とされ続けることでしょう。
愛と赦しは、これからも大切なものです。
その上で、真実と正義も大切になってきます。
それらを兼ね備えることができれば、人はどこまでも人生をより良いものに変容させることができます。
そうだとしても、生きていく中で人は過ちを犯してしまうものだから。
救いとなる十字も、人々の中に必要なものとして与えられています。
救済十字の瞑想を心から信じて実践するなら、必ず神から救いがやってきます。
それは神が与えたものだからです。
しかし、信じない人には何の関係もないことでもあります。
私は心の内のどこかで知っています。
この救済十字は最高の救いであり、抜け道であり、どんな人も救われる素晴らしいものだとわかっています。
しかし、邪気を拝む人、心改めない人。
何より、私を信じない人には何の力も発揮しないということがわかっています。
(信じない人とは意識の接点が生まれず、救済のエネルギーが流れないからです。
それは私が流さないというより、その人自身が流れないように蓋をしています。
その蓋は、この瞑想を毎日心を込めて実践することで取り除くこともできます)
闇を自分から選んだ人は知ることも許されず、知ったとしても信じられないので実践できず、実践したとしても一時的なものになります。
すぐに忘れて、この瞑想法を実践しなくなることでしょう。
神がその人たちの心の目を幻想(マーヤー)のベールで覆い隠してしまうからです。
神の演技の中にあって、救いを望まない人もいるということです。
しかし、心から求める人には必ず届いて、助けになると確信しています。
私はすべての人に救いが必要だと思っています。
それが届けばいいと思っています。
同時に神がすることを心から信頼しています。
なら、委ねようと思うのです。
私は世界に対して、この救いがあるということを改めて贈りたかったのです。
その上で、人々に自由に選択してもらいたいと思っています。
ここに救いがあります。
それは神がそうすると明かされたことです。
救いを求める人は、救済十字の瞑想を実践することです。
そうすれば、必ず神の助けがあります。
究極の救いは何か。
神を悟るということに尽きます。
神の無限の光の中に還ると、すべてが溶けて癒されてしまうからです。
どんな苦悩も完全に消え去り、魂の解放があります。
私はそのことを体験した者として、生きている限りは伝え続けます。