夜に思うこと

いつからだろう。快眠できなくなったのは。希望が持てなくなったのは。不安に押しつぶされうになったのは。孤独を感じるようになったのは。惰性で生きるようになったのは。

いつからだろう。人生に対して何も感じず、そして何も考えたくなくなったのは。

夜はこんなことを、思わなくてもいいようなことをつい思ってしまう。

B4の紙切れに収まる僕の人生を僕が愛せるようになる日はくるのだろうか。
悔しいなあ。悔しいと思えなくなったことに悔しいと感じる。全ての感情が薄れていく。

どうにもならないことばかりが増えて、どうしようもないことだけが積み重なってゆく。

何度、後悔しても後悔しきれない選択を幾度としてきた。それは、もう忘れ去ったと言い聞かせても、時間が解決したと言い聞かせても、まるでPTSDかのようにふと頭にフラッシュバックする。

生きていてよかったと思える夜を探している人は今日も無数にいるだろう。これを読んでいる人にも、隣に住んでいる人も、街ですれ違った人も、その人の人生が皆あると思うと、不思議な気持ちになる。みんなどんなことを思いながら祈りながら眠りにつくのだろうか。

朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠ると偉い人が言っていた。
その言葉とは真逆のことをしている僕に、僕がかけてあげられる言葉は一体なんだろう。
僕はどんなときも僕と一緒に生きてきた。僕の選択の良し悪しを決めるのはこれからの僕だけれど、僕は僕を信用していいのだろうか。ここがブレると全てが、今まで信じてきた全てが崩れるようなそんな気がする。
みんな自分の生き方を肯定したがる。まるで自分に言い聞かせるように。SNSを見るとみんな私の生き方は正解だ、間違っていないと言っているように感じる。
別に間違っても、正解してもどっちでもいいのに。そもそも正解とか間違いなんてないよとか言いたくなる。それこそ僕が自分に言い聞かせているだけなのではなんて思いながら。

いや。正解はある。愛する人と、好きな人と生きることだ。なんていってももう何億年前から出ていそうな答えをいっても、何も面白くもないし、響かない。だけど、だけど愛いいな。
恋より愛の方が神聖だ。恋よりも愛の方がわかってしまう年齢になりつつある。
さらにここで愛とか恋とか全部放り投げて、自分の信じたものに人生を捧げる人にもっと惹かれてしまう。一本の筋が生き様がロックだとそこで初めてアイデンティティや、らしさが出てくる。
なんてことを考えてたら、楽しいぞ。


いつからだろう。こうやって文章を書くことで自分を自分で救うようになったのは。

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