8月32日へ
なんてセンスのあるアルバム名なんだろう。
しかしここではこのアルバムについての記事は書かない。
少しカラオケについて書きたい。
今夏は友人と三回ほどカラオケに行く機会があった。友人とカラオケに行く時は普段自分が聴いているような曲はまず選曲しない。日常的に聴いている曲は歌うにはそもそも難易度が高すぎるし、自分自身歌はそんなに上手くない。かと言ってめちゃくちゃ下手でもないのだから、聴いている周りからすると面白くないだろう。
この前、久しぶりにヒトカラをした。1時間程度の短い時間だったけれどとても充実した。一人で自分のために自分だけで歌う曲ほど美しいものはないのではなかろうか。
ふと四年前の夏にヒトカラに行った際、歌った曲を写真に残していたことを思い出した。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152527501/picture_pc_bc8e00671d60a92b35c2db2377c4ae5f.jpg?width=1200)
次がこの前のヒトカラの時の写真。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152527816/picture_pc_919d9aa5c1b9ef05263b4c0ea7438b96.jpg?width=1200)
ほとんど何も変わっていないじゃないか!
人は新しい曲を聴かなくなったときから老いていくと誰かが言っていた。
それでもずっと一生をかけて聴いていきたい曲は山ほどあるし、〇〇歳になったら、〇〇な状況で聴きたい、歌いたい曲も山ほどある。
話を戻すとカラオケで人が選曲したを聴くのも好きだ。その選曲には必ずその人のらしさ、環境、境遇が影響している。いつか写真に載せた曲を歌っても引かれない人と一緒にカラオケに行きたいものである。
もう一つ、書きたいことある。
乃木坂46の4期生の掛橋沙耶香のことだ。
彼女は先日YouTubeにて卒業ライブを配信して乃木坂46をアイドルを芸能界を引退していった。弱冠21歳にしてである。
彼女は二年前のライブの際、落下して大怪我を負った。
少し話しがそれるが、僕は女性で一番美しい年齢は19歳だと思っている。まさにアイドルとしての全盛期と言っても過言ではない年齢である。そこから二年もかけてリハビリをして、最後に表舞台に顔を見せてから、卒業してくれた。
掛橋沙耶香に関してはちょうど怪我をする半年前くらいから髪型をボブにし思いっきり髪を切ってからめちゃくちゃ好きになったのを覚えている。好きになったのだけれど知れば知るほどよくわからない娘だった。これからもっと彼女のことを知りたいと思っていた矢先の事故だったので、僕自身深く落ち込んだのを覚えている。
そんな彼女が先日の最後のライブ配信でこのようなことを言っていた。
「戻ったらまだまだアイドルをやれると思った。でもそう思えることが本望だと気づいたから卒業します。」と。
僕はこの言葉に深く感動と感心をした。この言葉は本当に絶望した経験をしないと出てこない言葉だと思う。26〜27歳くらいまでアイドルをやると言っていた彼女がこんなにも早く卒業することになってしまうとは、僕自身無念でならないが、ジャイアントキリングという漫画でも似たような描写があったのを思い出した。
主人公が現役を怪我でサッカー選手のピークである26才で引退することになり深く落ち込んでいた時に代理人が言った言葉だ。
「サッカーの神様は大きな借りを作った。だからこの先の人生でサッカーに関わることをすれば必ず成功する。上手くいく。」みたいなことを言っていた。
アイドルの神様は彼女に大きな借りを作ったのだと思う。
もっとアイドルの全盛期を楽しみたかったと思うし、成人式も振袖を着て参加したかっただろう。彼女の絶望は計り知れないが、それでもこれだけは言える。
絶望は早いうちに経験しておいた方がいいのだ。
老いてから絶望するとそれに立ち向かう、体力が、勇気がすでになくなっている場合が多い。絶望していることに気づいていないフリをしていることも多い。
10代後半、20代前半のうちに絶望を経験しておくことには、ただただ若さを楽しむこと以上に価値があるものだと僕は思う。
彼女の幸せを僕が願わなくてもいいくらい彼女はこれから幸福な人生を送れると僕は直感している。