幸せになってしまった。
冒頭から書いておくと決してパートナーができたわけではないです。
四か月ぶりに文章を書くとなると久しぶりすぎて鈍りに鈍った読みにくい文章になってしまいそうで怖い。
近況は毎日のようにリア垢のインスタで結婚報告の投稿を目にしてメンタルをビシバシやられていますが、それ以外はとても健康に暮らせています。
4月の半ばから8大都市の何処かで働き始めたのだが、人間関係、仕事面でなに不自由なく、恵まれた環境で働けており、自分でも驚くくらい幸福に生活できている。もしかしたら人生で一番充実しているかもしれないといっても過言ではないくらいにはメンタルも安定している。
幸せになると、いや違うな。満たされると文章を書けなく、いや書かなくなってしまった。それが悲しい。書くことでしか満たされないと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
乃木坂46の「帰り道は遠回りしたくなる」という曲に「過去がどんな眩しくても未来はもっと眩しいかもしれない」という名歌詞がある。
この歳になって人生が楽しくなるなんて思ってもみなかった。アラサーになり、老いていく一方で、20代後半という残りの短い期間をどう過ごそうか。四年後には三十歳に突入している。結局何歳の頃にも地獄はあって今も見えていない地獄に陥っているだけなのかもしれない。
何者にもなれないまま、そもそも何者かになりたかったのだろうか。
生活に余裕が出てくると不安なことばかり考えてしまうようになった。幸福でさえ恐れている弱虫なのかもしれない。幸せすぎて怖いくらいだ。
今年の夏は祭りに行って二十代になって初めて花火を見た気がする。とても綺麗で感動した。海にも行った。夏にやるようなことは一通りしたけれど、楽しかったけれど、僕が求めているものは、こういうみんなが普通にやっているような生活を過ごすことだったのだろうか?
職場の若者は、マッチングアプリに明け暮れていて自分もそろそろ再開しようかなとも思ったけど、プロフィール作成が面倒くさすぎるし、マッチングアプリから始まる恋は好きじゃないなあ。
やっぱり恋は便利になるべきじゃあないね。
とりあえず来週、今年最後の花火を見て、九月には三秋縋の待望の新刊が6年ぶりに出るのでそれを楽しみに生きていこうと思います。
やっぱり全然書けないやーー