そしてその身をどうすんだ

きっとこういうことだったのだと思う。夏があれほど楽しくて、儚くて、美しくて、幸せで、一瞬で過ぎ去っていったのも、きっと幸福の前借りをしていたんだ。

秋になり、職場での人間関係も大幅に変わる出来事があり(普通の職場でいう部署が変わるといったような)、夏の残像も記憶も薄くなってきたところで、一気に全てがつまらくなった。

別に秋のせいではないのだろうけれど、夏に幸福を致死量なまでに感じすぎてしまった為に、ここにきて自分自身が壊れかけなような気もする。

陳腐な言い換えをするならば、躁が終わり鬱がきたような感じではあるが、今日も仕事を休んで12時間くらい惰眠をとってしまった。それほど苦痛ではない仕事であるはずなのに、それが苦痛と感じてしまうほどに心身共にダメージを負っているのかもしれない。ここでこうやって文章にすることで吐き出すことで、なんとかやっていくしかない。何はあっても生きていくしかないのだ。

夏を振り返る記事を書こうとは思っていたのだが、書こう書こう思いながら結局書けずじまいでいた。修学旅行や、思い出は、それ自体を振り返っている時が、旅行が終わって少し寂しく感じている時が最もいい文章が書けるという持論が勝手ながらある。

ここから下は少し壊れようと思うからこの先は読まないで頂けたら幸いです。




死ね!死ね!全部死ね!!!自分もろとも全部死んで欲しい!寂しい。お金が欲しい。ここまで書いて、昔、ハタチの頃、インスタのストーリーで死にたいを連発して(シュタインゲートの失敗した。失敗した。のように)投稿したのを思い出した。このような恥ずかしい記憶が、今の自分をPTSDのように殴りつけてくる。精神の自傷をするのが癖になってくると危うい。
セルフネグレクトも部屋を掃除できないのも、全部、全部が苦しい。涙は出ない。幸福の前借りをしたせいで前借り分が底をつき、全てがしんどく感じる。自分の気持ちがわからない。この文章を投稿した後も、決して何も変わる事なく、少し読書をして、明日には何でもない顔を演じながら出勤しているだろう。
本来なら文章の終わりに、「セプテンバーさん」か「the autumn song」を載せようと思っていたけれど、今日はこの曲に決めました。

「選ばれなかったなら選びにいけ。」

幸福に選ばれなかったのなら俺から幸福を選びにいってやる。


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